清水建設(株)『棟梁から総合建設業へ : 清水建設200年の歴史』(2003.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
文化元年(1804) - 初代清水喜助、江戸神田鍛冶町で創業 当社のあゆみ
- ロシアの使節レザノフが長崎に来航し通商を要求 社会の動き
天保9年(1838) - 初代喜助、江戸城西丸造営に参加 当社のあゆみ
嘉永2年(1849) - 高田八幡宮随身門 代表的建物
安政6年(1859) - 開港場横浜に進出 当社のあゆみ
- 初代喜助死去。清七が二代清水喜助を襲名 当社のあゆみ
- 神奈川、箱館、長崎の三港開港 社会の動き
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
- 大政奉還 社会の動き
慶応4年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
- 二代喜助、日本の本格的ホテルの第一号「築地ホテル館」施工 当社のあゆみ
- 築地ホテル館 代表的建物
- 江戸を東京と改称 社会の動き
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
- 築地ホテル館、和田倉門内からの出火により類焼 当社のあゆみ
- 三井組ハウス(後の第一国立銀行) 代表的建物
- 学制制定 社会の動き
- 新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通 社会の動き
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
- 横浜吉田町に店宅を新築 当社のあゆみ
- 為替バンク三井組 代表的建物
- 銀座煉瓦街完成 社会の動き
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
- 二代喜助による請負業形式確立 当社のあゆみ
- メートル条約締結(日本は明治一八年に加盟) 社会の動き
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