(株)大丸『大丸二百五拾年史』(1967.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
天保10年(1839) - 滝尾神社の修復拡張成る 大丸
天保11年(1840) - 【渋沢栄一】天保11年2月13日(1840年3月16日)、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)に生まれる。幼名は市三郎。渋沢家は代々の農家で養蚕と製藍を兼業。〔0歳〕 渋沢関係略年譜
- 江戸店六月中の売上げ約六千八百両 大丸
- 広東にアヘン戦争起こる 国の内外
天保12年(1841) - 各店の利益減少し元方有高の増加止まる 大丸
- 全国株仲間禁止 国の内外
- 天保の改革 国の内外
天保14年(1843) - 幕府御用金割当、大阪店二百十四貫五百匁、大阪両替店百貨匁 大丸
- 幕府財政補填のため大阪、堺、兵庫、西宮の豪商に御用金百五万六千両 国の内外
天保15年(1844) - 江戸店に御用金千両割当 大丸
- 江戸城本丸炎上 国の内外
弘化4年(1847) - 【渋沢栄一】従兄尾高惇忠から漢籍を学ぶ。〔7歳〕 渋沢関係略年譜
- 町人に倹約令 国の内外
嘉永元年(1848) - 【渋沢栄一】このころ実名を美雄とする。後に伯父渋沢誠室の命名で栄一と改める。〔8歳〕 渋沢関係略年譜
- 株仲間再興許可 国の内外
嘉永2年(1849) - イギリス船、浦賀に来航 国の内外
嘉永3年(1850) - 京都松原店類焼 大丸
嘉永4年(1851) - 江戸問屋再興令 国の内外
- 糸問屋仲間二十軒で再興 国の内外
嘉永5年(1852) - 正篤隠居して三郎左衛門と改名し、京都方広寺大仏殿の財務処理につくす 大丸
- 次子正涛、第八代を継ぐ 大丸
嘉永6年(1853) - 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 渋沢関係略年譜
6月 ペリー提督浦賀へ来航 国の内外
12月 江戸店、小間物株を取得 大丸
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