※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月26日 | 川崎工場にて澱粉より製造したる育児用甘味営養料「子供印」滋養糖を発売す | ||
2月1日 | 大阪出張所にて初めて味の素の販売店向景品附特売を行う、一函につき小瓶六本及び看板添附、松下商店より五瓲貨車一車分の註文を受く | ||
2月4日 | 北陸一帯の販売を松下商店に委す | ||
2月6日 | 名古屋の豊田紡織株式会社に澱粉を売り込む | ||
4月 | 塩酸法による蛋白質の加水分解を開始し再発足す(川崎工場) | ||
4月 | 逗子工場を閉鎖す | ||
11月 | 大阪出張所を北区鳴尾町十番地に移転す | ||
12月 | 耐酸耐火煉瓦にて分解釜を試作す又沃度加里の製造を開始す(川崎工場) | ||
12月 | 電解法による塩酸加里の製造を開始す(川崎工場) | ||
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | 大阪造幣局より白金坩堝(四貫二百八十六匁)の払い下げを受く、塩酸加里電解用電極板に使用のためなり | ||
1月24日 | 大阪松下善四郎商店との間に味の素責任販売高及び年末割戻率を定めたる売買契約成立す | ||
2月3日 | 鈴木社長は夙に沃度の製法を研究しその製造を開始して沃度剤の輸入を防止し斯業の国内統一を策りし功績により勅定の緑綬褒章を拜受す | ||
2月 | 麩素の塩酸分解に石釜を採用す(川崎工場) | ||
3月 | 川崎工場にバラック式寄宿舎三棟百二十四坪を建築す | ||
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月17日 | 川崎工場にて硝石の製造を始む | ||
2月14日 | 府下大島町に塩酸加里工場を設く一時カーバイト製造、製鉄をも行う | ||
2月 | 東洋紡績株式会社の糊配合法を研究し澱粉の売込に成功す | ||
4月28日 | 鈴木三郎ペルシャ丸にて渡米、主として塩酸加里、沃度剤販売を目的とす | ||
6月15日 | 川崎工場沃度副産塩の製造を許可せられケルプの浸出を開始、その浸出液より食塩、塩化加里、硫酸加里及び沃度を製造す | ||
6月17日 | 株式会社鈴木商店(資本金参百万円)を設立し合資会社鈴木商店の営業権一切を継承す、鈴木三郎助社長に、鈴木忠治専務に、同百太郎、同三郎、同六郎取締役に、青木大三郎、太田惣七監査役に就任、鈴木六郎は川崎工場長を委嘱せらる |