※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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文化元年(1804) | - | 初代主清水喜助、江戸神田鍛冶町で大工を開業 | 当社のあゆみ |
天保9年(1838) | 3月 | 江戸城西丸全焼 | 社会の動き |
- | 初代喜助、江戸城西丸修営に弟子藤沢清七らとともに参加 | 当社のあゆみ | |
安政6年(1859) | 5月 | 初代清水喜助没(76歳)、養子清七二代主清水喜助を襲名 | 当社のあゆみ |
6月 | 神奈川・箱館・長崎の三港開港 | 社会の動き | |
6月 | 神奈川奉行設置 | 社会の動き | |
- | 横浜坂下町に店宅を新築し、横浜へ進出 | 当社のあゆみ | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 横浜坂下町店宅が類焼、吉田町に家屋を新築して移転 | 当社のあゆみ | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 将軍徳川慶喜、大政奉還 | 社会の動き | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 江戸を東京と改称 | 社会の動き | |
- | 二代喜助、築地ホテル館を完成し経営 | 当社のあゆみ | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 東京遷都 | 社会の動き | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 廃藩置県実施 | 社会の動き | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 海運橋三井組ハウス(後の第一国立銀行)竣工 | 当社のあゆみ | |
9月 | 三井組、第一国立銀行(明治6年6月開業)に三井組ハウスを譲渡 | 社会の動き | |
- | 二代喜助、渋沢栄一の知遇を得る | 当社のあゆみ | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 太陽暦実施 | 社会の動き | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 駿河町為換バンク三井組竣工 | 当社のあゆみ | |
5月 | 為換バンク三井組開業 | 社会の動き | |
8月 | 神奈川県営繕課定式請負人を拝命 | 当社のあゆみ |