(株)大広『Daiko』(1994.03)

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目次項目 ページ
前口絵 巻頭
発刊に寄せて 代表取締役会長西尾昭二郎 NP
発刊のことば 代表取締役社長片山恂 NP
本編 p1
序章 大広の年輪―創立五十周年、創業百周年― p1
第一章 創業両社の変遷と広告業界 合同までの五十年(一八九三-一九四四年) p5
第一節 金水堂の創業と福井健造 p6
売薬業だった福井家 p6
広告取次業が本業に p7
福井晃の履歴書 p8
金水堂の役員名簿 p9
不ぞろいな関係文献 p9
二十六年創業に確定 p11
古地図・古誌の記載 p13
三丁目から二丁目へ p15
第二節 京華社の創業と後川文蔵 p15
画期的な年、二十八年 p16
戦争と博覧会で活況 p17
好機をとらえて創業 p17
創業当時の新聞状況 p19
相次いで支店を開設 p20
念願の三条通に進出 p20
大正十年、三条烏丸へ p21
小冊子で京華社PR p22
通信や自動車も経営 p23
日出新聞社長に就任 p24
広告マンらしい企画 p25
日出新聞社屋を新築 p26
文蔵、惜しまれる急逝 p27
人柄しのばせる挿話 p27
第三節 明治期の広告業界 p29
広告取次業の始まり p29
日刊新聞の発刊状況 p31
明治初期の新聞広告 p33
福沢諭吉の広告文 p34
十年代の新聞広告 p35
販売店が広告業兼営 p36
朝日の急成長と広告 p37
激動の二十年代初期 p38
初の総選挙の実態 p39
国会召集と速報態勢 p40
先駆、万年社の誕生 p41
大阪毎日新聞の発刊 p43
初の業者団体を結成 p43
万年社、大朝と取引 p44
日清戦争と新聞論調 p45
雑誌の博報堂うぶ声 p46
日本広告(電通)の創立 p47
「連合広告」など案出 p48
大英百科全書の貢献 p49
日露戦争と講和条約 p50
戦勝景気と広告活動 p52
王者やはり売薬広告 p53
華やかに化粧品広告 p55
食品や百貨店の広告 p57
出版広告もにぎやか p58
盛衰著しい新聞各社 p59
第四節 大正期の広告業界 p61
激変期の二大特ダネ p61
世界大戦とロシア革命 p62
米騒動と「白虹」事件 p63
好況から反動不況に p64
主な商品の広告活動 p65
「協同会」と「水曜会」 p66
新聞総覧と広告年鑑 p67
代理店取引の責任額 p69
代理店の担当広告主 :70
両社のお得意先一覧 p71
京華社の月桂冠扱い p75
案内広告欄の隆昌期 p75
関東大震災で大痛撃 p77
朝毎両紙の対抗意識 p78
広告活動回復へ向く p79
京華社の「初風」山車 p79
ラジオ放送の始まり p80
「普選」と治安維持法 p81
第五節 昭和初期の広告業界 p83
誤報で開幕した昭和 p83
大恐慌が二度も襲来 p84
満州事変で不況脱出 p86
上向きに転じた広告 p86
「円本ブーム」の寄与 p88
化粧品や食品の広告 p89
人口の都市集中進む p90
躍進期の百貨店広告 p91
普選実施と新聞広告 p93
案内広告さらに伸長 p94
広告量で東京優位に p95
広告代理店の実力度 p96
五重塔再建と京華社 p97
助け合った朝読両社 p98
有力新聞相次ぎ消滅 p100
第六節 戦時下の広告業界 p101
節目の十一、十二年 p101
「神風」号の訪欧飛行 p102
日中戦争と総動員法 p103
広告の受難期が到来 p104
共販実施と各紙部数 p105
太平洋戦争の泥沼へ p107
まず新聞の整理統合 p108
広告企業の整理統合 p110
大和広告と協和広告 p111
巻き返し大阪は四社 p114
ツルの一声で決まる p115
広告代理業の新地図 p116
近畿広告の合同調書 p118
合同直前の取引実態 p121
第二章 合同後の体制と業容の拡大 近畿広告時代(一九四四-一九五八年) p123
第一節 戦火の中の門出 p124
一九四四年三月一日 p124
旧「金水堂」を本店に p124
定款記載の事業目的 p125
開業告げる新聞広告 p126
統合はしたが不統合 p128
細々とした営業活動 p130
役員のラインアップ p131
人も新聞も痩せ細る p132
太田が代表取締役に p133
近畿広告の食事手当 p135
竹槍では間に合わぬ p136
空襲で本店など全焼 p138
八月十五日の思い出 p139
福井、監査役に退く p141
ようやく新経営体制 p142
第二節 戦後の苦難乗り越えて p143
新聞用紙の供給不足 p143
少ない紙面での広告 p144
「経済白書」は訴える p147
新聞広告で顧客殺到 p148
食糧難とインフレ p149
次々に増資を重ねる p150
朝日・近鉄の資本参加 p152
業績も飛躍的に急伸 p155
大杉製薬と任天堂 p157
会社の形次第に整う p157
高麗橋に本店構える p159
第三節 民放ラジオの勃興期 p160
CBCが第一声放つ p160
株式募集に東奔西走 p161
先発局の収支は快調 p163
初CM「精工舎の時計」 p164
民放初期の営業活動 p165
放送企画部の全盛期 p167
放送企画部の隔絶感 p169
朝夕刊十二ページに :170
水曜会の申し合わせ p171
新聞に及ぼした刺激 p173
若手の意気「蛇の目会」 p174
十周年に謝恩の催し p175
第四節 高度成長期を迎えた広告 p177
ポイントの「五五年」 p177
マーケティング時代 p179
広告費の伸びも高率 p181
近畿広告の急膨張期 p182
「消費者運動」の企画 p182
第五節 テレビ時代の到来 p184
「日本テレビ」の開局 p184
鈍かった大阪の動き p186
近畿広告も出遅れる p187
OBが語る不協和音 p190
先発局による系列化 p191
第六節 近畿広告の瑳鉄 p194
「不祥事件」の発覚 p194
業界揺るがせた事件 p196
「使途不明金は不問」 p197
業界誌や柴田の指摘 p199
経理面に後遺症残す p201
小田中への吉田書簡 p202
役員を四名にしぼる p203
第三章 中興の偉業と近代化の推進 小田中社長時代(一九五八-一九六九年) p207
第一節 衆望を担って登場 p208
定款で社長制を明記 p208
万年社に五年間在籍 p209
直ちに大改革に着手 p211
就任披露パーティー p212
旧弊の歩合制を廃止 p212
歩合制の歴史と証言 p214
第二節 大広繁栄の基盤築く p216
飛躍めざましい業界 p216
商号を大広に変更 p217
社内募集で三人当選 p218
今橋に新社屋が完成 p219
盛大を極めた落成式 p221
取扱高も百億円達成 p223
電通の「総合連絡制」 p224
第三節 「三人男」をスカウト p226
まず市橋にアタック p226
角南と室井を加える p228
機構の近代化を図る p231
次々に新人事を断行 p232
第四節 県版扱店の吸収統合 p233
奈良版広告の想い出 p233
地方版広告と取扱店 p234
取扱店も整備に苦慮 p235
地統部を新設し対処 p236
難問を解決し新発足 p237
地元媒体に扱い拡大 p239
第五節 固陋な体質刷新に挑む p240
小田中社長の大広評 p241
幹部人事を次々発令 p242
芸映プロと業務提携 p243
米の4A大会に出席 p243
功労者竹尾の逝去 p244
第六節 初のAE、カゴメの作業 p245
角南中心に全力傾注 p246
品質の良さを前面に p248
“危機”に懸命な対応 p249
東京移行後も緊密に p250
第七節 近代化へ数々の試み p251
「グレイ大広」を設立 p251
創立二十周年を祝う p254
ニューヨーク博視察 p255
グレイ社に株式譲渡 p257
衆知を集め機構改革 p258
朝日新聞と共同調査 p259
次々にマーケ発行物 p262
第八節 電波部門での巻き返し p264
放送広告の勢力地図 p264
長寿の「真珠の小箱」 p265
好評「近鉄金曜劇場」 p266
「てなもんや三度笠」 p267
「おやじバンザイ」 p269
グリコの「ロボタン」 p269
「大広の信者」の講演 p270
ナリスのラジオ放送 p271
第九節 戦後最悪の不況の中で p272
初の前期比マイナス p272
新聞広告とくに不振 p274
自動車セミナー実施 p275
大阪業者協会の設立 p276
理事長に小田中選出 p277
「大広の責務を痛感」 p278
第十節 改革の成果と変動の波 p280
東阪名に二人次長制 p280
池田と藤井の逝去 p281
「経営改善のために」 p282
二本立て主義の経営 p283
原価計算制度の採用 p284
助松・世田谷・若水寮 p285
印刷展を本社で開催 p286
「日本の秋」が最高賞 p287
技術部に合理化の波 p288
「不当配転」でもめる p289
“大化の改新”を断行 p290
柴田、副社長に昇任 p293
日立の洗濯機のAE p294
万博キャラバン展開 p295
第四章 発展の過程に改善の課題 進藤・高垣両社長時代(一九六九-一九八三年) p299
第一節 進藤社長の登場 p300
いざなぎ景気の最中 p300
“顔の広さ”買われて p300
科学的な経営めざす p302
この期業績は絶好調 p303
万博でキリスト教館 p304
「重ね刷り」と地方版 p305
第二節 経営近代化への格闘 p307
電算機時代の幕開け p307
経営五ヵ年計画発足 p308
土曜休日制スタート p309
「査定」で12日間スト p311
大阪・東京に本部制 p313
第三節 スタッフ部門の活躍 p314
太田投手のCF制作 p314
「アペール」のAE p314
海外ファッション情報 p315
各種のデータを刊行 p316
第四節 創立三十周年を迎える p317
石油ショックの襲来 p317
発展祝い飛躍を誓う p318
柴田と井上の回想記 p319
表彰などの慶事続く p321
第五節 霧消、博報堂との提携 p322
“二、三位連合”図る p322
進藤社長は合意せず p323
「技術面提携」で復活 p324
相手側の事情で解消 p324
第六節 流通業界に名を馳せる p325
パリ大丸開店を披露 p325
五周年でもイベント p327
驚異のダイエー特集 p327
オレンジ・エスコート p328
「五つのお約束」掲げ p329
割引券を新聞に印刷 p330
第七節 民放の発展とCRの活躍 p331
“腸ねんてん”の解消 p331
くじ引きのいたずら p333
新聞社の持ち株整理 p333
大広創立の記念番組 p334
続々と買い切り番組 p335
IBA賞やACC賞 p337
沖縄海洋博では映像 p338
武田「ベンザエース」 p339
第八節 高垣社長の就任 p340
経済通を掲げて登場 p340
赤字体質改善に意欲 p342
「東京中心」打ち出す p343
第九節 中国進出と「望郷の星」 p344
広告公司と覚書交換 p345
PR映画や広告看板 p346
サントリー創業記念 p347
各界から絶賛受ける p348
第十節 北京で国際マラソン p349
「望郷の星」に導かれ p350
沿道の応援に百万人 p350
日中友好促進に寄与 p351
中国少数民族の祭典 p352
第十一節 ポートピア'81での成果 p353
地方博覧会の好見本 p353
超人気のダイエー館 p354
開門と同時に長い列 p355
ガラテ館とKDD館 p356
第十二節 “中興の祖”小田中逝く p357
不屈の生涯七十六年 p357
業界の発展にも尽力 p358
数々の「小田中語録」 p358
第十三節 突然、再び進藤社長 p360
高垣社長ら四氏退く p360
性急に過ぎた?施策 p362
西尾専務が代表(取)に p363
企画推進室デビュー p364
第十四節 活発化した営業活動 p366
横浜で国際女子駅伝 p366
ヘルシンキ世界陸上 p367
セシールの番組獲得 p368
一時期、扱いを独占 p368
通信販売特集を発行 p369
「スコーピオ」のAE p370
第十五節 東京本部、芝公園に移転 p371
進藤社長に「吉田賞」 p371
一つの城にまとまる p371
第五章 再建へ結束、飛躍の基盤築く 西尾社長時代(一九八三-一九九二年) p375
第一節 広告に通暁した社長 p376
重大な岐路に立って p377
BIG WAVE賞 p379
営業統括本部を新設 p379
60歳定年と年金基金 p381
第二節 国際化路線再び活発化 p382
韓国聯合広告と提携 p383
FCBと一時は提携 p383
中国で「おしん」放映 p384
海外初の北京事務所 p385
西尾社長中国で講演 p385
上海で女子マラソン p387
海外拠点に積極姿勢 p387
香港、NY、台湾に p388
第三節 新しい活動領域の開拓 p389
御堂筋パレード進発 p389
鉄道博とオルメカ展 p391
「河川博」と「交通博」 p392
二つの「エジプト展」 p393
つくば博でKDD館 p395
「東京プレタ」を開催 p396
「ファミリア」のAE p397
マツダ・トラック・クラブ p398
新潟で初の地域開発 p400
金陵の郷と納得工房 p401
第四節 両巨頭、相次ぎ逝く p402
花びらの散るように p402
船渡御の鐘に送られ p403
第五節 単発ドラマや舞台公演 p404
「新島襄とその妻」 p405
「明大島岡監督物語」 p405
東山魁夷の「道」「旅」 p406
「小沢征爾1991」 p407
91歳「北島忠治物語」 p408
全労済の「白姫伝説」 p408
第六節 不況乗り切り低迷脱出 p409
三期連続二ケタ成長 p410
業績向上と体質改善 p411
経営陣容と役員異動 p412
「複眼戦略」を明確化 p413
東・阪を六本部制に p414
地方十事業所を閉鎖 p415
第七節 新大阪に本社ビル完成 p416
最新の機能を備えて p417
愛称はACCESS p418
八八〇名迎えて披露 p418
新しいVIも決まる p419
新スローガンも決定 p420
東京もスペース倍増 p420
「機関車の両輪整う」 p421
大広今橋ビルも誕生 p422
第八節 空前の博覧会時代に活躍 p422
中国の「古代科学館」 p423
両会場で瀬戸大橋博 p424
海島博では遣唐使船 p426
「花博」に全力あげる p427
理念を表す館を担当 p427
市・府の館に携わる p428
大輪会とタケダの館 p428
歌舞伎公演や大相撲 p429
第九節 官公庁・団体業務に積極関与 p430
逓信博物館の大改装 p431
くじ付きはがき抽選会 p431
国際切手展も完璧に p432
大阪市制百周年式典 p433
フォーラムにも参画 p434
「東京フロンティア」 p435
都庁舎見学会を運営 p436
全国・自然を歩く会 p437
道路公団にもタッチ p438
全中の米を守る大会 p438
第十節 クライアントの繁栄と共に p439
カゴメのブイトーニ p439
オレンジページ創刊 p440
ダイエー球団のCI p441
NTNのCIも扱う p442
さくら銀行のマーク p442
日立家電のCI達成 p443
日本触媒の完全CI p444
コープこうべのCI p444
森本製作所の全作業 p446
建築業協会の仕事も p447
展示場運営花ざかり p447
周年記念の企業広告 p448
ハヤシと新規に取引 p449
「カルベ」と「香梅酒」 p449
シチズンの扱い拡大 p450
「海遊館」のオープン p450
高校生の料理腕比べ p451
第十一節 文化・スポーツ催事も多彩 p452
「芥川賞・直木賞展」 p452
各地で谷崎潤一郎展 p452
異色「香りの美楽展」 p453
ムラタヒューマントーク p453
北米で歌舞伎を公演 p455
オーストラリアでも p455
東南ア四都市も巡回 p456
広島・愛媛でも開催 p457
日米結ぶ国際シンポ p457
開館公演に「火の鳥」 p458
アートフラワー展 p458
JALの京都音舞台 p459
大阪の全ホール占拠 p461
ピースのコンサート p462
故宮からくり時計展 p462
北海道マラソン出走 p463
エプソン日米ボウル p464
日動火災の日本陸上 p465
近鉄百で「大相撲展」 p465
プロ四球団と関わる p466
第十二節 社勢を象徴する慶事 p467
「広友会」嬉しい発足 p467
独身寮が市川に完成 p468
西尾社長数々の受賞 p469
本社の“緑”など受賞 p470
第十三節 昭和から平成へ、世界も激動 p471
ご病状案じた四ヵ月 p471
冷戦終結とソ連消滅 p472
湾岸戦争で緊張続く p472
バブルの崩壊と不況 p473
第六章 新たな経営理念で更なる飛翔へ 片山社長の登場(一九九二年-) p475
第一節 片山丸、激動の中の船出 p476
西尾会長・片山社長 p476
「風通し良い会社」に p477
二十七年ぶりの不振 p478
ロンドン支局を開設 p480
高田副社長、相談役に p480
「飛躍年」スローガン p481
第二節 不況乗り切りに懸命の努力 p482
セガのソフトを販促 p482
首都高速の工事広報 p483
りえ・たけし初共演 p483
関西風味(生)ビール p484
モグモグGOMBO! p485
「夢のオムレツ大賞」 p486
「旅のテーマ館」誕生 p487
近畿銀行の五十周年 p487
「けいはんなプラザ」 p488
第三節 博覧会業務に積極取り組み p489
「三陸・海の博覧会」 p489
「富山博」では電力館 p490
ジェノバ博でも活躍 p491
韓国の旅行博で成功 p492
第四節 スポーツや文化イベント p493
ゴルフツアーを運営 p493
大相撲香港場所開く p494
「福岡ドーム」開幕戦 p495
クボタ利根川講演会 p496
旭川・秋田で大歌舞伎 p497
全労済で筒井歌舞伎 p497
御木本幸吉のドラマ p498
ステッセルのピアノ p499
熊野詣650キロウオーク p499
四天王寺千四百年祭 p500
第五節 空間メディア部門での活躍 p502
「TAMAらいふ21」 p503
「アムラックス大阪」 p504
運営に新会社を設立 p505
「ソーラ新大阪21」 p506
大阪市下水道科学館 p507
「大阪ドーム」に参画 p507
第六節 社内体制、近代化へステップ p508
社員研修制度の流れ p508
八四年度から本格化 p509
人材育成に積極投資 p510
研修専門組織を強化 p511
「DANCE」を導入 p512
「百周年」の役員体制 p513
第七節 長期経営計画と企業理念 p515
大広がめざす方向 p515
「社員とともに」立案 p516
新生大広の「顔≒志」 p517
決意も新たに新世紀へ p518
第七章 ネットワークの歩み p519
【東京編】 p520
1. 銀座で生まれ京橋で支店に p520
中華料理屋に出張所 p520
読売の雑報買い切り p521
ラジオ扱いの黎明期 p522
テレビ時代の幕開け p524
2. 支店から支社へ、躍動始まる p525
逸早く録音スタジオ p525
日立関係との出会い p526
ネットワークの拡充 p527
銀座西七丁目に集結 p528
本格的にテレビ参入 p530
「ガードマン」に発展 p531
高校野球のTV中継 p532
3. イベントや屋外広告へ進出 p533
いすゞキャンペーン p533
続々とネオン塔建設 p534
CMにタレント起用 p535
深夜二時の引っ越し p537
日立のラジオ長寿番組 p538
ダイエーの開店作業 p539
コダックの製品AE p540
4. 体制の強化と業績の向上 p541
嶋田-川内のコンビ p541
エリアマーケの始め p542
官庁へのアプローチ p543
新風吹き込んだ塚本 p545
ツーリズムへの対応 p545
フェリー時代を拓く p546
5. 本部に昇格、社の中軸に p547
日立やマツダの成果 p548
エイボンのAE獲得 p549
日本文化センター p549
新聞社との共同企画 p550
ラジオではセミナー p551
有楽町期後半の軌跡 p552
6. 新拠点での飛躍を確信 p560
【名古屋編】 p562
1. 胎動から基礎づくりの50年代 p562
偶然の出会いが契機 p562
柴田俊彦が支店長に p563
東桜に木造の新社屋 p564
交通媒体や屋外広告 p564
CBCのラジオ番組 p565
鉄筋ビルに建て替え p567
伊勢湾台風で犠牲者 p568
中谷支社長の奇禍 p569
2. 業域を拡大した60年代 p570
広告表現技術の向上 p570
飛躍したラテの扱い p570
ネオン・店装・印刷 p572
朝日三県版買い切り p574
3. 体質改善めざした70年 p574
営業方針の徹底図る p574
催事など新領域開発 p575
「媒体営業」気を吐く p576
全て幻、名古屋五輪 p577
4. SP部門の多彩な80年 p578
「屋外」の賃貸料年一億 p578
ドラゴンズ扱い急増 p579
宵まつり実施と継続 p579
国際センタービルへ p581
5. 緑化フェアと世界デザイン博 p582
大広だけが全面参画 p582
大事業に多面的活躍 p583
JTの音楽イベント p585
寛斎氏のメーン催事 p585
世界初の楽器を作る p586
支社の貴重な財産に p587
6. 支社設立五十周年へ向けて p587
新事業に果敢に挑戦 p588
更なる発展に燃える p589
【京都編】 p590
1. 近畿広告の支店時代 p590
寺町二条で基礎固め p590
初期に活躍した人々 p591
欠乏の時代だが活気 p592
月給、一年で十倍に p592
広告映画部短い活躍 p593
SP部門逸早く発足 p594
「黄桜」のカッパ登場 p594
社員だけで軽音楽団 p595
2. 大広支社として躍進 p596
河原町二条の社屋へ p597
老舗の創業年代番付 p597
祇園祭のテレビ番組 p598
文化企画に積極対応 p599
国際会議場の初催し p600
アサヒグラフ大特集 p600
支社歌を合唱し邁進 :601
3. 市場の主導めざし猛進撃 p602
ワン・ポイント作戦 p602
新規得意を次々開拓 p604
大広講師陣の講演会 p604
電波・新聞で新記録 p605
歳末にサヨナラ市電 p606
裏千家の「淡交」扱う p606
改暦百年カレンダー p607
4. 不況期を全力で乗り切る p607
増・新築の開業扱う p608
玉姫殿の扱い始まる p608
CF制作異例の急増 p609
サケパックの角気球 p610
「染と織の祭典」扱う p610
自治体の仕事で成果 p611
環境浄化の連合広告 p612
「五つの誓い」で活力 p612
友禅生誕記念まつり p613
源平八〇〇年の特集 p614
5. 四条通へ進出、新たな前進 p615
R&D営業への挑戦 p615
幅広い営業活動展開 p616
支社廃止、営業局に p616
全朝日の延暦寺広告 p617
観光活性化へ手助け p617
花博の事業にも参画 p618
「キンシ正宗」のCI p618
顕如宗主の四百回忌 p619
知恩院三門修復広告 p620
長岡京のガラシャ祭 p620
6. 次なる飛躍をめざして p621
新たな対応を課題に p621
【神戸編】 p623
1. 戦災、復興から基礎づくり p623
待望の新社屋できる p623
「硬派の近畿広告」 p624
第二次、三次産業へ p626
神戸から「流通革命」 p627
堅調続けた朝日県版 p627
2. 近代的代理店へテイクオフ p628
神戸・朝日併載戦略 p629
電波でも開拓に成功 p630
初のAE制スタート p630
3. 飛翔、そして安定成長へ p631
神戸の原点に新社屋 p631
ピーク時は一〇六名 p632
急伸長する朝日県版 p633
トータル企画へ発展 p634
フェリーすべて扱う p635
CR部門の質の向上 p635
サンTVに全面協力 p636
テレビへの立ち遅れ p637
4. 多角化へ向かう営業活動 p637
SC続々とオープン p638
官公庁への取り組み p640
ポートピア'81の成功 p641
コンベンション始動 p642
民間の催事も大型化 p643
落ち込んだ朝日県版 p644
低成長にあえぐ支社 p645
阪神営業所を閉鎖 p647
5. 改革とよみがえる生産性 p648
機構改革と組織変更 p648
朝日県版の収益回復 p650
コープこうべの展開 p651
さくら銀行への実績 p652
行政体とのかかわり p654
催事のレギュラー化 p655
西の拠点、姫路支局 p656
6. 回顧と展望=結び p657
ストックされる「時」 p657
地域的歴史的固有性 p659
期待される神戸市場 p660
【地統編】 p661
1. 近畿広告出張所の時代 p661
朝日新聞広告取扱所 p661
朝日の看板にすがる p662
2. 名実ともに大広に統合 p663
時代の波に対応して p663
高度成長期に大躍進 p664
求人広告がドル箱に p665
「県版型」と「AE型」 p666
3. 拡大均衡戦略で黄金期 p667
着実に扱い高増やす p667
有力広告主も次々に p668
自動車・不動産・流通 p669
4. 停滞期を迎えて新戦略 p670
自治体へアプローチ p670
地統特有の位置づけ p671
【九州編】 p673
1. 誕生そして夜明けの訪れ p673
朝日広告を吸収合併 p673
一年後には社屋新築 p674
朝日県版完売を主に p675
人も増え支社に昇格 p676
2. 発展への基盤固める p677
営業所を次々に新設 p677
改革へ諸制度整える p677
祭りを取り込み企画 p678
九州からも大量異動 p679
3. 活発な営業活動を展開 p679
まずモラールの向上 p679
六営業所のスナップ p682
念願の新社屋が完成 p683
扱い高も記録を更新 p684
4. 多彩な企画で業績上げる p684
博多っ子支社長誕生 p684
国際イベント第一号 p685
社長賞の栄誉重なる p686
大型デパートの開業 p686
新スローガン掲げて p687
九電の仕事を新開拓 p688
スポーツ催事活発化 p689
新体制で新たな躍進 p690
補編 p693
大広健康保険組合 p694
大広厚生年金基金 p696
中口絵 p699
新聞の企画 p699
雑誌の企画 p699
ラジオの企画 p699
テレビの企画 p699
屋外広告 p699
イベント p699
文化イベント p699
芸術イベント p699
スポーツイベント p699
博覧会 p699
国際花と緑の博覧会 p699
環境デザイン p699
新商品開発の企画 p699
CI & VI p699
クリエイティブ作品 p699
マーケティング刊行物 p699
本社刊行物 p699
社内報「だいこう」 p699
資料編 p729
定款 p731
歴代役員任期一覧 p732
歴代代表者 p734
現役員 p735
大広組織図 p736
日本の広告費と大広主要指標 p737
事業所・関係会社の変遷 p738
事業所所在地 p752
主な関係会社 p753
大広制作賞・DYA賞表彰リスト p757
大広および大広社員の栄えある記録一覧 p767
年表 p769
主要参考文献 p846
あとがき p848
索引リスト
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