帝国人造絹糸(株)『当社の沿革と化学繊維工業の概観 : 創立三十周年記念』(1949.06)

会社名 帝国人造絹糸(株)
Teikoku Jinzo Kenshi Kabushiki Kaisha
Teikoku Jinzo-Kenshi Kaisha, Ltd.
書誌事項 [ 1950 / A462 ]当社の沿革と化学繊維工業の概観 : 創立三十周年記念 / 帝国人造絹糸株式会社調査課編
[東京] : 帝国人造絹糸 : 1949.06
428p, 図版14枚 ; 27cm
Tosha no enkaku to kagaku sen'i kogyo no gaikan : soritsu sanjisshunen kinen
英文社名: Teikoku Jinzo-Kenshi Kaisha, Ltd. (巻頭の商標) ; 奥付の編輯兼発行人: 帝国人造絹糸株式会社調査課 西村鉄次郎 ; 印刷: 明文堂印刷 ; はり込図4枚, 折り込図7枚 ; 非売品 ; 縦組み ; 表見返しに三原, 裏見返しに岩国錦帯橋の絵
各種ID 『会社史総合目録 増補・改訂版』一連アイテム番号:1028 / 『主要企業の系譜図』図番号:5-24 / 『企業名変遷要覧』企業番号:2315(帝人(株))
所蔵リンク
会社沿革と社史メモ 東京帝大に学んだ久村清太(くむら・せいた、1880-1951)と秦逸三(はた・いつぞう、1880-1944)は鈴木商店子会社の東工業(株)で人造絹糸製造の研究を進め、1915年(大4)分工場の米沢人造絹糸製造所が発足。第一次大戦景気で生産が伸び、1918年(大7)東工業から分離して帝国人造絹糸(株)が創立。広島、岩国、三原にも工場を建設して設備を増強し、昭和期には需要の変化に対応しスフの生産を拡大する。戦災を蒙るが、占領期GHQの承認を得た政府の繊維産業再建計画により戦後復興を果たす。30年史は会社史、国内外の化学繊維工業史、各種資料、回顧録等からなり、会社史では会社と各工場、研究所、調査課それぞれの沿革の後に、鈴木商店の破綻や関係会社、労働組合等の状況に触れている。巻末統計表の多くは英文併記。[1962年(昭37)帝人(株)と改称][スフ(ステープル・ファイバー=staple fiber):人造絹糸(人絹)を短く裁断したもの。人絹製造の際大量に発生する屑糸であったが、羊毛や綿と混紡することで従来の織物に種々の変化を与え、かつ安価で提供できたので、広く需要が伸びた]
日経業種 繊維
会社名・団体名変遷図
渋沢栄一伝記資料事業名
センター・ブログ
PermaLink https://shashi.shibusawa.or.jp/details_basic.php?sid=1950
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