婦女新聞社『婦人界三十五年』(1935.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
9月 △明治十九年の国事犯大阪事件にて有名なる福田英子(元、景山)女史主任となり帝国婦人協会角筈支部の事業として貧家の子女の為工芸女学校設立
9月 △北清事変に関する清国謝罪使人京
10月26日 △前年開始せられたる基督教救世軍、第一回の克己週間二十六日より十一月二日まで
10月 △雑誌「女子之友」第百号記念の誌友懇話会を神田明神開花楼に開く
10月 △英国剣橋大学内女子中等教員養成所長たりしヒユース女史視察の為来朝安井哲子女史師弟の関係より隨伴して通訳
10月 △婦人矯風会は一夫多妻のモルモン宗布教を禁止せられんことを内務大臣及神奈川県知事に建議す
10月 △潮田千勢子、島田信子氏等によつて足尾鉱毒被害民救済婦人会組織せらる
10月 △日本女子大学、第一回運動会を飛鳥山渋沢男別邸にて開く
10月 △東京日々新聞九千号の祝ひに百二十八頁の大新聞を発行す
10月 △江戸名物本郷団子坂の菊人形相変らず盛況(後に国技館に移る)
10月 △女学校の修学旅行追々行はる、但大部分は日返り
11月11日 △山階宮妃殿下(東宮妃御姉宮)御産後の御経過不良遂に薨去
11月 △大元帥陛下、大演習にて東北地方行幸に際し、宮城県学務課長山田邦彦氏訓令を発し、奉迎の小学校女児に着袴を禁じ(奢侈に流るる恐れより)たるより婦女新聞社説にて攻撃、之を機会に小学校女児着袴可否の問題盛に論議せらる
11月 △モルモン宗一夫多妻主義を棄つる条件付にて布教を公許せらる
11月 △読売新聞は先般率先して記事の文章を言文一致体とせしが主筆の更迭と共に旧の文章体に復す
12月 △帝国教育会総会に於て「小学校児童の服装を男女共筒袖袴とするの可否」討論せらる、婦女新聞と山田宮城県視学官との女生徒着袴問題論議が取上げられしなり
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
1月11日 △鳩山和夫博士夫妻帰朝
1月 △上野動物園に生きたる獅子独逸より輸入せられて大評判
1月 △栃木県会、宇都宮高女校長の俸給全部を削除し、視学官に兼務せしむべしと決す
1月 △島田三郎夫人、巌本善治、木下尚江夫妻の諸氏鉱毒被害地視察、木下夫人のみ約一ケ月居残りて救済実務に従事
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