※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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文化元年(1804) | - | 初代清水喜助、江戸神田鍛冶町で創業 | 当社のあゆみ |
- | ロシアの使節レザノフが長崎に来航し通商を要求 | 社会の動き | |
天保9年(1838) | - | 初代喜助、江戸城西丸造営に参加 | 当社のあゆみ |
嘉永2年(1849) | - | 高田八幡宮随身門 | 代表的建物 |
安政6年(1859) | - | 開港場横浜に進出 | 当社のあゆみ |
- | 初代喜助死去。清七が二代清水喜助を襲名 | 当社のあゆみ | |
- | 神奈川、箱館、長崎の三港開港 | 社会の動き | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大政奉還 | 社会の動き | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 二代喜助、日本の本格的ホテルの第一号「築地ホテル館」施工 | 当社のあゆみ | |
- | 築地ホテル館 | 代表的建物 | |
- | 江戸を東京と改称 | 社会の動き | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 築地ホテル館、和田倉門内からの出火により類焼 | 当社のあゆみ | |
- | 三井組ハウス(後の第一国立銀行) | 代表的建物 | |
- | 学制制定 | 社会の動き | |
- | 新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通 | 社会の動き | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 横浜吉田町に店宅を新築 | 当社のあゆみ | |
- | 為替バンク三井組 | 代表的建物 | |
- | 銀座煉瓦街完成 | 社会の動き | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 二代喜助による請負業形式確立 | 当社のあゆみ | |
- | メートル条約締結(日本は明治一八年に加盟) | 社会の動き |