(株)帝国ホテル『帝国ホテルの120年』(2010.12)

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目次項目 ページ
ごあいさつ 代表取締役社長 小林哲也 NP
口絵 巻頭
1 迎賓館を兼ねるホテルの誕生 p4
有限責任東京ホテル設立とその時代 p4
1887年、東京、日本 p4
欧米との交流進展と「条約改正」 p4
鹿鳴館外交の推進 p5
官庁集中計画 p6
日本の迎賓施設とホテル事情 p7
延遼館と泉布観 p7
横浜から発達した民間ホテル p7
帝国ホテル設立に結集した「我等」 p9
官側の立役者・外務卿井上馨 p9
渋沢栄一と大倉喜八郎 p10
発起人たち p11
宮内省の参画と株主たち p11
用地確保と工事の難航 p12
建設地確保と井上の外相辞任 p12
工事の中断と再開 p13
帝国ホテルの誕生 p15
東京ホテルから帝国ホテルへ p15
帝都初のグランドホテル完成 p16
2 帝国ホテル開業、直面した課題 p18
世界のホテルに伍すホテル p18
開業の宴と発起人たちの安堵 p18
ネオ・ルネッサンス様式の外観と和洋折衷の内装 p18
役員と従業員 p21
惨憺たる開業直後の営業状況 p22
営業初日の宿泊客は、英国人5名 p22
当初は宴会に活路―広告を連続掲載 p23
貴族院仮議場に使用 p24
徐々に迎賓館の役目を果たす p24
天長節夜会の華やぎ p24
賓客の接遇 p25
横浜 グランドホテルの流れをくむフランス料理 p26
順調にはいかない営業と経営 p28
開業後5年連続無配を続ける p28
終始甚ダ寂寥ヲ極メタリ p28
苦境を打開するフライク兄弟の功績 p29
エミール・フライクの改革 p29
エミール・フライクの逝去 p30
メトロポールホテルの合併とカール・フライク急逝 p31
3 林愛作支配人を招聘 p34
難しかった外国人起用 p34
再度の経営不振と渋沢栄一の引退 p34
日本人支配人を熱望する p34
ニューヨーク社交界に精通した数少ない国際的日本人 p35
林愛作の現状分析と経営方針 p37
五つの経営改善課題 p37
顧客の満足に値する「設備の完全」 p38
新機軸の施策を連発 p39
食饌の精選と帝国ホテル文化の広がり p39
エスコフィエと第4代料理長 p39
ロマノフ王朝のパン―イワン・サゴヤン p40
「社交場裡の中心」 p41
宣伝活動の強化 p42
林愛作支配人の経営と業績転換 p43
社内制度の改革と整備 p43
好調な業績で評価を高める p43
動き出した新館建設の用地問題 p44
4 ライト館 美と現実の相克 p46
新館建設までの紆余曲折 p46
伝説の始まり p46
用地問題の前進とライトとの交渉 p46
消えた設計者―下田菊太郎 p46
ライトと覚書を交わす p47
着工までに3年余を要す p48
アイデアに満ちたホテル建設 p50
ライト館の設計概要 p50
大谷石を建築主材料に p50
400万個の煉瓦を直営工場で焼成 p51
軟弱地盤に浮き基礎を案出 p53
はかどらない工事と苦悩 p54
工事を支えた職人たち p54
工事の遅れと予算超過 p55
林愛作の苦悩 p56
相次ぐ火災と役員辞職 p57
別館の全焼 p57
本館の全焼 p58
役員全員が辞職 p59
ライト、工事半ばで日本を去る p59
借入金増大するも工事続行 p60
5 芸術品の完成とホテル文化創造 p62
新体制で臨む p62
初代社長・大倉喜七郎、支配人・犬丸徹三の経営体制 p62
完成したライト館の全容 p63
凝った内装の“電気ホテル” p64
開業披露当日に関東大震災 p64
罹災者・罹災企業や外国公館への奉仕活動 p66
ライト館への賛辞 p68
華やぎを取り戻したホテル p69
復興の中で p69
“バロン”と巨人 p69
常設バンドによる音楽普及 p70
帝都唯一の大劇場として p71
ホテルウエディングの嚆矢 p73
料理部門の充実と欧州留学生 p73
事業の広がり p74
東京会舘の運営受託 p74
長野県営上高地ホテルの建設 p76
日本初の山岳ホテル p77
ほかのホテル開業を支援 p79
著名人の来館、飛行船搭載の食事 p79
6 軍靴行き交うなかで p82
戦争へ向かう時代 p82
幻に終わった新館建設計画 p82
戦争の影が寄り添う国策の観光振興 p83
二・二六事件と帝国ホテル―歴史の舞台として p84
東京会舘、明け渡しへ p84
激しさを増す戦争の下で p85
統制下でのホテル運営 p85
統制から供出へ―守られた銅鍋 p86
物資調達員たちの活躍 p86
苦難の時代の第8代料理長―石渡文治郎 p87
南方占領地でのホテル経営 p88
戦争に駆り出されたホテル従業員たち p89
連合国軍の進駐とホテル接収 p89
被弾、そして敗戦 p89
接収とホテル業界 p91
大倉喜七郎会長の辞任 p92
モーリス中尉と接収における厄災 p93
戦後史を飾る宿泊者 p93
接収下のサービス事情と好調な営業成績 p95
民主化の波を受けて p96
7 戦後復興と高度経済成長 p98
新しい時代への胎動 p98
接収解除への機運高まる p98
待望の自由営業の再開 p98
接収解除後の新経営体制と業界貢献 p99
博多帝国ホテルの開業 p100
経営陣の充実を図る p101
東海道線の列車食堂経営に進出 p101
戦後最初の新館建築 p102
第1新館の建設始動 p102
スタットラーホテルを手本にした第1新館 p103
増える外国人客と国際イベント p104
日本に順風が吹く p105
第2新館の概要 p105
パブリックスペースの充実と和のテイスト p107
レストラン「インペリアルバイキング」の開店 p107
モンローが来た p109
7度の増資と東証第二部上場 p110
8 復興の祭典を支えた料理とおもてなし p112
東京オリンピックの選手村食堂業務 p112
東京オリンピックとホテル業界 p112
入念な準備作業と各種委員会へのスペース提供 p113
日本ホテル協会を挙げての給食業務の支援 p114
採算度外視の料理と冷凍食品の活用 p115
組織としてのサービス向上 p116
組織的な人材育成 p116
おもてなしの基盤―帝国ホテル十則 p117
社報の発刊とサービス向上運動 p118
社内を引き締めた二つの事件 p118
お客様の「安全」を見直す p118
集団赤痢と衛生管理の教訓 p119
オリンピックによる成果 p120
選手村給食業務の成功 p120
大会期間中の外国人宿泊状況とその後 p120
国際理解の架け橋、フードフェスティバル p121
9 ライト館終焉、新本館の時代に p124
第2次ホテルブームの幕開け p124
「40年不況」後のホテル業界 p124
不成功に終わった業界初のコンピューター導入 p124
日本初を担う新趣向の料飲施設 p125
シアターレストラン インペリアル p125
コーヒーハウスの開業―身近なホテルへ p126
新本館建設計画とライト館保存問題 p127
新本館の建設計画が動き出す p127
築40年を超えたライト館の姿 p128
「ライト館の建築的価値」と保存運動の高まり p130
ライト館との別れ、そして明治村へ p131
進歩と調和の時代のホテル p133
新本館の着工 p133
進歩と調和を示す巨大なる十字型 p134
新しいホテル像を体現 p135
777の客室とタワー階の設置 p137
宴会場と国際会議場 p137
多種多様なレストラン p138
国産品重視のインテリア p140
コア・セントラル・キッチンの設置 p140
犬丸徹三社長の勇退 p141
10 重い荷を背負って光明を見る p144
逆境下での販売強化 p144
厳しい経営環境と新たな体制 p144
受け身からの脱却―セールス活動の強化 p144
高級路線と親しみやすさの狭間で p145
伝統と王道の再確認 p146
大野勝巳社長の就任 p146
業績の公開と組織改定 p146
客室重視・海外志向のセールス p146
他企業・組織との連携 p147
ブライダルフェアの開催 p148
エリザベス女王のご来館 p148
“ホテルは人間がやるもの” p149
原正雄社長の就任と三つの方針 p149
上高地帝国ホテルの全面改築 p151
「一にも二にもサービスの向上」 p151
広告・PR活動の強化 p152
開業90周年と業績の改善 p153
日比谷の総仕上げ p154
インペリアルタワー建設計画を開始 p154
新しいホテルのスタイル―複合ビルの提案 p155
3層構造のインペリアルタワー p155
世界を意識したショップとオフィス p156
容積重視の室内と出窓 p157
中2階の改修―宴会受付と婚礼関係施設 p157
オンラインシステムの稼働 p158
タワー開業キャンペーンと海外セールス p159
インペリアルタワーの功績 p160
11 伝統は革新とともにある p162
新たな時代の幕開け p162
「変えてはならないこと、変えなくてはならないこと」 p162
小佐野賢治会長の逝去 p162
本館第1次大改修の実施 p162
プラザ合意後の逆風 p164
先駆者の矜持「クラシックウエディング」 p165
賓客接遇の伝統を守る p165
大喪の礼における底力 p165
内部を固めて100周年を迎える p166
新たな歩みを、変わらぬ心で p167
企業理念・行動指針の制定 p167
開業100周年記念事業の概要 p167
100、100、100―各部門の100周年催事 p168
大阪進出の発表 p169
労使共同宣言の調印 p170
即位の礼と記念パーティ p170
内外広告賞と100周年 p171
12 自らを超えるために p174
革新への助走 p174
100-1=0の帝国ホテル数式 p174
関連事業本部の新設 p174
運営受託事業開始とザ・クレストホテル津田沼 p174
次の世紀にあるべき姿を求めて p175
インペリアル イノベーション21(I・I・21)の始動 p175
T戦略とH戦略 p175
直営料飲店の刷新 p176
神々の島で―バリ インペリアルホテル p177
4人の帝国ホテルスタッフ p177
異なる文化との対話 p177
開業延期、そしてオープンへ p178
もうひとつの帝国ホテル―大阪に開業 p179
桜咲く水の都に進出 p179
東京とは異なるマーケット状況 p180
「関西の迎賓館」をめざして p180
帝国ホテル大阪の開業 p181
直営中国料理店とポップなカフェレストラン p184
追随を許さぬブライダル&フィットネス p185
冬の始まり p186
景気後退下でのアイデア、努力 p186
女性市場開拓! レディーズ・フライデー p187
上高地帝国ホテルの改修と好調 p187
強まる危機感 p188
13 「さすが」であり続けるために p190
競争に打ち勝つ経営基盤を p190
藤居寛社長の就任 p190
二律背反の宿命 p190
時代を取り込む p191
三つの第一主義 p192
情報システム活用とアウトソーシング p192
新しい宿泊システムによる効率化推進 p192
POSシステム稼働とアウトソーシングの推進 p193
開業110周年の節目 p193
座して衰亡を待つか改革か―新経営計画 p193
開業110周年のスタート p194
2泊110万円の「ミレニアムステイ110」 p195
正面玄関改修とフィットネスルーム開設 p196
「さすが帝国ホテル推進活動」 p196
自己責任型の組織へ p196
「さすが帝国ホテル推進会議」の設置 p197
モチベーションを高める仕組み p198
新人事制度の導入 p198
顧客掘り起こしで薄日差す p199
海外セールスの推進 p199
帝国ホテル大阪の苦闘 p199
業績の好転と小佐野政邦会長の逝去 p200
14 21世紀の幕開け p202
21世紀プロジェクトの始動 p202
吉村勲人社長の就任 p202
勝ち残りめざす21世紀プロジェクト p202
利益軸とブランド軸の設定 p203
部門別利益管理とブランドチェックシート p204
米国同時多発テロの善後策とサッカーワールドカップ p204
シンボルを守る p205
夢の終わり、夢の引き継ぎ p205
バリと津田沼の撤退 p205
吉村社長の急逝 p205
15 帝国ホテルの料理を貫くもの p208
新旧が織り成す新本館のレストラン p208
グリルルームとプルニエの煌めく名物料理 p208
フランス料理の二つのスタイル p209
時代の変化に合わせて p209
コーヒーハウスの変遷 p209
「レ セゾン」の現代フランス料理 p210
フランス直輸入の「ラ ブラスリー」と「サロン ド テ」 p210
初代総料理長・村上信夫の肖像 p211
ムッシュと呼ばれた男 p211
古いしきたりへの訣別 p212
「料理は愛情」 p212
若き世代へのバトン p213
ムッシュとのお別れ p213
100年目の挑戦 p214
「ユリーカ」が運んだカリフォルニアの風 p214
「フォンテンブロー」から「嘉門」へ p214
「プルニエ」の終焉とイタリア料理 p215
帝国ホテル料理が大阪に p215
21世紀の帝国ホテル料理 p216
個人のお客様が楽しめる場所へ p216
「レ セゾン」の再出発 p217
伝統の料理を常にお客様に p217
アメリカン・ダイニング「パークサイド ダイナー」 p218
思いを継ぐ2代目の総料理長 p218
田中健一郎総料理長の誕生と、厨房「三つの改革」 p218
常に新しい料理、サービスを求める p219
ハート・オブ・ホテル、センターキッチンの再興 p219
120年間グランド・キュイジーヌ p220
16 120周年に向けて p222
「21世紀プロジェクト」の継続推進 p222
小林社長の就任 p222
四つの基本方針と人づくり p222
東京の115周年、大阪の10周年 p222
新世紀への装い―本館大改修 p223
本館シャンデリア「ゴールデンローズ」復活 p223
タワーのブランド力強化 p224
インペリアル・スタンダード追求とライトテイスト復興 p224
“初”へのこだわり p226
ホテルの“顔”を一新 p227
ロビースタッフの新たなスタイル p227
責任と義務を果たす p228
安心を守るために p228
火災が残した教訓 p228
環境委員会の設置 p229
環境対応もハード、ソフト、ヒューマン p230
内部統制の体制づくり p231
伝統の輝きと21世紀の賓客接遇 p231
ジャズとオペラの発信地 p231
新婚礼プラン「アート・オブ・セレブレーション」 p232
「インペリアル・ウエディング」の発売 p234
ロイヤル・ウエディングの名誉 p234
ロイヤル・ウエディングの当日 p235
国の賓客を迎え続ける館 p236
人を育て、人が育つ p237
人材育成部を新設する p237
自己啓発のバックアップ体制 p237
大阪、上高地のグレードを上げる改修 p238
大阪初の大規模改修 p238
上高地帝国ホテル、改修と75周年 p239
17 伝統は、次をひらめく。 p242
120周年へ向かって p242
2年連続の増収増益 p242
プラン120の策定 p242
新たなパートナーを得て p243
三井不動産が筆頭株主に p243
ハレクラニとの提携 p244
セレンディピティ(Serendipity) p245
幸運を生み出す力とともに p245
21世紀プロジェクトの仕上げ p246
開業120周年を見据えた各部の努力 p247
開業120周年―セレンディピティ p248
資料編 p252
巻末補注 p252
設備 p260
役員 p262
組織図 p266
業績 p274
海外留学奨励制度 適用実績 p275
年表 p277
主要参考文献 p294
資料提供者ならびに協力者 p297
編纂あとがき p298
索引リスト
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