(株)読売新聞社『読売新聞八十年史』(1955.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和26年(1951) - 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 渋沢関係略年譜
5月5日 △第三回「全日本赤ちゃん集団コンクール」の日本一決定 大戦以後
5月14日 △第二回読売文学賞発表=小説賞「思ひ川」宇野浩二、文芸評論賞「昨年の諸作品」亀井勝一郎、詩歌賞「典型」高村光太郎、「会津八一全歌集」会津八一、文学研究賞「鎖国」和辻哲郎、戯曲賞受賞作品なし 大戦以後
5月24日 △大阪市美術館でマチス展を開く 大戦以後
5月30日 △福島民友社長阿部克巳(元本社工務局長)没す 大戦以後
5月30日 △第二十八回(復活第一回)読売古式相撲大会 大戦以後
6月1日 △日曜夕刊を復活す、夕刊月極定価九十円に改める 大戦以後
6月7日 △米国キャンプ・ライジングサンへ日本少年代表として尾形立三を派遣 大戦以後
6月11日 △図書編集部新設、部長楢崎勤 大戦以後
6月13日 △第二回湯川奨学資金交付者十五名決定 大戦以後
6月15日 △中部日本、西日本両社と協力選定したミス・日本ならびに準ミス・日本三名、日米親善、ララ救済物資感謝使節として渡米、本社特派員深見和夫同行 大戦以後
6月19日 △倉敷大原美術館でマチス展を開く 大戦以後
6月30日 △第十回東西対抗陸上競技大会 大戦以後
7月11日 △朝鮮戦線へ欧米部員小平利勝を特派す 大戦以後
7月21日 △第四回全国花火コンクール大会、両国川開き花火大会開催 大戦以後
8月6日 △元社長正力松太郎公職追放を解除さる 大戦以後
8月10日 △新聞研究部次長真木進之助を朝鮮戦線に特派 大戦以後
8月13日 △伝書バト通信競翔大会(百キロ)を開く 大戦以後
8月15日 △よみうり平和号日本新版図を巡航飛行す、大仏次郎、吉岡堅二、獅子文六、石川滋彦同乗 大戦以後
8月16日 △サンフランシスコ講和会議報道のため社会部長原四郎以下田山晃、小平利勝、近藤日出造、斎藤申二、土居通夫、加瀬俊一(編集局顧問)をアメリカへ特派す(~25日) 大戦以後
8月17日 △本社後援の潜水探測器(くろしお号)相模湾にて潜水に成功す 大戦以後
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