(株)読売新聞社『読売新聞八十年史』(1955.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和27年(1952) - 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 渋沢関係略年譜
7月3日 △「旬刊読売」を「週刊読売」と改題 大戦以後
7月3日 △旬刊グラフ誌「家庭よみうり」創刊 大戦以後
7月6日 △鎌倉、稲毛、金沢八景、馬堀海岸、逗子に「読売海の家」を経営 大戦以後
7月8日 △エレファント・ビアナイターを後楽園に開く 大戦以後
7月9日 △「東洋舞踊の会」を日比谷公会堂に開く 大戦以後
7月13日 △文楽人形祭を新橋演舞場に開く 大戦以後
7月19日 △第五回全国花火コンクール大会、両国川開き花火大会 大戦以後
7月19日 △日英交歓卓球大会を後楽園に開く 大戦以後
7月24日 △ミス・日本に日比野恵子(関東)決定 大戦以後
7月29日 △日米比プロ・ボクシング試合をスポーツ・センターに行う 大戦以後
7月29日 △都民夏のレクリエーション郷土芸能まつり挙行 大戦以後
8月3日 △第二回富士登山継走大会 大戦以後
8月8日 △東亜部員釜井卓三を香港へ特派 大戦以後
8月14日 △読売オートレース大会を船橋レーストラックに開く 大戦以後
8月14日 △本社機よみうり第一〇一号に報道用AM式超短波無線装置を施す 大戦以後
8月18日 △第三回全日本少年野球大会 大戦以後
8月30日 △国際航空文化展を上野松坂屋に開く 大戦以後
8月31日 △メキシコシチーの国際通貨基金大会へ経済部員浦沢清を特派 大戦以後
9月1日 △本社機東北、甲信越各都市を訪問飛行 大戦以後
9月5日 △朝日、毎日と共同で公明選挙の国民運動を展開 大戦以後
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