小野田セメント(株)『回顧七十年』(1952.12)

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目次項目 ページ
巻頭の辞 安藤豊禄 NP
例言 NP
編者の言葉 NP
我社の展望(地図と写真) 巻頭
地図 工場事業場分布図。 巻頭
写真 巻頭
小野田本社 巻頭
東京本部 巻頭
徳利窯と当時の工場 巻頭
ディーチュ窯と当時の工場 巻頭
歴代の社長 巻頭
現在の役員 巻頭
中央研究所 巻頭
大船渡工場 巻頭
田原工場 巻頭
藤原工場 巻頭
阿哲工場 巻頭
小野田工場 巻頭
恒見工場 巻頭
八幡工場 巻頭
津久見第一工場 巻頭
津久見第二工場 巻頭
東京サービス・ステーション 巻頭
神戸サービス・ステーション 巻頭
塩釜サービス・ステーション 巻頭
賢洋丸 巻頭
竜洋丸 巻頭
恒見の石灰石山 巻頭
大嶺の石灰石山 巻頭
部長、工場長 巻頭
支店長、事務所長、出張所長 巻頭
三十年以上の勤続社員(一)(二)(三)(四) 巻頭
大阪支店、門司支店、名古屋支店、札幌事務所、仙台事務所、広島事務所、福岡事務所、若松出張所。 巻頭
色刷 巻頭
セメント生産高表。 巻頭
セメント出荷高表。 巻頭
セメント輸出高表。 巻頭
第一編 p1
刻苦精励の五十年(自明治十四年//至昭和五年) p1
民間セメントの芽生え p1
笠井順八の烱眼 p1
機会愈々到来 p1
外貨獲得を標榜 p1
品質優良の太鼓判 p1
新時代の会社組織へ p1
愈々積極的に乗出す p1
製品優良の実例 p1
海外へ飛躍を始む p1
日清戦後の積極策 p1
増資に次ぐ増資 p1
三井物産と提携成る p1
一大悲境に見舞はる p1
高潔な社長の心事 p1
米国へ空前の大輸出 p1
一時黄金時代を現出 p1
鬼に鉄棒の強味 p1
実力を天下に示す p1
海外への進出を目覚し p1
飽まで堅実主義 p1
襲来した大旋風 p1
「大小野田」出現の基礎 p1
海外支社の発展 p1
八幡・藤原・阿哲 p1
セメント聨合会と我社 p1
西の小野田東の浅野 p1
樽材に悩んだ時代 p1
麻袋と紙袋 p1
写真 p1
佐波山洞道 p1
明石燈台 p1
山科疎水とセメント橋梁 p1
元三井銀行 p1
第二編 p51
鮮・満に小野田社(自昭和六年//至昭和九年) p51
統制機関と我社の主張 p51
出荷高の大躍進 p51
我社と各社の抗争 p51
企業の新増設と原因 p51
笠井・金子の交渉決裂 p51
自由の立場において p51
袂別声明書 p51
朝鮮・満州・輸出 p51
堅実な画期的施設(朝鮮) p51
目覚しき進出振り(満州) p51
前途大に悲観さる(輸出) p51
遂に統制の時代来る(自昭和十年//至昭和十五年) p68
驚くべき濫売競争 p68
改善委員会の組織 p68
紛争目出度く解決す p68
いよいよ統制の布陣 p68
共販会社の設立 p68
セメント工業組合 p68
大分・太平・愛知 p68
朝鮮・満州・輸出 p68
大混乱を捲き起す(朝鮮) p68
我が工場の発展(同[朝鮮]) p68
配給機関を設ける(同[朝鮮]) p68
果然供給過剰となる(満州) p68
共同セメント会社(同[満州]) p68
総出荷一五八万瓲(同[満州]) p68
関東州小野田社の活躍(輸出) p68
セメント輸出組合(同[輸出]) p68
第三編 p93
太平洋戦争と業界(自昭和十六年//至昭和二十年) p93
セメント統制会生まる p93
東北セメント合併 p93
企業整備令強行 p93
海外に移設の命令 p93
軍事工場に指定さる p93
恒見工場の建設 p93
朝鮮・満州・輸出 p93
両工場本社へ復帰(朝鮮) p93
工業組合の功績(同[朝鮮]) p93
竣工に五年を要す(同[朝鮮]) p93
世界第二の発電工事(同[朝鮮]) p93
極めて円滑に進む(同[朝鮮]) p93
日満商事の飛躍(満州) p93
好調の運転を持続(同[満州]) p93
我社四工場表彰さる(同[満州]) p93
殆ど全滅の有様(輸出) p93
写真 p93
水豊洞ダム p93
終戦後における業界(自昭和二十年//至昭和二十四年) p117
国家行路の難渋 p117
資本金を四億に p117
終戦混迷時代の業界 p117
莫大なセメント需要 p117
副業と委託加工 p117
周到なセメント統制 p117
価格調整公団の成立 p117
適正な公団の努力 p117
業者の団体続出す p117
三井との関係絶ゆ p117
建築美(写真)(本社セメント使用の主要建物土木の一部) MD
皇居伏見穭 MD
歌舞伎座 MD
大阪城 MD
慶応大学 MD
ブリッジ・ストンビル MD
帝国銀行 MD
明治生命ビル MD
三井別館 MD
新光レイヨンビル MD
上野松坂屋 MD
聖心女子大学 MD
麹町女学院 MD
三井倉庫 MD
スポーツセンター MD
後楽園競輪場 MD
北大農学部 MD
札幌逓信局 MD
仙台市立病院 MD
仙台鉄道病院 MD
関門トンネル MD
阪急航空ビル MD
大阪大丸 MD
箱根ホテル MD
川奈プール MD
平岡ダム MD
志摩観光ホテル MD
神戸女学院 MD
山口市役所 MD
萩市公民館 MD
岩国山陽パルプ MD
広島稲荷橋 MD
高茗ダム MD
岡山百貨店 MD
三条大橋 MD
栗林公園美術館 MD
八幡市公民館 MD
宮崎石河内ダム MD
宮崎橘橋 MD
門鉄ビル MD
日銀福岡支店 MD
第四編 p133
自由販売への復帰(自昭和二十五年//至昭和二十六年) p133
統制の撤廃また撤廃 p133
遂に黄金時代を現出 p133
統制撤廃と出荷成績 p133
我社販売価格の推移一覧 p133
我社工場の躍進 p133
販売機構の完璧 p133
我社SSの大活躍 p133
特約販売店竜交会 p133
我社製品使用の工事 p133
終戦後の輸出状況(自昭和二十二年//至昭和二十六年) p146
冬眠状態から目覚む p146
セメント輸出協会 p146
我社の果敢な進出 p146
自由貿易体制は一年 p146
セメント価格の変遷(自明治二十年//至昭和二十六年) p155
空前の安値時代 p155
協定価格の経緯 p155
公定価格制の採用 p155
輸出価格の変遷 p155
苦心を重ねた輸送(自昭和六年//至昭和二十六年) p161
海上輸送は一入困難 p161
我社の臨機応変策 p161
海運界漸く活気づく p161
バラ積輸送は画期的 p161
白色セメントの活気(自大正五年//至昭和二十六年) p166
我社独特の最高級品 p166
セメント統制の推移(自大正十三年//至昭和二十四年) p168
聯合会十六年間続く p168
幾変転の統制処置 p168
終戦後の国家統制 p168
その後の容器問題 p172
小野田築港の変遷 p172
企業の再建整備 p172
資本増加の経過 p172
興味ある経理の変遷 p172
写真 p172
容器 p172
商標 p172
昔の元帳 p172
第五編 p185
生産工程(絵図と写真) p185
石灰石の蓄積(写真)。 p185
乾式と湿式の工程図(色刷) p185
工程の順序(写真)。 p185
工場一覧 p185
現有 p185
喪失 p185
移設等 p185
回転窯数と公称能力 p185
現有八工場の変遷 p191
大船渡工場 p191
田原工場 p191
藤原工場 p191
阿哲工場 p191
小野田工場 p191
恒見工場 p191
八幡工場 p191
津久見第一工場 p191
津久見第二工場 p191
移転工場と復元工場 p227
愛知支社工場 p227
徳浦工場 p227
由良工場 p227
彦根工場 p227
石灰石山の状況 p235
第六編 p241
朝鮮における工場 p241
平壌工場 p241
川内工場 p241
古茂山工場 p241
三陟工場 p241
鴨水社セメント工場 p241
写真 p241
朝鮮各工場 p241
満州における工場 p259
大連工場 p259
鞍山工場 p259
泉頭工場 p259
小屯工場 p259
哈爾浜工場 p259
牡丹江工場 p259
廟嶺工場 p259
写真 p259
大連工場 p259
鞍山工場 p259
その他の海外工場 p273
上海水泥竜華工場 p273
比島の二工場(セブ、リザール) p273
マカッサル工場 p273
敷香工場 p273
第七編 p281
品質改善の変遷 p281
試験所と研究所 p281
諸原料に就て(石灰石、粘土、石膏、鉄分、石炭)、石灰石、石膏、鉄分、石炭の各試験成績表 p281
品質の監理 p281
回転窯吹込炭試験成績表 p281
焼成用石炭試験成績図表(一、二) p281
各種の研究事項 p281
物理試験成績 p281
化学成分各図表 p281
品質の推移 p281
標準強度規格と我社製品の強度 p281
本邦セメント強度規格と我社セメント強度との推移図表 p281
小野田工場の物理試験表 p281
同[小野田工場の]化学成分表 p281
同[小野田工場の]セメント試験成績各図表 p281
電子顕微鏡の設置 p281
大船渡、田原、藤原、阿哲、恒見、八幡、津久見各工場並に我社経営の旧各工場のセメント物理試験表、化学成分表 p281
写真 p281
研究所の各機関並に原子顕微鏡の撮影 p281
第八編 p353
福利厚生の諸施設 p353
従業員の福利を図る p353
従業員の教育 p353
共済会の制度 p353
共済機関の拡大 p353
就業時間の変遷 p353
給与の変遷 p353
従業員の変遷 p353
産業労働政策の進展 p353
労働組合の誕生 p353
労働組合連合会 p353
労働組合の運動 p353
給与の状況 p353
人員配置と労務効率 p353
引揚従業員の保護 p353
殉職者並に救護方法 p353
写真 p353
小野田、大船渡、田原、藤原、阿哲、八幡、別府、津久見、目黒等の倶楽部、寮、社宅。 p353
第九編 p389
定款、機構、歴代社長、役員 p389
我社の定款 p389
機構職制の変遷 p389
取締役一覧 p389
歴代社長の略歴 p389
監査役一覧 p389
写真 p389
新旧株券 p389
趣味のセメント(彫刻写真) p405
円柱による女「樽谷清太郎」 p405
花「建畠覚造」 p405
花「笠置季男」 p405
日時計「滝川美一」 p405
裸婦「辻晋堂」 p405
風「沢田晴広」 p405
夜明「山本豊市」 p405
蝶々「清水多嘉示」 p405
平和なる想「清水礼四郎」 p405
上野駅前広場の立像 p405
東京駅待合室の女像 p405
日活ビル屋上の偶像 p405
富山駅前の平和群像 p405
野外創作展覧会 藤井正一 p405
第十編 p409
小野田社回顧録 p409
焼成釜の種々相 朝枝信太郎 p409
機縁 浅野忠 p409
小野田労連を顧る 安藤外之 p409
大いなる抱擁力 石田昇造 p409
二つの事件 石林友之進 p409
特殊な社風発揮 小川逸郎 p409
笠井さんを偲ぶ 金子喜代太 p409
小野田社の強味 狩野宗三 p409
セメント船探し 樫野赳夫 p409
働き盛りを満州で 国吉喜一 p409
世界に雄飛する 小林郁文 p409
三つの時代 小山新一 p409
家族的な社風 近藤一郎 p409
座談会の思出 近藤泰夫 p409
大した社長さん 坂静雄 p409
愛着の大船渡 佐々木敏雄 p409
国宝級の社長 鹿野千代槌 p409
大家族主義の現はれ 品川英二郎 p409
偉大な伝統の力 清木通夫 p409
貢献偉大 高月喜右衛門 p409
回想断片 田中太郎 p409
鋼板の悩み 長野年美 p409
私は幸福者である 松本松之助 p409
終戦に伴ふ危機突破の思出 光谷堯 p409
太平工場建設の回顧 三戸康正 p409
満州の二十年 村上善三 p409
男と男の取引 山本義人 p409
販売七十年 吉田伝七 p409
想起す上海水泥公司 渡辺生一 p409
第十一編 p467
二六年五月以後の事項 p467
各工場の新設備 p467
吉田山の採石改善 p467
SSのその後 p467
業務規程 p467
その後の厚生施設 p467
営業・経理の統計 p477
セメント生産能力生産実績対照表 p477
セメント生産高出荷高表 p477
我社工場別年度別生産高表 p477
我社工場別年度別出荷表 p477
セメント輸出高表 p477
対借対照表 p477
利益金及び利益金処分 p477
小野田社年譜 p491
編纂後記 前田登作 NP
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