ミヨシ油脂(株)『ミヨシ油脂株式会社八十年史』(2002.12)

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目次項目 ページ
第I編 p3
第1部 黎明期の人々〔前史〕(明治21〈1888〉~大正9〈1920〉年) p3
石鹸工業が芽生えた頃 p3
安永舎という石鹸工場 p3
貿易商・松村清吉が安永舎を応援 p4
安永鉄造、鳴行舎で石鹸造りを修業 p5
安永平作、牛脂輸入組合をつくる p6
安永舎、東京石鹸(株)となる p7
三木巳之吉と三木石鹸工業所 p8
主力商品は工業用石鹸 p8
三木春逸らが工業所に参加 p9
春逸、東京薬学校に入学 p10
工場を吾嬬町に移し、拡張 p10
油脂分解事業へ進出 p11
先駆者・永松道夫の事業 p11
又新舎と吉村又作の事業 p12
マルセール石鹸との出会い p13
原料油脂の選択と綿実油石鹸 p14
吉村石鹸工場と蛹油石鹸 p15
吉村又一郎と石鹸事業 p16
吉村又一郎と三木巳之吉の提携 p17
第2部 ミヨシ石鹸工業とミヨシ化学興業(大正10〈1921〉~昭和23〈1948〉年) p19
ミヨシ石鹸工業(資)の誕生 p19
提携―そして新会社の設立 p19
合資会社の内容と社員たち p20
合資会社発足、初年度は経営不振 p22
株価暴落・銀行破綻・経済界大混乱 p23
合資会社の15年 p24
関東大震災で無配に転落 p24
復興景気の恩恵を受ける p24
脂肪酸炊きの石鹸をつくる p25
グリセリン製造のリスク p26
〈表:ミヨシ石鹸工業合資会社の経理内容〉 p26
オートクレーブの技術史 p27
繊維油剤・高アル洗剤など p28
特許洗剤(株)の設立 p29
“わが道”を行ったミヨシ p30
特許洗剤(株)との紛争 p31
ミヨシ石鹸工業、創業15周年を祝う p33
合資会社の成長、そして脱皮 p34
ミヨシ石鹸工業(資)末期の日給と賞与 p35
ミヨシ化学興業の時代 p36
新会社を設立・合資会社を吸収 p36
戦争とともに急速に発展 p37
大洋捕鯨が資本参加 p38
合資会社時代からの取引 p38
資本関係の解消と復活 p39
軍部への接近と航空潤滑油 p39
生産品目の多様化と企業体質の変化 p40
海外へも事業を拡大 p40
カスデンとスフニット p43
天津造〓[月+夷]股〓[亻+分]有限公司と提携 p43
天津、月産150トンの能力で稼働 p45
江戸川工場の建設 p45
瀬本製油(株)を買収 p46
買収の糸口は江本護 p46
いったん大洋漁業が買収を決める p47
明治製糖の資本参加 p47
山陽パルプ岩国工場がミヨシ傘下に p49
王子製紙が資本参加 p50
東京証券取引所に株式を上場 p50
岩国工場の建設計画 p50
東京・砂町工場の開設 p51
徴用令・軍需工場指定・終戦 p52
7工場で終戦を迎える p53
終戦直後、混乱・統制・ヤミ p53
戦後、7工場の結末 p54
終戦時の首脳部と社内体制 p55
江戸川工場と綾瀬工場の反目 p56
三木春逸、綾瀬工場の再建に取り組む p57
マーガリン設備の増強 p57
石鹸工場を建設する p58
2社分離の方向へ p60
財閥解体・株式の放出 p60
分離案の検討を重ねる p61
安田銀行が難色を示す p61
大洋漁業に援助を要請 p62
難産の末、分離を果たす p63
〈表:ミヨシ化学興業における業績の推移〉 p64
第3部 新生 ミヨシ油脂の出発(昭和24〈1949〉~29〈1954〉年) p65
存続会社が社名を変更 p65
本社事務所は転々とする p66
再び株式を上場 p66
戦後初めての営業報告書 p67
復興への足音 次第に高く p69
社内体制の整備を進める p70
大洋漁業と資本関係復活 p71
金融機関との関係を強化 p72
朝鮮戦争の影響で赤字決算 p73
回生薬としての朝鮮戦争 p73
油脂業界への影響 p74
“動乱ガラ”に打たれる p74
ミヨシ化学、日東捕鯨に吸収される p75
各部門で再建・復興すすむ p75
石鹸、採算悪化に苦しむ p76
電気洗濯機と粉末石鹸 p77
油剤・界面活性剤の再出発 p77
初めての非イオン活性剤 p78
芳誠舎が傘下に加わる p78
明治25年創立の老舗 p79
売上金が焦げつく p79
芳誠舎が援助を要請 p79
食油事業を本格化 p82
硬化油設備の増強と技術革新 p82
ダウサム・ボイラーを設置 p82
米国製ボテーターの導入 p83
食用固形油脂の急成長 p84
人造バターを「マーガリン」と改称 p86
戦後初めて配当を復活 p86
第II編 p91
第4部 拡大躍進への地固め(昭和30〈1955〉~39〈1964〉年) p91
「もはや戦後ではない」 p91
食油類が一服、石鹸・合洗に力点 p91
新しい食油工場が誕生 p92
日本経済は“なべ底不況” p93
大阪グリセリン(株)を吸収 p93
高級アルコール販売(株)の発足 p94
小名木川工場の開設 p94
マーガリンの合理化カルテル p95
競争激化と原料の値上がり p95
「特売禁止」に踏み切る p95
「合理化カルテル」の内容 p96
2年ごとに更新、品質向上に寄与 p97
資本自由化・ユニリーバ社の進出 p97
豊年製油と合弁会社 p97
協組と工業会が反対運動 p98
自由化の時代に向かって p98
神戸工場の建設 p99
“岩戸景気”のなかで p99
発展の跳躍台をつくる p100
三菱信託銀行より融資を受ける p101
硬化油工業発祥の地―由緒ある神戸工場 p101
工業的硬化油製造のスタート p102
液体硬化油の工業化 p102
慎重な実用試験を経て市販 p102
重要な触媒の役割とノウハウ p103
液体食用硬化油のあらまし p103
外国からの評価 p105
可塑剤と三和合成化学(株) p106
大洋ミヨシ鯨油研究所の設立 p107
合成洗剤に有害論争おこる p108
鉱油系原料が問題に p108
食品衛生調査会の答申 p109
ABSはソフト型に―下水処理に問題 p109
第5部 高度成長の時代(昭和40〈1965〉~48〈1973〉年) p111
成長路線をひた走りに p111
熱気を感じさせる伸び率 p111
繁栄の中のかげり“40年不況” p113
油脂業界は採算悪化に苦しむ p114
当社伸び率20%に迫る p115
神戸工場の水素発生装置 p116
協同組合の「ユニソーヤマーガリン」 p117
ミヨシの「フレッシュエース」 p118
“40年不況”からの出発 p118
“転型期・構造不況”の悲観論 p119
原料高騰、だが増収増益 p119
“昭和元禄時代”の開幕 p120
当社 高成長時代の収束 p120
合成洗剤をめぐる諸問題 p121
合洗原料ABSのソフト化問題 p121
合洗の価格と再販契約改善の勧告 p122
JISの設定とリン分の規制 p122
三木春逸の“立志50年”を祝う p123
名古屋工場の誕生 p124
第3番目の生産拠点として p124
各工場でフル稼働が続いていた p124
中部経済圏の発展に対応して p125
初めは「岩倉倉庫」 p125
《油剤》生産を名古屋に集中 p126
《洗剤》品切れ問題が解消 p128
販売競争が熾烈化 p129
《食油》高級品を目指して p129
高付加価値製品をつくる p130
23億円の投資が実る p131
名古屋営業所が支店に昇格 p132
いざなぎ景気と油脂業界 p133
製油、市況不振に苦しむ p133
だが食用加工油脂業界は好調 p134
化成品・工業品類が健闘 p135
国際競争―産業界で大型合併進む p136
名古屋工場の建設に邁進 p136
“いざなぎ景気”最後の年 p137
国際的な好況・高物価 p138
農林中央金庫と取引開始 p138
引締め政策といざなぎ景気の終焉 p139
インフレ傾向拡大・転機に立つ世界経済 p139
食用加工油脂も転機を迎える p140
マーガリン工業会、異例の値上げ要請 p140
増収だが大幅減益となる p141
油剤・化成品部門の健闘 p141
昭和40年代の技術輸出 p142
南僑化学への技術協力と兄弟的親交 p143
南僑・陳其志夫妻が当社を訪問 p143
異例の早さで認可される p144
ミヨシの熱心な指導、プラントは順調に試運転 p144
界面活性剤の技術輸出 p146
輸出グループをつくる p146
東南合成への技術輸出 p147
EO付加体技術について契約 p148
フィシサヘの技術輸出 p149
キャラパス研究所の開設 p149
異色の技術者・丸茂博士 p149
自由な研究活動に期待 p150
丸茂博士、志なかばで急逝 p151
キャラパス研究所の商品群 p151
注目されたキレート樹脂 p152
閉鎖後も残された果実 p153
加糖マーガリンの開発 p153
新製品「シャノン」を発売 p153
シャノン製品の特徴 p154
カネボウ石鹸製造(株)の設立 p155
鐘紡(株)と折半出資で p155
販売の実績と技術の実績 p156
資本金1億円で発足 p156
生産の規模と工場 p157
生産量、着実に増える p158
「絹石鹸」の由来 p158
シャンプー設備の増強と合理化 p160
カネボウ石鹸(株)社内体制の変遷 p160
カネボウとミヨシの出向者で構成 p161
カネボウ石鹸(株)の特色 p161
マレット社との提携 p163
合弁会社・日本マレット(株) p163
マレット社から申入れを受ける p164
出資比率は2:2:1 p164
業績順調、軌道に乗る p167
世界経済の転換期を迎える p167
高成長時代の終焉 p167
円の切上げ要求高まる p168
“ニクソン・ショック”の打撃 p168
海外インフレの影響 p169
利益低迷つづく p170
原料価格は落ち込んだが... p171
インフレの脅威に直面 p172
為替レート、変動相場制へ移行 p173
国際世論、捕鯨禁止に向かう p173
重要な原料であった鯨油 p173
捕獲数、年ごとに減少・捕鯨撤退 p175
千葉精油所の誕生 p175
初めは袖ケ浦地区に注目 p175
美浜区の土地が浮上 p176
大洋ミヨシ千葉精油所の設立 p177
公害対策審議に手間取る p177
半年後にようやく第2回目 p178
千葉工場建設の足取り p179
吸収合併への布石 p180
千葉精油所を吸収合併 p181
千葉工場の特徴と位置づけ p181
精製・硬化の一大基地 p181
新しい硬化方式を採用 p182
タンクは“恒温室方式”を採用 p184
横型の勤務体系を採用 p184
公害防止には万全を期す p184
設備投資、なお継続中 p185
日本タンクターミナル(株)へ資本参加 p186
JTTの設立 p186
水際線とケミカルタンカー p187
本格的始動とミヨシ油脂の資本参加 p188
魚油の増加と釧路油槽所 p188
植物油対応の施設に変更 p189
二つの地震と釧路油槽所の廃止 p189
大洋漁業の撤退 p190
最大の危機を乗り越えて p191
ORCの設立と解散 p191
画期的な事業として発足 p191
日化飼に運営を委託 p192
原価計算はガラス張り p193
魚油の供給過剰が背景に p194
千葉ニッコー食油事故の波紋 p195
当社のマーガリンも出荷停止 p195
厚生省「熱媒体、検出されず」 p196
“油症事件”が影を落とす p197
「あたかも加害者のごとく...」 p197
カネミ油症事件 p198
理研ビタミン(株)との業務提携 p199
グループ化・系列化の流れ p199
食品のファインケミカル p199
食料の安定供給を図る p200
協同研究の将来に期待 p200
石油ショックの襲来 p201
「諸悪の根源」が流行語に p202
物価騰貴との闘い p203
三木春逸、会長に就任 p205
社長に三木敏行が昇格 p205
「新たな発展のために」―新社長のメッセージ p206
第III編 p211
第6部 安定成長の時代(昭和49〈1974〉~60〈1985〉年) p211
戦後最悪の不況を経て p211
インフレ、そして景気後退 p211
各部門とも落ち込む p212
石油ショック後遺症 p212
製油業界、800億円の欠損 p213
当社も大幅な減収減益 p214
大型倒産と企業再編 p215
当社の業績も低迷 p215
食油、全国生産量50万トンを超える p216
景気回復への道すじ p217
政府、景気浮揚策に取り組む p217
原料相場が乱高下 p218
円の対ドル相場上がる p219
景気、本格的回復に向かう p220
減収だが収益は改善 p220
ゼニス精製プラントの導入 p221
わが国で初めて導入 p221
作業環境の大幅な改善 p222
ゼニスプラントの特徴 p222
歩留り向上の理由 p223
ゼニスプラント導入時の問題点 p224
精製―保管―出荷の一貫体制が完成 p224
日本硬化油(株)の設立と解散 p225
合成洗剤のリン分が問題化 p226
リンがクローズアップされた p226
富栄養化が問題になる p227
洗剤工業会、リン分削減に努力 p227
政府・自治体による規制 p228
合洗追放、粉石鹸使用推進の運動 p228
リン問題の解決策と石鹸 p228
新洗濯剤「サード」を発売 p229
第3の洗濯剤として開発 p229
無リン・サードへの期待 p230
主力を石鹸に移して p230
石鹸製造設備を新・増設 p231
「サード」の比率高まる p231
千葉化研(株)の設立と閉鎖 p232
ミヨシ製品(株)の発足と解散 p232
起泡性油脂と乳化脂 p233
新製品「ケークドール」 p233
洋菓子が大手メーカーの手に p233
第2次石油ショックとその波紋 p234
石油消費量、大幅に減少 p234
OPEC、さらに原油値上げを目指す p235
イランの政変・値上げ実現 p235
食油部門、微減となる p236
原料相場が不安材料に p237
石油危機を乗り越えた年 p237
この時期の原料事情 p238
食油、高付加価値商品が軌道に p239
新洗濯剤「サード」で石鹸類再評価の機運に p239
54、55年度は特徴的な年度となった p240
ホイップクリームの開発 p240
張りめぐらされた特許の網 p241
独自の殺菌機を開発 p241
新クリーム工場の建設 p242
景気、後退期に入る p242
内需不振と過当競争 p242
原料価格はほぼ安定 p243
石鹸・洗剤と工業品が苦戦 p243
日本経済の低成長―産業構造の変化 p244
最終利益半減す p245
ソウル食品工業への技術輸出 p247
技術の提供・指導・輸出 p247
輸出契約までの経緯 p247
技術指導、食脂類から開始 p248
日本シュライバーフーズの設立 p249
3社で合弁会社を設立 p249
工場建設に10億円の投資 p249
わが国におけるチーズの消費 p250
リパーゼによる油脂分解 p250
最初のテストは昭和40年 p250
トイッチェル法との比較・優劣 p251
リパーゼ分解の利点 p251
リパーゼ分解の問題点 p253
ラード事業の拡大 p254
林兼食品のラード事業を吸収 p254
国産“精製ラード”の登場 p255
神戸工場のラード生産 p255
共栄商会を当社が吸収 p256
豚脂の需給―関東と関西 p256
景気回復期の原料高騰 p257
58年から景気は上向き p257
物価安定・生産伸長 p258
当社、最悪の業況に苦しむ p259
58年度:油化は増収減益 p259
59年度:原料高で欠損となる p260
60年度:原料値下がりと円高 p261
原料高騰の実態(昭和58~60年) p262
原料事情が著しく変貌 p267
キャンプロ式脱臭装置を採用 p267
省エネルギーで優れる p267
すべての公表数値をクリア p268
中国のマーガリンプラントに協力 p268
湖北省鄂州市に工場建設 p268
中国初の本格的マーガリンプラント p269
〈表:ミヨシ油脂における業績の推移(昭和24~平成元年)〉 p270
第7部 バブル経済とその崩壊(昭和61〈1986〉~平成7〈1995〉年) p271
長期好況期を迎えて p271
“円高不況”からの出発 p271
“円高倒産”が続出して p272
油脂原料が低価格で推移 p273
原料安で減収増益 p273
ミヨシ(株)の設立 p274
急激な円高と景気上昇 p275
ラードが大幅に落ち込む p276
内需主導型の経済成長へ p276
減収だが増益 p277
デンマークおよび米国の食品会社と提携 p277
日本パルスガード(株)の設立 p278
日本ベアトリーム(株)の設立 p278
粉末油脂について p279
粉末油脂の機能 p279
粉末油脂の用途 p279
重金属処理剤が「環境賞」受賞 p280
油化部門が伸びる p280
80億円の転換社債を起債 p280
好況下の業界不況 p281
経済界はトリプル・メリットで活況 p281
原料油脂の価格が高騰 p282
増収だが減益、洗剤から撤退 p282
景気拡大の基調衰えず p283
国内需要に支えられて p283
当社も高成長 p284
“技術センター”の創設 p285
スイス・フラン転換社債を起債 p285
平成元年の新製品 p285
三木春逸会長、相談役に就任 p286
いざなぎ景気に近づく p286
好況持続と“湾岸危機” p286
食油部門が健闘 p287
湾岸戦争とバブルの崩壊 p288
湾岸戦争で開幕 p288
バブル景気、一転して下降に向かう p289
増収増益となる p290
引き続き名古屋への投資 p291
パームオレオ社の設立 p292
脂肪酸事業の海外への展開 p292
パームオレオ社の歩み p292
バブル崩壊後の不況感続く p293
公定歩合の急速な引下げ p293
不況と業界の成熟化 p294
この期の研究開発活動 p294
大洋ミヨシ千葉精油所を吸収合併 p295
玉の肌石鹸、創業100周年を迎える p296
ミヨシと玉の肌:連帯の意義(三木晴雄) p297
業界、久しぶりの活況 p298
冷夏と米不足でパン需要伸びる p298
経営効率化の成果上がる p299
三木春逸相談役の逝去 p300
故 三木相談役を想う(三木敏行) p303
故人の遺志を継ぐ p306
故 三木相談役を偲んで(粂川三男) p306
弔辞 p310
友人代表(普川茂保) p310
取引先代表(飯島延浩) p313
業界代表(吉田豊) p315
猛暑・原料高・価格破壊 p317
ファットスプレッドが健闘 p317
原料パーム油、価格高騰 p318
「価格破壊」が流行語に p319
神戸工場が兵庫県から表彰される p320
守屋技術部長が科学技術長官賞を受ける p320
売上高減少、利益は増える p320
天災と不況の年 p321
「驚くべき低成長」つづく p321
食用加工油脂業界、受難の中の助け合い p321
業界、原料高に苦しむ p322
組織内のフラット化を実施 p323
第8部 阪神淡路大震災と復興拡大(平成7〈1995〉~12〈2000〉年) p327
神戸工場、一瞬にして崩壊 p327
「工場はもう動かない」 p327
工場は活断層に乗っていた p328
ガス漏れ発見「2次災害を防げ」 p329
復興に取り組む p329
復興のテコになったのは... p330
3日後から再建活動を開始 p331
災害時における企業と地域の関わり(西川喜三郎) p334
座談会:1995.1.17 その日 神戸で p339
「これは普通の地震ではない」 p340
「二度と思い出したくない」 p342
今後工場として立ち上がれるか p343
復興の原動力は全員の頑張り p343
まず瓦礫の処分から p344
復興は予想以上に早く進展 p345
対談:顧客への配慮と内部態勢 p346
生産出荷調整委員会をつくる p346
営業・生産・人事の調整 p347
復興の年、原料安と円高 p352
大震災からの復興に邁進 p352
原料高・円安で業界苦しむ p352
公定歩合、史上最低を更新 p352
神戸工場の復興と新石鹸工場の建設 p353
協力6社に感謝状と記念品 p353
復旧・復興と建設 p354
西工場―主に復興― p354
東工場―主に復旧― p356
新工場、早期完成の要因 p357
苦しみから得た教訓 p358
ミヨシ石鹸製造(株)の発足 p359
“石鹸づくり”は当社の原点 p359
景気は足踏み・停滞 p361
金融機関・商社などの破綻 p361
「ステップアップ21」の開始 p362
「ステップアップ21」の内容(要約) p363
中国・天津で合弁事業を計画 p365
神戸・新マーガリン工場の建設 p365
東京1系列・名古屋1系列を神戸に集約 p365
製造工程に沿った設備配置 p367
製造工程合理化の工夫 p369
衛生・品質面で作業上の工夫 p369
品質上 特別の留意点 p370
独自の制御システム p370
新マーガリン工場建設の経過 p370
「日本列島総不況」がつづく p371
銀行の“貸し渋り”が問題に p371
需要の低迷と原料高騰 p372
堅実な安定路線をたどる p373
社全体の活性化、目覚ましく p373
「ステップアップ21セカンドステージ」 p374
国際化時代を生き残るために p374
「ステップアップ21セカンドステージ」の開始 p375
名古屋工場、ISO 9001を認証取得 p375
電算システムの構築 p377
事務センターに機械を設置 p377
しかし、一時撤退に至る p378
小型機から入り、ついで全社的システム p378
化成品部門の歩み p380
油剤の本格化―昭和20年代 p380
「石油化学」の時代ヘ―昭和30年代 p381
合成繊維がブームに〔昭和36〈1961〉年〕 p383
東京工場に非イオン活性剤製造設備 p383
環境製品へ(重金属捕集剤の開発)―昭和40年代 p384
繊維油剤の衰退 p386
環境関連商品の成長―昭和50年代以降 p387
トイレタリー商品 p388
創業80周年を越えて―21世紀への胎動 p391
東京・千葉マーガリン工場の統合 p391
生産性向上を目指して p391
統合計画への道のり―狭さとの闘い p392
工場統合工事のあらまし p393
最先端工場として取り組む p394
中央庭園をめぐって p395
ミヨシ石鹸株式会社の設立に向けて―石鹸を縦糸に織りなす歴史― p396
近代日本の黎明と軍需 p396
戦後、綾瀬工場で石鹸製造を開始 p397
芳誠舎へのてこ入れ p398
合成洗剤の台頭と洗剤事業 p399
「サード」の開発と石鹸への回帰 p400
特殊な市場と高コスト体質 p400
石鹸事業の存続をかけて p401
ミヨシ油脂と石鹸事業 p401
ミヨシ株式会社の設立 p402
三木春逸相談役逝く p403
震災と神戸石鹸工場の再建 p403
ミヨシ石鹸製造(株)の設立 p404
ミヨシ石鹸(株)の設立と当社の精神 p405
外資との4大合弁事業の展開 p405
日本マレット株式会社 p406
日本シュライバーフーズ株式会社 p406
日本パルスガード株式会社 p406
日本ベアトリーム株式会社 p407
兄弟会社・南僑化学と中国ビジネス p407
拡大する中国市場と南僑化学 p407
天津頂好油脂への資本参加 p408
南僑化学・陳会長一家とのかかわり p409
ミヨシ油脂は兄貴会社 p410
中国ビジネスにおける南僑化学との協力 p411
温故知新―南僑化学との新たな協力関係 p412
資料編 p417
関連会社紹介 p417
綾瀬包装株式会社 p417
綾瀬酸素株式会社 p417
岡山食販株式会社 p418
カネボウ石鹸製造株式会社 p418
共栄商会株式会社 p419
日正商事株式会社 p419
日本タンクターミナル株式会社 p420
日本ベアトリーム株式会社 p420
日本マレット株式会社 p421
ミユキ商事株式会社 p422
ミヨシ株式会社 p422
ミヨシ商事株式会社 p423
ミヨシ石鹸製造株式会社 p423
ミヨシ物流株式会社 p424
資本金と売上高の推移 p425
歴代役員任期一覧表 p428
年表 p434
索引リスト
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