宝田石油(株)『宝田二十五年史』(1920.05)

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目次項目 ページ
宝田二十五年史本文目次
第一章 創業期 p1
第一節 創立前後の北越石油界 p1
東山油田の開発 p1
腐沢の露面 p1
地獄谷の瓦斯 p2
石阪周造氏と長野石炭油会社 p2
農商務省の油田調査 p2
米人技師ライマン氏 p2
小阪松五郎、殖栗順平、山田又七三氏と東山 p4
石動油坑会社 p5
北越石油株式会社 p6
高津谷会社 9[6?]
長岡の女仲買 p7
当時の会社組織 p8
株券発行の濫觴 p9
当時の石油株相場 p9
日清戦争後の打撃 p9
石油株と各地取引所 p9
尼瀬油田の成功 p11
魁井舎 p11
北陽舎 p12
尼瀬会社 p12
郷津会社 p12
日本石油会社の創立 p12
海面の鑿井 p12
機械掘り成功 p12
不運なる石阪周造氏 p13
大隈伯と東京会社 p13
第二節 本社創立の事情 p14
山田又七氏の着眼 p14
東山腐沢の露面 p15
鉱区獲得の苦心 p15
山本油坑会社の創立 p15
長岡石油会社の創立 p17
高津谷会社の創立 p18
山本油坑社の瓦解と殖栗順平氏の八戸落 p18
裏口より払込通知 p18
石油代金は預らぬ p19
各社の成功と長岡市の石油熱 p19
東山比礼地内の四千二十坪 p19
無名の一会社は宝田の前身 p19
宝田の名称 p20
大弓泉と大砲泉 p20
故山田社長の談話 p20
殖栗順平氏の談話 p28
第三節 創業後の十年 p31
宝田石油株式会社設立認可 p31
僅かに二坑を以て配当十五割 p31
長岡鉄管会社 p32
蒸汽採掘機の注文 p32
千歳、共益、安全三井の成功 p33
◇二十六七年中社外斯業概観 p33
大平会社大噴油 p33
日石ハース技師招聘 p33
ス社本邦支店設立 p33
上総掘の嘴矢 p33
尼瀬の大発展 p33
蔵王会社の設立 p34
重油燃焼法の完成 p34
日本油坑解散 p34
本社最初の機械掘 p35
十割配当 p35
古志石油会社合併 p36
古志宝田の名称 p37
著しき油価の変動 p37
◇二十八九年中社外斯業概観 p38
長岡鉱業会社設立 p38
新潟鉄工所の創設 p38
新津小口発展の端緒 p38
明栄石油会社を合併す p39
◇三十年中社外斯業概観 p39
内藤氏等海外視察 p40
会社数の著しき減少 p40
宝田製油事業の創始 p40
全国市場の視察 p41
株式会社長岡製油所 p41
長岡油の声価 p41
◇三十一年中社外斯業概観 p41
浅野氏の北越石油部 p42
長嶺組合噴油 p42
大和石油会社 p42
米山会社の鳥越成功 p42
宝田会 p43
長岡送油株式会社へ出資す p43
古志宝田の名称を廃して旧の宝田に復す p43
◇三十二年中社外斯業概観 p44
新津最初の噴油 p44
日本会社柏崎に移転す p44
石油輸入関税 p44
日宝石油会社起る p45
刈羽鉱業組合成る p45
石阪氏鎌田の噴油 p45
石油の騰貴 p46
販路の拡張 p46
株式会社長岡製油所及び長岡送油株式会社へ出資 p47
鉄工部新設 p47
◇三十三年中社外斯業概観 p47
地質調査の請求 p47
長岡製油所の組織 p48
ボルネオ油輸入 p48
北海道石油熱 p49
北野油田の噴油 p49
スタンダードと大平石油会社 p50
インターナショナル オイル コムパニー p50
ダン公使 p51
大隈伯の合同論 p51
恐慌来と産油の増加 p52
配当年四割八分の成績 p53
◇三十四年中社外斯業概観 p53
試掘鉱区課税 p53
石油輸入税引上 p53
第二章 合同期 p53
第一節 第一回大合同 p53
一時に二十四の会社組合を合同す p55
合同後の成績 p56
新築事務所に合同祝賀会 p56
◇三十五年中社外斯業概観 p57
インターの蔵王買取 p57
小組合の勃興 p58
新津小口朝日の開発 p58
ロータリーの嘴矢 p59
小千谷油田の開発 p59
第五回内国勧業博覧会出品 p60
山田社長等の洋行 p60
石油事業家への警告 p61
官辺に対する希望 p66
五十万円社債募集 p68
◇三十六年中社外斯業概観 p68
牧方面諸会社と出油量 p69
日本会社遠州着手 p69
インター北海道噴油 p69
無缶輸入税引上 p69
石阪週造[周造]氏逝く p69
今上陛下東宮御時代の御駐駕 p70
第二節 第二合同と日露戦役 p71
日露戦役起る p71
出征社員と休職制 p72
出征中家族の扶助 p72
戦争の打撃 p72
商況の恢復 p72
時に十八の会社組合を合同す p73
国油共同販売所の設置 p73
製油所の拡張 p74
◇三十七年中社外斯業概観 p74
内藤日石社長の渡米 p74
合同後の成績 p76
バクーの動乱と我が石油界 p76
◇三十八年中社外斯業概観 p77
インター勝見出油 p77
勝見石油組合 p77
郷津湾の出油 p77
南北石油会社創立 p77
第三節 第三次大合同 p79
合同の準備と増資 p80
村井石油部の買収 p80
一時に三十三の会社組合等を合同す p81
合同後の成績 p81
東郷上村両将軍の来社 p81
旬刊実業の長岡創刊 p83
◇三十九年中社外斯業概観 p84
大口の瓦斯井 p84
石油小組合の簇出 p84
資本総額一千万円となる p85
遠州石油組合及び新潟硫酸会社へ出資す p86
固形鉱業兼営 p86
其の後の事業成績 p87
閑院宮殿下御台臨 p87
◇四十年中社外斯業概観 p87
日本会社の増資とインター会社買収 p87
第四節 新南北、富士其他買収 p87
新南北石油及び富士石油二社を買収す p87
横浜支店 p88
新南北石油会社の沿革 p88
其の他の買収会社組合 p90
西山深掘井の噴油 p90
買収後の成績 p91
◇四十一年中社外斯業概観 p92
ラ社の本邦製油所 p92
日本会社台湾開坑 p93
日本会社秋田着手 p93
日本会社宮川噴油 p93
石油輸入税の大議論 p94
第三章 整理期 p96
第一節 松原専務の大改革 p96
松原氏の専務就職 p96
経費節減と事業縮少 p97
スラ両社の競商と油価の暴落 p98
改革後の成績 p99
◇四十二年中社外斯業概観 p99
内藤日石社長表彰さる p99
軍艦の油業視察 p99
日石秋田の成功 p99
第二節 池田氏事務就職 附日本宝田合同問題 p99
株式会社国油共同販売所の全財産を引継ぐ p100
松原専務の辞任と池田専務の就職 p100
資本金壱千五百万円となる p100
猛烈なる石油戦 p100
内外四社の協議 p101
スラ両社反目の原因 p102
滝谷三十九号井の大噴油 p102
◇四十三年中社外斯業概観 p103
柄目木大噴油 p104
鳥越油田の発展 p104
支那油田の開発 p104
東京会社破産 p104
職制の改革 p104
競商漸く止む p104
本社機械油の声価 p105
共済会組織さる p106
平沼製油所の程ヶ谷移転 p106
日本宝田合同問題 p106
◇四十四年中社外斯業概観 p107
インター北海事業買収 p108
第三節 掘鑿法の革命、ロ式の輸入 p108
取締役の供托株を増加す p108
職制の改革と出張所の分合 p109
ロータリー鑿井機の輸入 p109
先づ西山入和田鉱区に試む p110
油価漸次恢復す p111
◇四十五年中社外斯業概観 p112
日石のロ式輸入 p112
第四節 宝田小口油田大成功 大隈伯夫妻来社 p112
各地油田の開発 p112
ロータリー式の威力 p112
入和田七号井の大噴油 p112
東山の二層油 p112
台湾苗栗十八号井の噴油 p113
宝田の宝庫新津の小口 p113
内地製作のロータリー鑿井機 p114
小口の二号井 p115
同四号井 p117
製油所の拡張 p120
大隈伯来社 p121
合同の遂行を称揚し、西山油田を視察す p122
越後鉄道全通と其の利便 p123
第五節 欧洲大戦の勃発と石油界 p123
渡辺専務、小松技師帰朝 p124
四社協約の破裂 p124
日石黒川の噴油と市場の不振 p125
欧洲大戦の勃発と市況の恢復 p125
沼垂製油所と海軍重油 p125
製油品の拡張 p126
ピッチの完全燃焼 p126
新試掘 p127
台湾造橋一号井の瓦斯大発噴 p127
世界的レコード p128
西山油田にガソリンプラント創置 p128
東京大正博覧会出品 p129
◇大正三年中社外斯業概観 p130
黒川大噴油 p130
日本会社東京移転 p131
大資本家の油業着目 p132
第六節 福島甲子三氏専務就職 長岡鉄工所問題起る p132
池田専務の辞任 p132
福島専務の新任 p133
長岡鉄工場利益金隠匿事件 p133
渡辺専務解任 p133
山田社長の辞任 p133
伏見宮殿下の油業御視察 p134
福島専務弥彦神社に誓願す p137
職制の革新 p137
第四章 成業期 p138
第一節 橋本圭三郎氏社長就任 p138
資本金二千万円に p139
山田社長の正式辞任 p140
橋本氏社長就任 p142
前社長表彰 p143
橋本社長就任披露会 p144
鑿井製油総務各部長の新入社 p145
四十六回定時総会 p145
創立記念日創定 p145
勤続坑夫表彰 p145
山田社長退任披露会 p146
唱歌募集 p146
吉山製油部次長井上鑿井技師渡米 p149
鑿井方面拡張 p150
東西石油買収 p150
試験所の改築 p151
台湾物産陳列会出品 p151
四十七回定時総会 p152
◇大正五年中社外斯業概観 p153
日本会社大面噴油 p153
久原鉱業の石油事業 p153
高田商会の石油事業 p154
秋田石油鉱業会社創立 p154
大日本石油鉱業株式会社創立 p154
帝国石油株式会社創立 p155
出羽石油株式会社創立 p155
第二節 淳宮殿下西山御巡視 p155
吉山製油次長等の帰朝 p155
四十八回定時総会 p156
長岡開府三百年祭と本社 p157
第二回坑夫表彰 p158
揮発油爆発事件 p159
淳宮殿下御巡視 p160
西山油田電力応用 p160
製品の羅馬字マークを廃す p164
化学工芸博覧会へ出品す p165
米鉄禁輸と通ひ缶制度 p165
「実業之長岡」創立十年祝賀紀念 p165
四十九回定時総会と配当増加 p166
◇大正六年中社外斯業概観 p166
日石大面大噴油 p166
日石三十年祝典 p167
第三節 中外石油アスファルト会社買収 閑院宮殿下本社御成 p167
製油六ヶ月講習会 p168
仲小路農相の油田視察 p168
五十回定時総会 p168
二十五年間の進歩 p169
前社長故山田又七氏葬儀 p171
社員従業員功労金授与式 p171
沼垂製油所新築地鎮祭 p171
中外石油アスファルト会社買収 p173
増資を避けて現金を交付す p174
中外重役の更迭 p176
製品の改称と品質の統一 p176
彦島倉庫の焼失 p177
電力応用の拡張 p177
閑院宮殿下の御成 p178
五十一回定時総会と配当増加 p180
帝国海軍と本社 p182
海軍依托井始運転 p182
油価の奔騰 p182
◇大正七年中社外斯業概観 p182
鈴木商店帝国石油併合 p182
鈴木商店出羽石油合併 p182
同盟国最初の石油開坑 p183
第四節 二十五年間事業の概要 p184
資本金 p184
収支計算 p185
利益金 p185
二十五年間総収支 p186
資産負債 p186
純資産 p186
積立金及後期繰越金 p187
鉱区 p187
油井 p188
採油量 p188
原油一石平均価格 p188
株主人員 p188
資産負債比較表 p189
損益比較表 p190
毎期平均損益比較表 p192
宝田二十五年史附録目次 p195
二十五週年後現在に至るまで p195
大正八年中本邦油業大観 p195
牧油田噴油 p200
鑿井部の発展 p200
宝田独り増産を誇る p200
沼垂製油所第一期工事完成 p201
変圧器油、石油乳剤の成功 p201
水田製油部長の海外視察 p201
本社販売部の東京移転 p202
「実業之長岡」と「石油界」 p202
秋田鉱油会社を買収 p205
秋田鉱油会社略歴 p206
道川油田の好況 p207
第五二回株主総会 p209
臨時総会と津下白勢両氏の取締役就任 p210
五二回利益金配当計算 p211
徹底的減価消却 p212
中外石油二五回総会と配当計算 p213
第五三回総会 p214
普通配当率を年二割に引上ぐ p215
五三回利益金配当計算 p216
中外石油二六回決算報告 p217
油界の前途洋々 p217
宝田産油本邦第一位 p218
新株払込徴収 p218
四二議会と関税問題 p219
秋田油田の大拡張 p226
水力発電計画の進捗 p227
本社東京移転問題 p227
第五四回株主総会 p228
五四回営業概要 p232
五四回会計概要財産目録 p237
貸借対照表 p239
損益計算書 p241
株主配当年四割 p244
津下取締役の専務就職 p244
故山田社長銅像除幕式 p244
中外石油、秋田鉱油両社の解散 p246
道川二十九号井の大噴油 p246
羽川油田の大発展 p246
自大正八年至九年五月重要事件月表 p248
八年一月中 p248
同[八年]二月中 p249
同[八年]三月中 p249
同[八年]四月中 p249
同[八年]五月中 p250
同[八年]六月中 p250
同[八年]七月中 p251
同[八年]八月中 p251
同[八年]九月中 p252
同[八年]十月中 p252
同[八年]十一月中 p252
同[八年]十二月中 p253
九年一月中 p254
同[九年]二月中 p254
同[九年]三月中 p254
同[九年]四月中 p255
同[九年]五月中 p256
自大正八年一月至大正九年四月社外斯業概観 p256
中野貫一氏の寄附 p256
ス社の極東発展 p256
東北石油創立 p256
不況対抗策 p256
日石本社新築計画 p257
日宝社と鉄道院 p257
愛国石油会社創立 p257
秋田礦油会社の成功 p257
東京揮発油会社創立 p257
海軍大タンク建設 p257
日石大面十号井の噴油 p257
ス社の突飛なる値下げ p258
労資協調界と日宝両社 p258
大石油講座新設 p258
秋田専教授の海外見学 p258
日石の中央石油買収 p258
軽油免税運動 p258
伊木技師長帝大教授に転ず p258
羽越線開通 p258
灯油値上協定 p258
中野財団の寄附 p259
早大石油講義 p259
日宝両社揮発油の値上 p259
久原鉱業とボルネオ油田 p259
日石高野技師長帰朝 p259
財界反動と石油界 p259
宝田二十五年史上欄目次 p1
第一項 本邦石油の発見 p1
一、 緒言 p1
山師の仕事から国家的世界的の事業へ p1
燃水燃土献上の故事 p2
草生水 p2
二、 発見地の所在 p3
草生水の語源 p3
ライマン氏の報告書 p3
山田家の答申書草生水油沿革略記 p4
献上地 p4
西村家の旧記 p8
本草綱目の所説 p9
三、 草生水の産地 p9
旧記の所伝 p10
安政嘉永頃の石油事業 p11
四、 七不思議の一 p11
如法寺の天然瓦斯 p11
北越雪譜 p12
荘右衛門が家 p12
地獄谷の火 p12
瓦斯に関する古人の智識 p13
新津の真柄中野の両家 p14
五、 新津油田の開祖 p15
田家村の沸壷 p15
真柄氏の発見 p16
六、 金津の開基坪 p17
黄金の神体 p17
開基坪 p17
掘出神社 p17
中野家と草生水祭 p18
七、 玄藤臭水の発見 p18
慶長年間達野の大崩壊 p18
臭水の湧出 p18
八、 当時の石油税 p19
西村家の記録 p20
最初は見取税 p20
真柄氏の上申書 p20
柳清水の村運上 p22
第二項 昔時の鑿井採油法 p23
一、 手掘時代の初期 p23
元和年中の開坑 p23
西村家の旧記 p24
手掘の法式 p24
二、 幼稚なる手掘 p25
日産一二斗 p25
水出しの発明未だし p25
三、 真柄家掘鑿法 p26
草生水猿板仕様の壷 p26
四、 簡単なる採油法 p29
カグマ草 p29
東西同揆 p29
五、 大規模の鑿井 p30
文久年間越後黒川の鑿井 p30
平野安之丞と米人シンクロートン p30
日産七十石 p30
異人井 p31
第三項 現今の鑿井採油法 p31
一、 手掘鑿井法 p31
二、 衝撃鑿井法 p32
竹棹鑿井法(上総掘) p32
綱索鑿井法(機械掘) p35
三、 水圧回転鑿井法 p38
四、 採油法 p42
ペーラー法 p43
喞筒法附ポンピング法 p44
五、 原動機 p45
六、 汽缶 p46
七、 汽缶燃料 p47
八、 給水 p50
九、 汽機 p50
十、 瓦斯及石油発動機 p51
十一、 喞筒 p52
十二、 発電機 p54
十三、 電動機 p54
十四、 改良を施したる要点 p55
第四項 本邦製油の沿革 p58
一、 製油の沿革一班 p58
蘭医喜斎のランビキ蒸溜法 p59
中川儀右衛門 p59
西村家のランビキ改良 p59
半田村の蒸溜所 p59
硫酸洗滌 p60
石坂氏と最初の洋式製油 p60
小見観止 p60
桑原豊吉の石蝋精製法 p60
滝沢安之助の製油事業 p60
赤羽工作局製作の石油釜 p61
未洗灯油 p61
洗滌法 p61
其の後の発達 p62
二、 揮発油 p64
精製揮発油 p65
ガソリンプラント p65
分解揮発油 p68
三、 灯油 p71
四、 軽油 p73
五、 機械油 p74
六、 重油とピッチ p76
七、 各種製品の用途 p77
第五項 宝田販売の沿革 p80
一、 初期に於ける原油の運搬 p81
最初は人肩馬背 p81
流送鉄管 p82
労働者の反対 p85
二、 初期に於ける販売状態 p86
採油業者と製油家は別 p86
原油の販売 p86
販路の拡張 p86
長岡製油所と粗製濫造の防止 p87
新潟商品取引所と石油の定期売買 p87
三、 宝扇商会 p88
委託販売から宝扇商会の一手販売へ p88
宝田会社へ買収 p89
四、 国油共同販売所 p89
競商防止の動機、日宝両社等分の出資 p89
共同販売所の創設 p90
品質の改良 p92
宝田の経営に移る p93
事業の拡張と増資宝田へ併合 p95
五、 碓氷越し流送鉄管 p95
国油共同販売所の申請 p96
工費十万円 p97
岩越線の開通と同時に撤廃 p97
六、 タンク船及輸送船 p97
タンク船宝国丸 p97
輸送船青竜丸 p98
中国丸 p98
七、 タンクカー p98
最初は木製 p99
運輸史上の一新紀元 p100
第六項 宝田礦区の沿革 p100
一、 総説 p100
二、 創立時代 p102
三、 合同時代 p104
第一次合同 p104
第二次合同 p105
四、 整理時代 p107
五、 復興時代 p110
六、 金属鉱区の消長 p110
七、 買収鉱区面積一覧 p111
八、 鉱区消長一覧 p111
第七項 宝田鑿井技術の沿革 p115
一、 手掘式 p115
二、 綱掘式 p117
三、 上総掘式 p120
四、 ロータリー式 p120
五、 水圧循環式 p123
六、 採油の変遷 p124
七、 動力 p127
第八項 宝田各地油田 p130
一、 東山油田 p130
浦瀬油田 p132
加津保油田 p136
椿沢、桂沢油田 p140
二、 西山油田 p141
開発の端緒 p142
後谷宮川油田 p144
長峯油田 p145
鎌田油田 p147
伊毛油田 p149
西山油田第二次盛況 p150
西山油田第三次盛況 p152
三、 新津油田 p154
開発の端緒 p155
新津油田の発達 p157
金津、塩谷、高谷区域 p165
朝日区域 p168
小口区域 p169
境沢、神堂入区域 p171
桜谷、沢熊区域 p173
粗朶山区域 p173
柄目大滝谷区域 p175
東島区域 p175
四、 小千谷油田 p178
開発の端緒 p178
失敗続出 p179
明治三十六年の盛況 p180
各社の事業 p180
本社の統一 p181
五、 遠州油田 p181
石坂氏の開発 p182
宝田の統一 p183
日石東洋両社の起業 p183
六、 苗栗油田 p184
開発の端緒 p184
清朝時代 p184
台湾石油組合 p185
南北石油会社 p185
宝田の統一 p185
大正二年 大噴油 p186
七、 頸城油田 p187
地理 p187
頸城油田開発 p188
岩神方面の開発 p189
棚広方面の開発 p190
八、 秋田油田 p192
豊川油田 p192
道川油田 p193
第九項 宝田各製油所 p195
一、 長岡製油所 p195
圧搾〓気[空気?]の応用 p195
日本平野両石油会社買収 p195
第一製油所と改称 p196
附属試〓[験?]所 p196
附属製缶所 p196
小千谷原油の激増と設備の改良 p197
浅〓[浅野?]製油所買収並に閉鎖 p197
引火点問題と製油の統一 p198
本所と国油共同販売所 p198
新式製缶 p198
長岡製油所と改称 p199
二、 柏崎製油所 p199
当所は浅野氏経営 p200
四十二年の大拡張 p203
西山油田の連絡 p203
柏崎製油所の称 p203
西山深層掘の成功と揮発油の製造 p203
大正三年の大拡張 p204
製缶作業開始 p204
荷造の請負廃止 p206
頸城産原油全部の製造 p206
三、 新津製油所 p206
日本礦油時代 p206
宝扇商会時代 p207
新津原価にパラレルコンデンサー使用の嚆矢 p207
新津製油所の称 p208
大正五年の拡張 p209
小口油田の噴油と本所の運命 p209
荒引再製の開始 p210
拡張工事の完成 p211
四万六千石の大タンク p212
四、 新潟製油所 p211
信濃河畔の偉観 p212
一時中止の機運 p213
倉田久三郎氏の再興 p213
明治三十一年の殷盛 p213
愛志組の買収 p214
三十七年失火 p214
宝田の買収 p214
新潟製油所の称 p215
委托制度と和田製油所 p215
五、 沼垂製油所 (本所に就ては本文一七二附録二〇一、二〇三、二五一参照) p216
村井石油部の創設 p216
宝田会社の継承 p216
引継当時の設備 p217
沼垂製油所の称 p217
廃白土より油分の回収 p217
海軍重油の製造 p217
岩越線の開通と本所 p218
海外輸出 p218
六、 苗栗製油所 p219
南北石油会社の創立 p219
宝田の買収 p219
国油共同販売所と本所 p219
苗栗製油所の称 p220
出噴坑製油所の併合 p220
本所と製缶事業 p220
七、 横浜製油所 p221
外国原油の製造 p222
宝田の買収 p222
輸入原油の種類 p222
ライヂングサンと委托製油 p223
大正七年の再開 p223
沼垂製油所の拡張と本所の廃止 p223
八、 金津製油所 p223
金津原油処理の目的 p223
国油共同販売所より宝田へ p224
経営約二年 p224
九、 椿沢製油所 p225
小林氏の経営より宝田へ p225
桂沢原油の荒引 p225
本所と長岡製油所 p225
十、 尼瀬製油所 p225
愛志組の計画 p225
宝田の買収 p225
共同経営 p226
尼瀬勝見の衰退と本所の廃止 p226
第十項 石油に関する諸統計 p226
一、 本邦産油額 p226
二、 大正八年会社別産油額 p229
三、 灯油年別製造額 p230
四、 灯油輸入年別額 p232
五、 本邦製油額 p232
六、 世界産油額 p236
七、 本邦発動機漁船 p244
八、 本邦瓦斯産額 p246
九、 本邦アスファルト産額 p249
宝田会社の組織 p255
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