市場
| 地球と人間の歴史―放射状にのびる道路(宇宙衛星ランドサットより) |
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写真 |
巻頭口絵 |
市場
| 果てしない歴史の旅―シルクロード |
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写真 |
巻頭口絵 |
市場
| 生活の中にとけこむ車―メキシコ・トルーカの朝市 |
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写真 |
巻頭口絵 |
市場
| 文化と文明と―インド・オールドデリー/パリ・サクレクール寺院 |
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写真 |
巻頭口絵 |
市場
| 農業と車―北海道・富良野 |
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写真 |
巻頭口絵 |
市場
| 都市生活と車―新宿副都心 |
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写真 |
巻頭口絵 |
市場
| 現代文明と車―ニューヨーク |
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写真 |
巻頭口絵 |
歴史
| 誕生昭和8年。先端技術を追い求め、モータリゼーションの推進に努めて半世紀―今日、車を取りまく環境は大きく変わろうとしている。現代をになう産業としての責務は重い。いま求められる車の役割とはなにか、私たちはこの答えを追いつづける。 |
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写真 |
巻頭口絵 |
技術
| 創造―クレイモデルとデザイナー(テクニカルセンター) |
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写真 |
巻頭口絵 |
技術
| 生産技術―ロボットによる自動溶接 |
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写真 |
巻頭口絵 |
生産;技術
| 生産を支える―作業風景より//研究・開発―CAD(テクニカルセンター) 車内騒音測定(中央研究所) |
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写真 |
巻頭口絵 |
営業
| 営業活動―北海道の牧場//営業活動―販売店ショールーム(福岡) |
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写真 |
巻頭口絵 |
製品
| 実用通信衛星「さくら2号a」の打上げ//未来産業への飛躍―科学衛星「てんま」を搭載したロケット |
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写真 |
巻頭口絵 |
海外事業;市場
| 海外への進出―自動車専用船「バイオレット」//海外市場―ニューヨーク・ジョージワシントンブリッジ |
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写真 |
巻頭口絵 |
海外事業;生産
| 海外生産―メキシコ日産・クウエルナパカ工場 |
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写真 |
巻頭口絵 |
教育・研修
| 海外研修生―九州工場での米国日産製造従業員//販売研修センターでの中近東ディーラー従業員 |
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写真 |
巻頭口絵 |
海外事業;販売
| 海外販売―米国日産ミーティング風景 ディーラー店頭での商談風景 |
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写真 |
巻頭口絵 |
海外事業;市場
| 国際市場―パリ自動車ショー |
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写真 |
巻頭口絵 |
海外事業;市場
| 疾走―アメリカ・モニュメントバレー |
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写真 |
巻頭口絵 |
製品
| ダットサン、浅草国際劇場に登場 |
昭和12年(1937年) |
写真 |
〔43〕 |
定款;財務・業績
| 創立定款と第1回・第2回営業報告書 |
[昭和9年(1934年)] |
写真 |
p44 |
製品
| ダットサン1号車 |
[昭和7年(1932年)] |
写真 |
p46 |
設備;生産
| 創業時代 |
[昭和9年(1934年)頃] |
写真 |
p48 |
事業所;設備
| 昭和6年ごろの戸畑鋳物の工場内部 |
昭和6年(1931年)頃 |
写真 |
p50 |
製品;業界
| T型フォード乗用車 |
[1910年(明治43年)頃] |
写真 |
p51 |
製品
| ダットサン フェートン14型 |
[1935年(昭和10年)頃] |
写真 |
p51 |
製品
| 快進社自動車工場とDAT自動車 |
[大正3年(1914年)] |
写真 |
p52 |
事業所
| 昭和10年ころの横浜本社 |
昭和10年(1935年) |
写真 |
p52 |
役員;経営者
| 鮎川義介[(初代)]社長 |
[昭和8年(1933年)12月26日就任] |
写真 |
p53 |
関係会社
| 日産コンツェルン一覧 |
昭和12年(1937年)6月現在 |
組織図、業種{日本産業(株)(鉱業、工業、自動車工業、化学工業、水産業、電波工業、栽培業、その他)} |
p53 |
事業所;製品
| 昭和10年4月、横浜工場生産第1号車オフライン式 |
昭和10年(1935年)4月 |
写真 |
p54 |
事業所;製品
| 大正7年ごろの快進社の工場とダット自動車 |
大正7年(1918年)頃 |
写真 |
p54 |
製品
| ダット号軍用バス |
[大正13年(1924年)頃] |
写真 |
p55 |
技術
| ウィリアム・R・ゴーハム |
[大正9年(1920年)頃] |
ウィリアム・R・ゴーハム(昭和16年=1941年に日本に帰化し、合波武克人=ごうはむかつんどと改名)の略歴、「ゴーハムとゴーハム式三輪車」の写真 |
p55 |
販売;事業所
| 東京・銀座のダットワン販売店 |
[昭和初期] |
写真 |
p56 |
製品
| ダットサン13型セダン |
[昭和9年(1934年)製造] |
写真 |
p57 |
技術
| 外人技術者の業績 |
|
コラム |
p57 |
製品;生産
| ダットサン車 車種別生産台数 |
昭和6年(1931年)~昭和12年(1937年) |
棒グラフ、年、台数、車種別(乗用車、トラック) |
p57 |
製品
| ダットサン 13型セダン(1934) |
昭和9年(1934年) |
仕様{寸法(長さ、幅、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量} |
p57 |
広告宣伝
| 『ニッサングラフ』創刊号 |
[昭和10年(1935年)] |
写真 |
p58 |
広告宣伝
| ダットサン・デモンストレーター |
[昭和11年(1936年)発足] |
写真 |
p58 |
製品;生産
| ダットサン製造計画表 |
[1936年(昭和11年)] |
写真 |
p58 |
商標
| 従来の商標、現在の商標 |
[昭和7年(1932年)3月~昭和58年(1983年)] |
新旧の商標と社章の図 |
p58 |
製品
| ニッサン専用シリンダーブロック第1号 |
[昭和11年(1936年)頃] |
写真 |
p59 |
製品
| ダットサン 15型Tトラック(1936) |
昭和11年(1936年) |
写真、表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、最大積載量、総排気量 |
p59 |
生産;催し
| ニッサン車オフライン式 |
[昭和12年(1937年)] |
写真 |
p60 |
製品
| ニッサンバス、ニッサントラック |
[昭和12年(1937年)頃] |
写真 |
p60 |
製品
| ニッサン 80型トラック(1937) |
昭和12年(1937年) |
写真、表、寸法(長さ、幅、軸距)、車両総重量、総排気量、出力 |
p60 |
広告宣伝;催し
| ニッサン車発表会 |
[昭和12年(1937年)5月頃] |
写真 |
p61 |
催し
| 昭和12年、従業員養成所開所式で訓辞する鮎川[義介]社長 |
昭和12年(1937年)[9月] |
写真 |
p61 |
設備;生産催し
| 昭和17年12月、電気炉火入式 |
昭和17年(1942年)12月 |
写真 |
p62 |
製品;軍需
| 軍へ献納のニッサン車 |
[昭和13年(1938年)頃] |
写真 |
p63 |
役員
| 村上正輔[(2代)]社長 |
[昭和14年(1939年)5月25日就任] |
写真 |
p63 |
製品;貿易
| ニッサントラック輸出船積み |
昭和16年(1941年) |
写真 |
p65 |
製品
| ニッサン 180型トラック |
[昭和16年(1941年)1月頃] |
写真 |
p65 |
製品;生産
| 車種別生産台数 |
昭和12年(1937年)~昭和16年(1941年) |
棒グラフ、年、台数、車種別(ニッサン車、ダットサン車) |
p65 |
生産;催し
| 2万台目のダットサンオフライン祝賀式 |
[昭和17年(1942年)頃] |
写真 |
p66 |
役員
| 浅原源七[(3代)]社長 |
[昭和17年(1942年)3月1日就任] |
写真 |
p66 |
事業所;海外事業
| 南方事業所 開設記念式 |
[昭和17年(1942年)6月] |
写真 |
p66 |
製品
| 「ハ47」航空機エンジン |
[昭和18年(1943年)6月試作開始] |
写真 |
p67 |
事業所
| 昭和20年ごろの吉原工場 |
昭和20年(1945年)頃 |
写真 |
p67 |
製品;生産
| 「ハ47」航空機エンジン生産実績 |
昭和19年(1944年)3月~昭和20年(1945年)~8月 |
棒グラフ、年、台数 |
p67 |
従業員
| 女子挺身隊 |
[昭和19年(1944年)頃] |
写真 |
p67 |
事業所
| 昭和19年ごろの厚木工場 |
昭和19年(1944年)頃 |
写真 |
p68 |
役員
| 工藤治人[(4代)]社長 |
[昭和19年(1944年)9月18日就任] |
写真 |
p68 |
役員
| 村山威士[(5代)]社長 |
[昭和20年(1945年)6月4日就任] |
写真 |
p68 |
製品
| ニッサントラック戦後第1号車のオフライン |
昭和20年(1945年) |
写真 |
〔69〕 |
広告宣伝
| 当時のカタログ、販売促進用品、宣伝用写真 |
[昭和20年代] |
写真 |
p72 |
労働組合
| 日産労組結成 |
[昭和28年(1953年)8月結成] |
結成趣意書、日産労組一周年記念特集号等の写真 |
p74 |
世相
| 食糧の買出しで混雑する旅客列車 |
[昭和20年(1945年)頃] |
写真 |
p76 |
役員
| 山本惣治[(6代)]社長 |
[昭和20年(1945年)10月1日就任] |
写真 |
p76 |
生産
| [連合軍最高総司令部からの]トラック製造許可書 |
[昭和20年(1945年)9月25日発令] |
写真 |
p77 |
事業所
| 敷地内に畑が見える吉原工場 |
[昭和20年代はじめ頃] |
写真 |
p77 |
製品
| [資材不足のため]極度に簡素化された戦時型ニッサン「80型」トラック |
[昭和20年代はじめ頃] |
写真 |
p78 |
役員
| 箕浦多一[(7代)]社長 |
[昭和22年(1947年)5月31日就任] |
写真 |
p78 |
事業所
| 接収された鶴見工場 |
[昭和20年(1945年)頃] |
写真 |
p79 |
催し
| 再生課発足記念式 |
[昭和20年(1945年)頃] |
写真 |
p79 |
事業所
| [鉄鋼資材の確保を目的として新設した]東京製鋼所 |
[昭和21年(1946年)4月新設] |
新設から大同製鋼(現大同特殊鋼)に合併するまでの経緯(説明文)と砂町工場の写真 |
p79 |
製品
| ニッサントラック新生第1号車オフライン式 |
[昭和20年(1945年)11月] |
写真 |
p79 |
名誉
| 天皇陛下、当社工場へ |
[昭和21年(1946年)2月19日] |
写真と説明文 |
p80 |
事業所;設備
| 吉原工場ダットサン組立ライン |
[昭和22年(1947年)頃?] |
写真 |
p80 |
生産
| 生産計画と実績 |
昭和22年(1947年)7月~12月 |
表、年月、ニッサン車(計画、実績)、ダットサン車(計画、実績) |
p80 |
製品
| ダットサンセダンDA型 |
[昭和22年(1947年)頃?] |
写真 |
p80 |
製品
| ダットサンデラックスセダンDB型(1948) |
昭和23年(1948年) |
写真、表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、総排気量 |
p81 |
経済政策
| [米国政府がマッカーサーを通じて日本政府に指令した日本経済安定のための政策]経済安定9原則 |
[昭和23年(1948年)12月19日指令] |
「自立復興へ九原則 単一為替設定を目標」の見出しの新聞記事の写真 |
p81 |
経済政策
| [ドッジラインについて、ジョセフ・]ドッジ公使の講演 |
[昭和24年(1949年)2月] |
写真 |
p82 |
製品
| [不況のため]滞貨となったダットサン |
[昭和24年(1949年)頃] |
写真 |
p82 |
製品
| [朝鮮動乱]特需用ニッサントラック |
[昭和25年(1950年)~昭和26年(1951年)受注] |
写真 |
p83 |
製品
| 警察予備隊向けに開発された[四輪駆動車・]ニッサンキャリヤー |
[昭和25年(1950年)] |
写真 |
p84 |
製品
| ニッサン290型バス(1950) |
昭和25年(1950年) |
写真、表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p84 |
設備
| 機械設備の経過年数 |
昭和25年(1950年)現在 |
表、工作機械(経過年数、輸入、国産)、その他機械(経過年数、輸入、国産) |
p84 |
製品
| 富士山登山中のニッサンパトロール[(警察予備隊から製造要望があった四輪駆動車)] |
[昭和25年(1950年)] |
写真 |
p85 |
製品
| ニッサン 380型トラック(1952) |
[昭和27年(1952年)] |
写真、表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、最大積載量、総排気量 |
p85 |
労働運動
| [長期の労働紛争で]横浜工場閉鎖 |
[昭和28年(1953年)8月] |
写真 |
p86 |
労働組合
| 日産自動車労働組合結成大会 |
[昭和27年(1952年)8月30日] |
写真 |
p88 |
労働組合;労使関係
| 第1回団体交渉 |
[昭和27年(1952年)9月1日] |
写真 |
p88 |
生産
| [日産労組と会社との紛争が解決、]全面的生産再開(ニッサンニュース) |
[昭和28年(1953年)9月] |
ニッサンニュース紙面の写真 |
p89 |
労使関係
| [会社と組合が経営に関して相互に理解を深め、協力して業務の円滑な運営を図る目的で設けられた]第1回経営協議会 |
[昭和30年(1955年)10月] |
写真 |
p90 |
製品
| 映画に登場したダットサンスポーツ |
昭和27年(1952年) |
写真 |
〔91〕 |
経営
| オースチン社との提携契約書とカタログ・部品 |
[昭和27年(1952年)12月] |
写真 |
p92 |
製品
| オーストラリアラリーで優勝したダットサン210 |
[昭和33年(1958年)9月]? |
写真 |
p94 |
需給
| 乗用車の国内供給台数 |
昭和26年(1951年)~昭和28年(1953年) |
棒グラフ、年、台数、内訳{国産車、外国車(合計、新車輸入、譲受中古車)} |
p96 |
製品
| ダットサンのタクシー |
|
写真 |
p97 |
役員
| 浅原源七[(8代)]社長と年頭のあいさつ |
[昭和28年(1953年)1月] |
写真 |
p98 |
業界
| オースチン小史 |
1906年(明治39年)~1968年(昭和43年) |
説明文とオースチンセブンの写真 |
p98 |
製品;技術
| [オースチン社との提携による]オースチンA40サマーセット(1953) |
[昭和28年(1953年)] |
写真と表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p98 |
製品
| オースチンA40第1号車オフライン |
[昭和28年(1953年)4月4日] |
写真 |
p99 |
製品;広告宣伝
| ダットサン110型・120型発表展示会 |
[昭和30年(1955年)新春] |
写真 |
p99 |
製品
| ダットサン 110型セダン(1955) |
1955年(昭和30年) |
写真と表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p99 |
表彰;製品
| [ダットサン112型 昭和31年度の]毎日産業デザイン賞(工業デザイン部門)受賞 |
[昭和31年(1956年)] |
「毎日産業デザイン賞」の記事写真 |
p100 |
製品
| ダットサン210型・富士号と桜号 |
[昭和32年(1957年)11月誕生] |
写真 |
p100 |
製品
| 日産ジュニア B40型[トラック](1956) |
昭和31年(1956年) |
写真と表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、最大積載量、総排気量 |
p100 |
製品
| [新中型トラック・]日産ジュニア第1号車オフライン |
[昭和31年(1956年)8月15日] |
写真 |
p101 |
業界;設備投資
| 自動車業界の設備投資推移 |
昭和26年(1951年)~昭和32年(1957年) |
棒グラフ、年、金額、メーカー別(四輪車メーカー、その他メーカー) |
p102 |
業界;催し
| 第1回全日本自動車ショー |
[昭和29年(1954年)4月] |
ポスターの写真と説明文 |
p102 |
事業所
| 吉原工場ダットサン組立ライン |
[昭和31年(1956年)頃] |
全景写真 |
p103 |
事業所;設備
| 横浜工場の組立ラインとコントロール室 |
[昭和30年(1955年)頃] |
写真 |
p104 |
生産性
| 生産性視察団 |
[昭和30年(1955年)7月] |
日本生産性本部が米国に派遣した生産性視察団自動車業界チームについてのコラム |
p104 |
価格;広告宣伝
| 値下げ広告 |
昭和32年(1957年)頃 |
設備の近代化・合理化によってダットサン(乗用車、トラック)、オースチン、ニッサンジュニア(トラック)の各車を一斉値下げした広告の写真 |
p105 |
政策
| 通産省の国民車育成要領案 |
[昭和30年(1955年)5月] |
昭和30年5月18日に報道された新聞記事の写真 |
p105 |
関係会社
| 日産車体、厚木自動車部品、日産ディーゼル工業 |
[昭和30年(1955年)、昭和31年(1956年)] |
各社工場の全景写真 |
p106 |
関係会社;製品
| 新日国工業[(現日産車体)]のニッサンパトロール第1号車 |
[昭和26年(1951年)] |
写真 |
p106 |
関係会社
| 関東精器、日本ラヂエーター、東京測範 |
[昭和27年(1952年)~昭和31年(1956年)] |
関東精器、日本ラヂエーターの工場全景写真と東京測範の工場内部の写真 |
p107 |
関係会社
| 横浜輸送、日産弘済会 |
[昭和29年(1954年)1月、昭和31年(1956年)12月設立] |
写真 |
p107 |
役員
| 川又克二[(9代)]社長、就任のあいさつをする川又社長 |
[昭和32年(1957年)11月30日就任] |
写真 |
p108 |
製品
| 追浜工場からつぎつぎに生れるブルーバード |
昭和37年(1962年) |
写真 |
〔109〕 |
製品
| ブルーバード 310 |
昭和34年(1959年)7月発売 |
写真 |
p110 |
事業所
| 追浜工場操業 |
[昭和36年(1961年)10月] |
写真と説明文 |
p112 |
生産;従業員
| 生産と従業員 |
[昭和30年代] |
工場で働く従業員の写真 |
p114 |
表彰
| [第10回]デミング賞[実施賞]受賞 |
[昭和35年(1960年)6月7日] |
デミング賞実施賞の表彰状写真 |
p115 |
製品
| 東京・数寄屋橋交差点を走る三輪トラック |
[昭和30年代はじめ頃] |
写真 |
p116 |
製品
| ブルーバードオフライン式(吉原工場) |
[昭和34年(1959年)7月] |
写真 |
p117 |
業界;生産
| 日本の自動車生産台数の推移 |
昭和33年(1958年)~昭和38年(1963年) |
棒グラフ、年、台数(普通トラック、小型トラック、乗用車) |
p117 |
製品;広告宣伝
| ブルーバード発表展示会 |
[昭和34年(1959年)7月29日] |
高輪プリンスホテルで開催した発表会の写真 |
p119 |
製品
| 日産車ネーミングの由来(量産乗用車) |
|
一覧、乗用車の名称(カタカナと英字)とネーミングの由来(セドリック、フェアレディZ、ローレル、スカイライン、ブルーバード、シルビア、スタンザFX、サニー、パルサー、ラングレー、マーチ) |
p119 |
製品
| ブルーバード310型(1959) |
[昭和34年(1959年)7月] |
写真と表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p119 |
製品;広告宣伝
| [新中型乗用車・]セドリック発表展示会 |
[昭和35年(1960年)3月] |
セドリック30型と発表展示会の写真 |
p120 |
製品
| セドリック30型(1960) |
[昭和35年(1960年)2月生産開始] |
写真、表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p120 |
製品;販売
| ブルーバードの登録台数 |
昭和34年(1959年)~昭和43年(1968年) |
棒グラフ、年、台数 |
p120 |
製品;生産
| ブルーバード410型月産1万台突破 |
[昭和39年(1964年)頃] |
写真 |
p121 |
製品
| ブルーバード510型 |
[昭和42年(1967年)8月発売] |
写真 |
p121 |
製品;生産
| 100万台目のブルーバードオフライン |
[昭和43年(1968年)] |
写真 |
p121 |
営業
| 活躍するニッサンサービスカー |
[昭和30年代後半] |
写真 |
p122 |
自動車
| 日本の乗用車新規登録台数の推移 |
昭和30年(1955年)~昭和40年(1965年) |
棒グラフ、年、台数 |
p123 |
教育・研修;施設
| 販売教育学校 |
[昭和40年(1965年)] |
写真と説明文 |
p123 |
製品;価格
| ブルーバードの値下げ |
[昭和37年(1962年)頃] |
新聞記事(各社も追随の動き 自動車業界 日産新型車の値下げで)の写真 |
p123 |
事業所
| 追浜工場建設予定地 |
[昭和34年(1959年)11月確保] |
写真 |
p124 |
事業所;設備
| 竣工した追浜工場とテストコース |
[昭和36年(1961年)] |
写真、[テストコースは昭和36年6月完成、追浜工場は昭和36年10月一部操業開始、37年3月竣工] |
p125 |
事業所
| [ダットサン乗用車の専門工場からトランスミッションとステアリングの専門工場として再編成した]吉原新工場 |
[昭和38年(1963年)2月完成] |
工場内の写真 |
p126 |
事業所;設備
| 座間工場、座間工場の生産ライン |
[昭和40年(1965年)5月竣工] |
写真 |
p126 |
製品
| ニッサントラック 680型(1959) |
昭和34年(1959年) |
写真と表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、最大積載量、総排気量 |
p126 |
製品
| フェアレディ1500 SP310型(1962) |
[1962年(昭和37年)3月発売] |
写真と表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p127 |
表彰
| [第10回]デミング賞[実施賞]受賞 |
[昭和35年(1960年)6月7日受賞] |
[授賞式の]写真 |
p127 |
表彰
| デミング賞 |
|
コラム |
p128 |
提携・合併
| 技術の2大頭脳<日産・プリンス>8月1日合併!、プリンス自動車工場との合併 |
[昭和41年(1966年)4月20日契約書に調印、8月1日合併] |
写真、合併新聞広告、合併契約書、調印式 |
p130 |
製品
| サニーB10 |
[昭和41年(1966年)4月23日発売] |
写真 |
p132 |
関係会社
| 日産グループの拡充 |
[昭和30年代後半~昭和40年代] |
関係会社各社の本社・工場・会社概要・定款等の写真とグループ拡大状況の説明文 |
p134 |
道路
| 東名高速道路開通式 |
[昭和43年(1968年)] |
写真 |
p137 |
製品;催し
| サニーオフライン式 |
[昭和41年(1966年)4月発売] |
写真 |
p138 |
製品;催し
| サニー車名発表会 |
[昭和41年(1966年)2月19日] |
写真 |
p139 |
製品;広告宣伝
| 車名公募キャンペーン |
[昭和41年(1966年)1月] |
[新型車1台+50万円が当たる]昭和41年の元旦広告の写真と新型車[・サニー]の発表にあたり大々的に実施したキャンペーンの内容 |
p139 |
自動車
| 日本の乗用車登録台数の推移 |
昭和41年(1966年)~昭和48年(1973年) |
棒グラフ、年、台数(普通・小型車、大型車、軽四輪車) |
p139 |
製品
| サニー B10型(1966) |
[昭和41年(1966年)4月23日発売] |
表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p139 |
製品;催し
| チェリーオフライン式 |
[昭和45年(1970年)10月] |
写真 |
p140 |
製品
| チェリー E10型(1970) |
[昭和45年(1970年)10月17日発売] |
写真と表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p140 |
提携・合併
| 日産・プリンス合併広告 |
[昭和41年(1966年)] |
「日本最大の自動車メーカー誕生!!」の広告写真 |
p141 |
提携・合併;経営
| [日産・プリンス]合併前後の諸指標 |
昭和40年(1965年)8月~昭和42年(1967年)7月 |
表、時期{合併前(日産、プリンス自工)、合併後(日産)}、指標{資本金、従業員、工場(敷地、建物)、自動車生産(40年8月~41年7月、41年8月~42年7月)、販売店、協力工場、サービス工場、その他のサービス拠点} |
p141 |
製品
| ローレル C30型(1968) |
[昭和43年(1968年)4月6日発売] |
写真と表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p141 |
関係会社
| プリンス自工小史 |
|
[プリンス自工と合併前の]富士精密工業正門の写真とプリンス自工歴史の説明文 |
p142 |
事業所
| [プリンス自工の主力工場で合併後生産設備の大幅な拡充を進めた]村山工場 |
[昭和42年(1967年)頃] |
写真 |
p143 |
事業所
| 三鷹工場 |
[昭和42年(1967年)頃] |
写真 |
p143 |
事業所;設備
| 栃木工場鋳鉄溶解炉 |
[昭和44年(1969年)頃] |
写真 |
p143 |
製品
| スカイライン S57D型(1967) |
1967年(昭和42年) |
写真と表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p143 |
事業所;設備
| 栃木工場とテストコース |
[昭和46年(1971年)4月竣工] |
写真、[テストコースは昭和36年6月完成、追浜工場は昭和36年10月一部操業開始、37年3月竣工] |
p144 |
生産性
| 当社の生産性推移 |
昭和39年度(1964年度)~昭和48年度(1973年度) |
折れ線グラフ、生産台数と従業員数 39年度=100{年度、指数(生産台数、従業員数)}、1人当り生産台数の推移(年度、台数) |
p144 |
設備
| エンジン自動組立機 |
[昭和48年(1973年)導入] |
写真 |
p145 |
提携・合併
| 富士重工業との業務提携発表 |
[昭和43年(1968年)10月21日] |
写真 |
p145 |
提携・合併;関係会社
| [技術提携と経営再建に協力した]愛知機械工業熱田工場 |
[昭和40年(1965年)頃] |
写真 |
p146 |
関係会社
| [東洋工業、フォードとの共同出資で設立した]日本自動変速機 |
[昭和41年(1966年)1月設立] |
写真 |
p146 |
販売;関係会社
| 日産ユーズドカーセンター |
[昭和45年(1970年)1月28日設立] |
写真 |
p147 |
教育・研修;施設
| 日産高等工業学校 |
[昭和28年(1953年)開設] |
写真、[開設時の名称は「日産自動車工手学校」] |
p147 |
福利厚生;施設
| 日産会館、日産保健センター |
[昭和44年(1969年)、昭和36年(1961年)完成] |
写真 |
p148 |
催し;広告宣伝
| ロンドンでの自動車ショー |
昭和48年(1973年) |
写真 |
〔149〕 |
貿易;販売
| 輸出車の船積み |
|
写真 |
p150 |
催し;広告宣伝
| サファリラリー、モンテカルロラリー//ラリーでの活躍と海外向けカタログ類 |
|
写真 |
p151 |
貿易
| 日本の輸出台数の推移 |
昭和30年(1955年)~昭和48年(1973年) |
棒グラフ、年、台数(乗用車、商業車) |
p154 |
製品;催し
| [米国市場向けに開発した]フェアレディ240Z発表会 |
[昭和44年(1969年)10月18日新発売] |
写真 |
p155 |
海外事業;施設
| 米国日産のサービス部品倉庫 |
[昭和43年(1968年)頃] |
写真 |
p156 |
催し
| オーストラリアラリー |
|
ラリーのコース付オーストラリアの地図とラリー参加の目的、成績などの解説文 |
p156 |
催し
| サファリラリー |
|
サファリラリー会場の写真とサファリラリーの特色、初参加(昭和38年)以降の日産の成績などの解説文 |
p157 |
販売;海外事業
| 台湾の販売会社 |
[昭和20年代] |
写真 |
p157 |
海外事業;関係会社
| タイのサイアムモーターズ本社 |
[昭和37年(1962年)頃] |
写真 |
p158 |
海外事業;関係会社
| 当時の米国日産本社 |
[昭和35年(1960年)9月設立] |
写真(ロサンゼルス) |
p158 |
海外事業;催し
| ロサンゼルス輸入自動車ショー |
[昭和33年(1958年)1月] |
写真と解説 |
p159 |
海外事業;関係会社
| カナダ日産本社(バンクーバー) |
[昭和40年(1965年)1月設立] |
写真 |
p160 |
海外事業;販売
| 米国における日産車販売台数 |
昭和39年(1964年)~昭和48年(1973年) |
棒グラフ、年、台数(乗用車、商業車) |
p160 |
貿易
| 当社の仕向地別輸出構成比 |
昭和39年(1964年)~昭和48年(1973年) |
棒グラフ、年、仕向地別%(北米、東南アジア、大洋州、欧州、アフリカ、中近東、中南米) |
p161 |
海外事業;関係会社
| メキシコ日産本社工場 |
[昭和36年(1961年)9月設立] |
写真、[丸紅飯田との共同出資] |
p162 |
海外事業;関係会社
| チリ日産 |
[昭和37年(1962年)設立] |
写真 |
p162 |
海外事業;関係会社
| 豪州日産 |
[昭和41年(1966年)9月1日設立] |
写真 |
p162 |
海外事業;施設
| 南アフリカ共和国のKD工場 |
[昭和36年(1961年)頃] |
写真 |
p162 |
事業所;設備
| 相模原部品センターの自動倉庫 |
[昭和40年代半ば頃] |
写真 |
p164 |
貿易
| 当社のKD輸出台数の推移 |
昭和40年(1965年)~昭和48年(1973年) |
棒グラフ、年、台数 |
p164 |
施設;催し
| [日本最初の自動車専用船・]追浜丸進水式 |
[昭和40年(1965年)8月] |
写真 |
p165 |
施設
| [当社の輸出基地・]本牧専用埠頭 |
[昭和42年(1967年)7月完成] |
写真 |
p165 |
貿易;販売
| 本牧埠頭での船積み風景 |
[昭和42年(1967年)頃] |
写真 |
p166 |
海外事業;施設
| [米国ロサンゼルス港に築いた]海外車両受入基地 |
[昭和45年(1970年)] |
写真 |
p166 |
技術
| 安全・無公害をめざす研究・実験 |
|
写真 |
p168 |
環境保全;設備
| グリーンキャンペーンポスター//追浜工場産業廃棄物処理設備//村山工場排水処理設備//座間工場排水処理設備//九州工場排水処理設備 |
|
写真 |
p170 |
生産;業界
| 日本の自動車生産台数の推移 |
昭和35年(1960年)~昭和48年(1973年) |
棒グラフ、年、台数(乗用車、商業車) |
p173 |
設備;インフラ
| 歩道橋 |
[昭和41年(1966年)頃] |
写真 |
p174 |
道路;インフラ
| バス専用レーン |
[昭和40年代後半頃] |
写真 |
p175 |
自動車;経済
| 日本の自動車保有台数の推移と1人当り国民総生産の推移 |
昭和35年(1960年)~昭和48年(1973年) |
棒グラフ、年、台数(乗用車、商業車、その他)、折れ線グラフ、年、1人当り国民総生産 |
p175 |
製品
| ESV、GR-1、NRV-11 |
[昭和40年代] |
写真 |
p176 |
安全管理
| ESV計画 |
[昭和40年代~昭和50年代] |
コラム |
p178 |
製品
| [世界一小型・軽量の]ニッサンESV |
[昭和48年(1973年)完成] |
表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、総排気量 |
p178 |
技術
| エンジンの燃焼テスト |
[昭和48年(1973年)頃] |
写真 |
p179 |
製品
| 通産相大型プロジェクトによる電気トラック実験車「ニッサンEX」 |
[昭和48年(1973年)] |
写真 |
p179 |
製品
| 電気トラック ニッサンEX(1973) |
[昭和48年(1973年)] |
表、寸法(長さ、幅、高さ)、車両重量、定員、最高速度、最大積載量、定格出力 |
p179 |
環境保全;キャンペーン
| グリーンキャンペーン |
昭和48年(1973年)1月~3月 |
マークと説明 |
p180 |
広告宣伝;施設
| 東京・銀座4丁目の日産ギャラリー |
[昭和30年代後半(1960年代前半)オープン] |
写真 |
p180 |
環境保全;安全管理
| 当社安全公害関係研究費の推移 |
昭和43年(1968年)~昭和48年(1973年) |
棒グラフ、年、金額(公害関係、安全管理) |
p180 |
技術;社会貢献
| 日産科学技術振興財団 |
[昭和49年(1974年)4月創設] |
創立40周年を機に創設した財団の説明 |
p181 |
催し;広告宣伝
| 創立40周年記念論文募集広告 |
[昭和48年(1973年)] |
「課題 人とクルマの明日のために。」をテーマにした論文の募集広告の写真 |
p181 |
役員
| 岩越忠恕[10代]社長、就任披露パーティ |
[昭和48年(1973年)11月29日就任] |
写真 |
p182 |
催し
| 創立40周年記念式典 |
[昭和48年(1973年)12月26日] |
写真、[於日産体育館] |
p182 |
販売
| 国内販売の強化 |
|
写真 |
p184 |
マーケティング;海外事業
| 海外マーケティング資料 |
[昭和48年(1973年)~昭和53年(1978年)頃] |
写真と説明 |
p186 |
海外事業;製品
| 海外での日産車 |
|
写真 |
p188 |
価格
| 日本のガソリン小売価格の推移(全国平均) |
昭和44年(1969年)~昭和53年(1978年) |
棒グラフ、年、金額 |
p192 |
販売;業界
| 日本の自動車販売伸び率推移(対前年同月比) |
昭和48年(1973年)6月~昭和49年(1974年)6月 |
折れ線グラフ、年月、% |
p192 |
製品
| チェリーF-11(1974) |
昭和49年(1974年)発売 |
写真と表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p193 |
製品;表彰
| サニー[1200]が米国EPA[(環境保護庁)]燃費テスト[ランキング]で第1位 |
[昭和48年(1973年)4月] |
新聞記事の写真 |
p193 |
製品
| サニー1400 |
[昭和48年(1973年)頃] |
写真 |
p193 |
製品
| サニーB210(1973) |
[昭和48年(1973年)5月1日発売] |
表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p193 |
設備;教育・研修
| 移動教育車 |
[昭和49年(1974年)頃] |
写真 |
p193 |
物流
| トレーラートラックによる陸送 |
[昭和55年(1980年)頃] |
写真 |
p196 |
販売;関係会社
| 日産ユーズドカーセンター |
[昭和45年(1970年)1月28日設立] |
写真 |
p196 |
製品
| シルビア S10型、シルビア S10型(1975) |
[昭和25年(1950年)発売] |
写真、表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p197 |
製品;催し
| オースターのオフライン式 |
[昭和52年(1977年)] |
写真 |
p197 |
製品
| キャラバンコーチ、ダットサントラック、サニーバネット |
[昭和51年(1976年)~昭和53年(1978年)] |
写真 |
p198 |
生産
| OES[(Order Entry System)] |
[昭和46年(1971年)完成] |
コラム |
p198 |
生産
| 世界の自動車生産台数 |
昭和48年(1973年)~昭和53年(1978年) |
棒グラフ、年、台数(乗用車、商用車) |
p199 |
自動車;需給
| 脚光を浴びる小型車 |
[昭和54年(1979年) |
『WARD'S AUTO WORLD』1979年10月号表紙の写真 |
p200 |
生産;貿易
| 日本の自動車生産台数と輸出台数の推移 |
昭和48年(1973年)~昭和53年(1978年) |
棒グラフ、年、台数(生産台数、うち輸出台数) |
p200 |
業界
| [日本自動車工業界と英国自動車製造・販売業者協会(SMMT)との間で開かれた]第1回日英自動車会談 |
[昭和50年(1975年)12月] |
「日英自動車業界 きょうトップ会談」という見出しの新聞記事の写真 |
p201 |
販売;貿易
| 九州工場から第1回輸出船積み |
[昭和50年代はじめ] |
写真 |
p202 |
製品;貿易
| 九州工場の輸出用ダットサントラック |
[昭和52年(1977年)3月輸出開始] |
写真 |
p202 |
製品;広告宣伝
| Datsun Saves |
[昭和50年代はじめ] |
[日産の]イメージが急速な高まりをみせた「DATSUN SAVES」の広告写真 |
p202 |
関係会社;海外事業
| ニュージーランド日産製造、台湾の裕隆汽車製造 |
|
写真 |
p204 |
事業所;製造工程
| 九州工場のダットサントラック・ライン(塗装) |
[昭和52年(1977年)1月竣工] |
写真 |
p205 |
事業所;設備
| 村山工場のマルチアームロボット |
[昭和52年(1977年)7月導入] |
写真 |
p206 |
設備
| [異なる車種を同一のラインで生産する]「汎用混流ライン」 |
[昭和52年(1977年)8月完成] |
コラム |
p206 |
設備;技術
| [燃費をそこなわずに規制をクリアするために開発した]NAPS-Zエンジン |
[昭和53年(1978年)開発] |
写真 |
p207 |
品質管理
| QCサークル発表会 |
[昭和50年代] |
写真 |
p208 |
役員
| 石原俊[11代]社長、石原社長就任あいさつ |
[昭和52年(1977年)6月29日就任] |
写真 |
p208 |
役員:事業所
| 工場巡回中の石原[俊]社長 |
[昭和52年(1977年)頃] |
写真 |
p209 |
社内報
| [管理者向けの]『ニッサンウィークリー』創刊号 |
[昭和54年(1979年)1月発刊] |
創刊号の写真 |
p210 |
事業所
| 本社新館 |
昭和57年(1982年) |
写真 |
〔211〕 |
海外事業;関係会社
| 米国日産自動車製造//米国日産自動車//豪州日産自動車製造//メキシコ日産//アルファロメオ・日産・自動車 |
|
写真 |
p212 |
技術;設備
| マーチラインの組立ロボット//科学衛星「てんま」の打上げ//エアジェットルーム//ボートショー//フォークリフト |
|
写真 |
p214 |
技術
| メタノールターボエンジン//NRV-II//燃料電池の研究//車内騒音測定//レーダーの研究//降雪実験 |
|
写真 |
p216 |
価格
| 原油価格の推移(アラビアン・ライトのバーレル当り公式価格) |
昭和49年(1974年)~昭和58年(1983年) |
折れ線グラフ、年、価格(ドル) 要所要所に国際経済情勢や出来事などを付記 |
p218 |
貿易;日米関係
| ITC[(米国国際貿易委員会)]公聴会 |
[昭和55年(1980年)10月] |
写真 |
p219 |
貿易;日米関係
| 高まる日本車への批判 |
[昭和56年(1981年)頃] |
写真 |
p220 |
提携・合併;業界
| 日米欧 主要自動車メーカーの提携関係 |
昭和58年(1983年)6月末現在 |
社名でつなぐ提携関係図(資本参加、共同生産・部品供給・販売提携・同予定、技術提携) |
p221 |
関係会社;海外事業
| 米国日産自動車[(NMMC)]製造 |
[昭和55年(1980年)7月28日設立] |
写真 |
p222 |
関係会社;提携・合併
| [資本参加したスペインの]モトールイベリカ |
[昭和55年(1980年)1月20日資本参加発表] |
写真 |
p222 |
関係会社;提携・合併
| [イタリア、アルファロメオ社との合弁会社・]アルファロメオ・日産・自動車[(ARNA)] |
[昭和55年(1980年)12月18日設立] |
写真 |
p222 |
関係会社;提携・合併
| 同社[(VW社)]工場でのパトロールオフライン式 |
[昭和56年(1981年)9月15日協力契約締結] |
写真 |
p222 |
関係会社;提携・合併
| メキシコ日産 |
[昭和36年(1961年)9月14日設立] |
写真 |
p223 |
関係会社;提携・合併
| 豪州日産自動車製造[(NMCA)] |
[昭和51年(1976年)4月1日設立] |
写真 |
p223 |
自動車
| 日本の新車登録台数の推移 |
昭和47年(1972年)~昭和57年(1982年) |
棒グラフ、年、台数(乗用車、商用車、軽四輪) |
p225 |
自動車;普及率
| 乗用車世帯普及率の推移 |
昭和47年(1972年)~昭和57年(1982年) |
棒グラフ、年、%(全普及率、うち複数保有率) |
p225 |
販売
| クルマ相談システム |
[昭和57年(1982年)導入] |
写真と説明文 |
p226 |
社会貢献
| [全国草野球大会・]ニッサングリーンカップ |
[昭和54年(1979年)開始] |
写真 |
p226 |
販売;営業
| クルマ相談コーナー |
[昭和57年(1982年)頃] |
写真 |
p226 |
技術;教育・研修
| [販売会社の整備技術者を育成するための]日産自動車整備専門学校 |
[昭和58年(1983年)4月開校] |
写真 |
p227 |
製品
| ラングレー N10型、レパード F30型、サニー B11型、ローレルスピリット B11型、リベルタビラ N12型、プレーリー M10型、マーチ K10型、スタンザFX T11型、オースターJX T11型、セドリック Y30型、グロリア Y30型 |
|
写真 |
p228 |
製品
| サニー1300 B11型(1981) |
[昭和56年(1981年)10月13日発売] |
表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p228 |
製品
| マーチ1000 K10型(1982) |
[昭和57年(1982年)10月22日発売] |
表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p228 |
製品
| バネット C120型、ダットサントラック 720型、サファリ 1609型、アトラス F22型、パルサーADバン VB11型、シビリアン W40型 |
|
写真 |
p229 |
製品
| ダットサントラック 720型(1979) |
[昭和54年(1979年)10月2日発売] |
表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最大積載量、総排気量 |
p229 |
製品
| バネット1500 C120型(1978) |
[昭和53年(1978年)11月6日発売] |
表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最高速度、総排気量 |
p229 |
製品
| アトラス150 F22型(1982) |
[昭和57年(1982年)2月10日発売] |
表、寸法(長さ、幅、高さ、軸距)、車両重量、定員、最大積載量、総排気量 |
p229 |
事業所
| 久里浜車両整備工場 |
[昭和50年(1975年)3月5日完成] |
写真 |
p231 |
施設
| [輸出基地・]追浜専用埠頭 |
[昭和58年(1983年)5月30日完成] |
写真 |
p231 |
施設
| [自動車専用船・](新)座間丸 |
[昭和54年(1979年)就航] |
写真 |
p232 |
関係会社;提携・合併
| オランダ日産 |
[昭和57年(1982年)3月11日設立] |
写真 |
p232 |
関係会社;海外事業
| 当社出資の海外現地法人(昭和58年7月末現在) |
昭和36年(1961年)9月~昭和58年(1983年)5月 |
表、地域(東南アジア、北米、中南米、大洋州、欧州)、現地法人{社名、設立年月、当社出資比率、事業内容) |
p232 |
海外事業;販売
| サウジアラビアのディーラー |
[昭和53年(1978年)頃] |
写真 |
p232 |
事業所;海外事業
| アテネ駐在員事務所 |
[昭和55年(1980年)設置] |
写真 |
p233 |
事業所
| 蒲原工場 |
[昭和56年(1981年)6月竣工] |
写真 |
p233 |
事業所
| [横浜工場]久里浜分工場 |
[昭和57年(1982年)8月本格稼働] |
写真 |
p233 |
技術;設備
| 冷間鋳造 |
[昭和54年(1979年)頃] |
写真 |
p234 |
技術
| ターボエンジン |
[昭和54年(1979年)頃] |
写真 |
p235 |
技術;施設
| テクニカルセンター[(神奈川県厚木・伊勢原)] |
[昭和56年(1981年)11月完成] |
写真 |
p235 |
社会貢献;施設
| 日産スポーツプラザ[(東京・東品川)] |
[昭和58年(1983年)4月竣工] |
写真 |
p237 |
技術
| 技能五輪 |
[昭和50年(1975年)頃] |
第20回技能五輪全国大会閉会式の写真 |
p238 |
関係会社
| 主要関連会社 |
昭和58年(1983年)9月末現在 |
表、会社名、設立年月、資本金、主要製品または営業品目 |
p239 |
関係会社
| 日産クレジット |
[昭和54年(1979年)社名改称] |
[設立時(昭和38年9月)の社名は「日産信用保証株式会社」] |
p240 |
関係会社
| [印刷会社・]日産グラフィックアーツ |
[昭和55年(1980年)1月設立] |
写真 |
p240 |
関係会社
| 日産トレーディング |
[昭和53年(1978年)4月設立] |
写真 |
p240 |
関係会社
| [旅行代理店・]日産航空サービス |
[昭和56年(1981年)4月設立] |
写真 |
p240 |
製品
| ニッサンヨット J/24 |
[昭和54年(1979年)生産着手] |
写真 |
p241 |
経営
| 東京国際ボートショー |
[昭和48年(1973年)] |
写真、[マリーン部門に進出、190馬力のマリーン・エンジンを開発して出展した昭和48年の第12回東京国際ボートショーで高い評価を得、販売も順調に拡大した] |
p241 |
製品;設備
| 村山工場のフォークリフト組立ライン、ニッサンサイレントフォークリフト |
[昭和49年(1974年)7月頃] |
写真 |
p242 |
製品
| [日本最初の人工衛星]「おおすみ」の打上げ―L[(ラムダ)]4S型ロケット |
昭和45年(1970年)2月11日 |
写真 |
p243 |
製品
| [科学衛星]「てんま」の打上げ―M3S型ロケット |
昭和58年(1983年)2月20日 |
写真 |
p243 |
製品;博覧会
| ニューヨーク世界博覧会のジェットルーム |
昭和39年(1964年) |
写真 [昭和38年(1963年)に製品化に成功した] |
p244 |
製品
| [繊維工場の]ニッサンジェットルームエアタイプ |
[昭和52年(1977年)頃] |
写真 |
p244 |
労働組合
| 自動車総連[(全日本自動車産業労働組合総連合会)]結成大会 |
[昭和47年(1972年)10月 |
写真 |
p246 |
労働組合;海外事業
| IMF日産世界自動車協議会の結成 |
[昭和48年(1973年)] |
結成時Meetingの写真 |
p246 |
社会貢献;表彰
| [労働組合による]福祉活動に対する総理大臣表彰 |
[昭和56年(1981年)12月] |
写真 |
p247 |
労働組合;労働運動
| 統一推進会[(自動車総連など6単産による「労働戦線統一推進会」)の発足 |
[昭和55年(1980年)9月] |
写真 |
p247 |
ブランド;広告宣伝
| DATSUNからNISSANへ |
[昭和58年(1983年)] |
コラム |
p250 |
広告宣伝;製品
| 広告に見る日産車の歩み “素晴シイ流線型小型自動車”ダットサン |
昭和8年(1933年)~昭和20年(1945年) |
ダットサン(乗用車、トラック)、ニッサン(乗用車、商用車、トラック)と年月日添付の広告(ポスター)の写真 |
p252 |
広告宣伝;製品
| 広告に見る日産車の歩み “タクシーは小型で快適なダットサン” |
昭和20年(1945年)~昭和33年(1958年) |
ダットサン(乗用車、トラック)、ニッサン(乗用車、トラック)、オースチンと年月日添付の広告(ポスター)の写真 |
p254 |
広告宣伝;製品
| 広告に見る日産車の歩み マイカー時代を走るブルーバード |
昭和34年(1959年)~昭和40年(1965年) |
車(ブルーバード、セドリック、フェアレディ、シルビア、プレジデント、ニッサントラック)と年月日添付の広告(ポスター)の写真 |
p256 |
広告宣伝;製品
| 広告に見る日産車の歩み 話題の新車―サニー1000 |
昭和41年(1966年)~昭和47年(1972年) |
車(サニー、ダットサントラック、スカイライン、ブルーバード、グロリア、サニートラック、ローレル、フェアレディ、サニーキャブ、ジュニア、チェリー、セドリック)と年月日添付の広告(ポスター)の写真 |
p258 |
広告宣伝;製品
| 広告に見る日産車の歩み 熱い待望への回答―スカイライン・ジャパン |
昭和48年(1973年)~昭和54年(1979年) |
車(バイオレット、シルビア、サニー、スタンザ、スカイライン、パルサー、ブルーバード)と年月日添付の広告(ポスター)の写真 |
p262 |
広告宣伝;製品
| 広告に見る日産車の歩み “マーチが街にやってきた” |
昭和55年(1980年)~昭和58年(1983年) |
車(ラングレー、レパード、サファリ、ダットサンバネット、スタンザ、スカイライン、サニー、シビリアン)と年月日添付の広告(ポスター)の写真 |
p264 |
役員
| 役員任期一覧 |
昭和14年(1939年)5月25日~昭和58年(1983年)6月29日 |
表、氏名、役職名(会長、社長、副社長、専務、常務、取締役、監査役、相談役)ごとに在任期間(就任年月日、退任年月日) |
p268 |
従業員
| 従業員数の推移 |
昭和9年(1934年)4月~昭和58年(1983年)3月 |
表、期日(年月)、人数 |
p270 |
売上;財務・業績
| 売上高・利益の推移 |
昭和9年(1934年)4月~昭和58年(1983年)3月 |
表、期(期、年月)、売上高、純利益 |
p270 |
生産
| 生産台数の推移 |
昭和9年(1934年)~昭和57年(1982年) |
表、年、乗用車、トラック(普通車、小型四輪車、計)、バス、合計、累計 |
p271 |
貿易
| 輸出台数の推移 |
昭和9年(1934年)~昭和57年(1982年) |
表、年、乗用車、商用車、合計、累計 |
p271 |
事業所
| 工場概要 |
|
工場名(追浜工場、座間工場、村山工場、栃木工場、九州工場、横浜工場、久里浜分工場、吉原工場、蒲原工場、荻窪事業所、川越事業所、三鷹事業所、相模原部品センター)、それぞれ所在地、敷地、従業員数、事業内容、および上空からの写真付き |
p272 |
業界;沿革
| 日本の自動車メーカー系譜図 |
明治31年(1898年)~昭和57年(1982年) |
沿革図、社名(設立・子会社化・出資・提携・合併・業務提携・資本提携の年月、異なる線で「四輪車以上の自動車を生産した期間」「二、三輪車の生産またはその他の事業を行なった期間」「出資・提携など」を示す |
p274 |
沿革
| 年表 前史 |
明治43年(1910年)6月25日~昭和8年(1933年)10月31日 |
年表、年、月日、主要事項 |
p276 |
沿革
| 年表 本史 |
昭和8年(1933年)12月26日~昭和58年(1983年)6月22日 |
年表、年、月日、主要事項 |
p276 |