渋沢社史データベースとは
渋沢社史データベースの使い方
社史(出版物)を実際に見るには
トップ
検索結果 - 社史詳細
(株)資生堂『資生堂社史 : 資生堂と銀座のあゆみ八十五年』(1957.11)
基本情報
目次
索引
年表
資料編
目次は見出しの階層(編・章・節・項…など)ごとに絞り込んで見ることができます。
… 資料編に詳細な情報があります。
第1階層まで
第2階層まで
第3階層まで
第4階層まで
すべて表示
目次項目
ページ
目次
共存共栄の伝統 (福原信義)
巻頭
あい継ぎ、あい携えて (伊与田光男)
巻頭
本書を読まれる方のために
巻頭
資生堂本社
巻頭
資生堂本社を中心にした航空写真
巻頭
資生堂化粧品店と資生堂パーラー
巻頭
第一部 資生堂と銀座のあゆみ八十五年
〔1〕
第一章 銀座に創業する
p3
第二章 基礎を固める
p101
第三章 災禍のなかに組織する
p163
第四章 組織を進める
p227
第五章 躍進をつづける
p291
第六章 戦禍に耐える
p371
第七章 栄光にかがやいて歩む
p457
第二部 年表
〔559〕
八十五年の推移
p561
銀座の町名のうつりかわり
p599
地図で見る銀座の変遷
p601
第三部 資料
p617
編集を終えて
p722
寄稿
第一章
木村毅
p66
鏑木清方
p80
宮川曼魚
p90
伊東深水
p94
鈴木信太郎
p98
第二章
村松梢風
p132
久保田万太郎
p140
田村秋子
p154
栗島すみ子
p158
第三章
大田黒元雄
p196
麻生豊
p198
木村荘八
p204
武井武雄
p210
岩田専太郎
p222
第四章
水谷八重子
p258
佐伯米子
p272
山本嘉次郎
p278
徳川夢声
p286
第五章
東郷青児
p328
獅子文六
p330
土岐善麿
p336
西条八十
p342
第六章
横山隆一
p416
森田たま
p424
藤倉修一
p434
岡本太郎
p440
第七章
渋沢秀雄
p500
池島信平
p506
宮田重雄
p528
美川きよ
p534
畔柳二美
p542
[詳細目次]
[第一部 資生堂と銀座のあゆみ]
〔1〕
[第一章 銀座に創業する]
p3
華やかな開幕
p5
日本最初の洋風民間調剤
p6
銀座煉瓦地
p8
資生堂という名称
p10
陸蒸汽走る
p12
医薬分業の実践
p13
馬車鉄道開通
p15
資生堂薬局の活動
p18
華やかな鹿鳴館時代
p19
わが国でつくられた最初の煉歯磨
p23
明治二十年代
p25
近代的化粧品の製造はじまる
p27
明治三十年前後
p30
ドラッグストア
p31
市内電車開通
p32
明治時代終る
p34
帝都の玄関移る
p35
「花椿」が象徴するもの
p36
グラフ
資生堂創設のころ
p41
日本橋本町の資生堂薬舗
p46
銀座大火の瓦版
p47
銀座煉瓦地建設
p48
銀座煉瓦街の浮世絵版画
p52
新橋ステーション竣工
p58
泰明小学校
p61
明治初期の新橋付近
p62
東京新繁昌記と銀街小誌
p64
資生堂の薬品
p68
明治十年代の女性風俗
p72
鹿鳴館時代
p74
婦人束髪会
p76
婦人束髪雛形
p78
朝粧風紀問題
p82
新橋花柳界の成立
p85
福原衛生歯磨石鹸から化粧品発売まで
p86
明治末期山の手の女性
p92
花つばきと大正初期の銀座
p96
別刷
銀座通真景
p39
従京橋銀座通煉瓦石附汐留蒸気車遠景図
p59
東化粧美人寿語録
p83
寄稿
むかしの銀座(木村毅・鴨下晁湖画)
p66
銀座昔話(鏑木清方)
p80
銀座の匂い(宮川曼魚・小川洗二画)
p90
銀座界隈の郷愁(伊東深水)
p94
銀座の裏河岸(鈴木信太郎)
p98
[第二章 基礎を固める]
p101
力にあふれた大正六年
p103
化粧品部独立
p104
独特の販売組織へ歩む途
p105
白粉の新しい考え方
p107
不況時代に入る
p108
資生堂の五大主義
p110
中間色調のスタイル
p111
銀座の柳騒動
p112
資生堂コールドクリーム
p117
銀座の新名所
p118
子供服を展示する
p121
洋髪実技による全国宣伝
p122
資生堂石鹸発売
p124
グラフ
大正中期の洋髪
p129
大正時代の女性
p130
大正中期の資生堂製品・香水
p134
大正中期の資生堂製品・化粧水類
p136
大正中期の資生堂製品・クリームと白粉
p138
大正中期の資生堂製品・頭髪用品
p144
大正中期の資生堂製品・石鹸、歯磨、他
p148
大正中期の資生堂化粧品部
p150
その頃の資生堂の広告
p156
商標「花椿」と標識看板
p160
別刷
銀座の夜店(小林古径)
p127
大正中期の資生堂化粧品部と飲料部
p151
寄稿
資生堂とその界隈(村松梢風・山本武夫画)
p132
福原路草のこと(久保田万太郎・田中比左良画)
p140
あのころ(田村秋子・柏原覚太郎画)
p154
懐かしい銀座(栗島すみ子・野間仁根画)
p158
[第三章 災禍のなかに組織する]
p163
関東大震災
p165
銀座廃墟となる
p166
すべてを失う
p167
再建第一歩
p168
再建第二歩
p169
資生堂チェインストア制度
p170
連鎖店型録
p172
銀座の公孫樹
p173
巡回美容講演会と耳かくしの流行
p175
木煉瓦浮上
p176
販売組織の第二段階
p177
美容雑誌創刊
p179
絶望の流行歌
p180
組織の強化と拡充
p181
新構想の化粧品
p182
「東をどり」はじまる
p184
都市から郡部へ
p185
カフエー時代
p186
資生堂石鹸株式会社
p188
モダンガールは断髪する
p189
昭和初頭のモラトリアム
p190
グラフ
関東大震災の惨状
p193
資生堂出雲町店再興
p200
資生堂吹田工場
p206
大正十三年の雑誌広告
p208
この年代に発売または新意匠の製品
p212
取次店契約書と代理店契約書
p219
資生堂図案集
p220
大正十五年の女性風俗
p224
別刷
唐草模様のレーベル
p191
ショウポスター
p217
寄稿
震災の日の銀座(大田黒元雄・森芳雄画)
p196
銀座と私(麻布豊)
p198
ドーナツの昔(木村荘八)
p204
童画は資生堂生れ(武井武雄)
p210
銀座漫想(岩田専太郎)
p222
[第四章 組織を進める]
p227
株式会社資生堂設立
p229
販売店への機関誌
p231
資生堂販売会社組織
p232
復興する
p234
資生堂化粧品デー
p237
新しい歯刷子と歯磨
p238
チェインストア本部としての施策
p239
マネキンガール
p241
昔恋しい銀座の柳
p242
「資生堂歯磨」発売
p243
弥生の空晴れわたる
p244
石鹸小唄
p245
暗澹たる昭和五年
p247
グラフ
昭和二年の女学生
p252
資生堂石鹸の地方宣伝
p254
そのころの資生堂チェインストア契約書
p256
豪華な大阪支店
p260
資生堂品川工場落成
p262
資生堂復興なる
p265
銀座回顧展
p268
新東京十二景マッチ
p270
この年代に発売または新意匠の製品
p274
マネキン商業戦線
p276
昭和四年の銀座街頭
p280
帝都復興祭に賑わう銀座
p282
昭和五年初夏
p288
別刷
宣伝用団扇
p249
マッチの意匠
p263
寄稿
資生堂の包装紙(水谷八重子・宮本三郎画)
p258
私の故里(佐伯米子)
p272
アヤカフ時代(山本嘉次郎・中村好宏画)
p278
昭和初頭(徳川夢声・寺内万次郎画)
p286
[第五章 躍進をつづける]
p291
資生堂銀座化粧品
p293
険悪なエロ・グロ・ナンセンス時代
p294
柳郷にかえる
p296
悪戦苦闘の年なりき
p298
ミス・シセイドウ
p301
資生堂創立記念日
p302
ホルモン含有クリーム
p303
内外政局の緊張昂まる
p304
チェンストアスクール
p305
二つの機関誌
p307
花椿会成る
p309
最も華麗な美容室
p312
支那事変勃発
p312
東亜新秩序建設
p314
大陸進出すすむ
p315
躍進また躍進
p316
ネオン消ゆ
p318
統制経済に直面する
p320
グラフ
躍進する昭和銀座
p325
「資生堂グラフ」創刊まで
p326
昭和七年前後
p332
昭和九年となる
p335
昭和十年ころ
p338
そのころの美容活動
p340
最善最美の資生堂美容室
p344
この年代の東京工場
p345
「花椿」と花椿会
p346
昭和十二年ころの広告
p348
美顔術の家庭化に先鞭をつける
p350
昭和十二年暮れる
p353
支那事変の拡大して行くころ
p354
この年代に発売または新意匠の製品
p356
代用せん維時代となる
p365
戦時色しだいに昂まる
p366
別刷
パンフレットの表紙
p323
ポスター
p351
寄稿
銀座の柳(西条八十・山本武夫画)
p328
そぞろあるき(土岐善麿・中山巍画)
p330
福原三兄弟(獅子文六・生沢朗画)
p336
銀座の想い出(東郷青児)
p342
[第六章 戦禍に耐える]
p371
太平洋戦争前夜
p373
経営の分割
p374
戦運利あらず
p375
企業整備
p376
破滅に瀕した事業
p377
決戦下の高級化粧品
p379
三たび廃嘘となる
p380
被爆する
p382
壊滅的損害
p383
敗戦銀座
p385
赤い林檎と青い空
p387
変貌した銀座街頭
p388
統制つづく
p389
再建体制へ
p390
資生堂社歌
p391
再建への努力
p394
危機を突破する
p396
販売会社の新たな段階
p398
営団放出高級化粧品
p399
特別整容講座
p402
三十間堀の歴史
p404
アドバルーン浮ぶ
p405
グラフ
太平洋戦争開始の年
p409
太平洋戦争の初期のころ
p410
半島と大陸へ
p418
戦時下の広告
p420
決戦体制となる
p426
銀座空襲される
p428
謀略宣伝
p430
戦争は終った
p432
資生堂前街頭録音
p433
街録のころのウインドウ
p436
営団放出化粧品と資生堂ゾートス化粧品
p439
新聞紙上にあらわれた銀座の世相
p442
新聞広告・雑誌広告本格化する
p444
特別整容講座
p448
別刷
満洲向けポスター
p407
発売当初の資生堂ゾートス化粧品
p437
寄稿
銀座と漫画集団 (横山隆一)
p416
灯のない銀座 (森田たま・向井潤吉画)
p434
街録十年の想出 (藤倉修一・山口薫画)
p434
戦争直後の銀座 (岡本太郎)
p440
[第七章 栄光にかがやいて歩む]
p457
日本一多い女性株主
p453
再建すすむ
p455
再建の歩みなお進む
p457
大銀座成る
p458
外濠の運命
p459
民間ラジオ放送開始
p460
姿態美のために
p461
夜店の終焉
p462
資生堂ホールセールチェイン制度
p464
日本人の銀座街となる
p465
全身で美容する
p466
資生堂躍進五ヵ年計画
p467
五ヵ年計画による新しい歩み
p469
独占禁止法改正
p471
資本金参億円
p472
外濠埋立案議決
p472
流しタクシー禁止
p474
品質優良化への歩み
p475
キャバレーとアルサロ
p477
銀座の小判
p478
テレビ体操
p479
数寄屋橋公園今昔
p480
東洋最大の資生堂美容室
p481
アメリカ大陸に進出する
p483
アメリカ調から還る
p483
数寄屋橋撤去
p484
五ヵ年計画達成迫る
p486
栄光は祖国とともに
p487
グラフ
銀座の消火栓
p495
明るくなった銀座
p496
花椿発行部数経過
p498
交通関係の広告
p502
花椿会の集い
p508
銀座を語る銀座の文化碑
p510
パンフレット類から
p513
さいきんの新聞広告から
p514
さいきんの雑誌広告から
p516
戦後のポスターから
p518
ラジオ・プロの変遷
p520
テレビ広告
p522
資生堂パール歯磨デー
p525
パールちゃんの集い
p526
銀座のお稲荷さん
p530
銀座の映画館と劇場
p532
東洋最大の美容室
p536
銀座のクリスマス前夜
p538
資生堂銀座美容室
p541
銀座外周
p544
品質を誇る資生堂の各種製品
p555
別刷
花椿表紙
p493
ポスター
p511
雑誌広告
p523
資生堂ドルックス化粧品
p553
寄稿
銀座句会(渋沢秀雄・坪井鶴吉画)
p500
楽しい消費(池島信平・橋本明治画)
p506
私の銀座(宮田重雄)
p528
銀座通りは廊下(美川きよ・脇田和画)
p534
初対面(畔柳二美・織田広喜画)
p542
索引リスト