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(株)浅沼商会『浅沼商会百年史』(1971.10)
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目次項目
ページ
第一章 浅沼藤吉時代
p1
浅沼藤吉の生い立ち
p1
写真術の日本渡来
p2
薬種屋に丁稚奉公
p4
医者を志して出奔
p6
十八歳で独立
p7
写真材料商を志した動機
p8
最初のぼろい大もうけ
p11
創業当時の写真業界
p12
スワン乾板を輸入
p14
初期の顧客は上流階級
p16
写真館の始祖とその系譜
p17
最初の国産〔東京乾板〕を製造
p23
日本乾板株式会社設立に協力
p27
国産台紙の製造
p30
ラバニスの発売
p31
初めて鶏卵紙を輸入
p32
日本最古の写真雑誌
p34
二大勢力の対立
p39
写真材料商組合の前奏曲
p42
日清戦争前後の写真界
p42
パリ万国博出品と海外視察
p44
浅沼商会の型録
p48
活動写真機の輸入
p52
特別大演習陪観記
p53
東吾、治相携えて外遊
p55
恩師オット・メンテ教授を悼む 浅沼治
p57
日露戦争と商運の伸展
p59
日本橋名物の新社屋落成
p60
海外一流メーカーの販売権獲得
p62
第一次世界大戦の明暗
p63
戦後に打出した諸施策
p67
我国最初の高等写真教育科設置に際し機材薬品と浅沼特設館と寄贈
p68
全国に代理店、特約店誕生
p72
加藤隆助氏と浅沼
p73
白木屋事件
p74
時代に促される写真家の激増 浅沼藤吉
p75
第一期黄金時代
p77
関東大震災の打撃
p82
浅沼藤吉の臨終
p84
藤吉成功の蔭に良友の秘話
p86
第二章 浅沼治時代
p87
浅沼治の青年時代
p87
結婚後工場長に就任
p87
浅沼製暗箱の名声を高める
p88
工場長 菅保男の外遊
p89
復興途上の苦慮
p96
竜吉の退社と突発事件
p96
藤吉社長とその部下達 菅保男
p98
震災後の復興と邁進
p103
危機を救った三種の神器
p105
浅沼治 二代目社長に就任
p109
芽生運動の推進に協力
p110
〔時の流れ〕の発刊
p111
アマチュアとの接触を強化
p113
ライカとコンタックス
p115
イーストマン・コダック社と浅沼
p117
コダック・ジャパン・リミテッド開設
p119
イーストマン氏を憶う 菅保男
p120
カールツアイスと浅沼
p122
オリエンタルと浅沼
p125
国産印画紙時代来る
p127
富士写真フイルムと浅沼
p128
国産カメラメーカーとの取引関係
p131
ミノルタカメラと浅沼
p133
日本8ミリ映画協会の設立
p136
戦時体制下の苦闘
p137
業界の報国運動に協力
p139
〔写真新報〕廃刊
p142
写真新報を愛惜する言葉
p145
配給統制により開店休業
p147
第三章 浅沼治一時代
p149
浅沼治一の略歴
p149
日華事変に応召
p149
終戦に伴い卸業者として復活
p149
旧円封鎖と新円の発行
p150
浅沼三代目社長として活躍
p152
苦境のどん底に二代目社長の棺を葬る
p153
浅沼治社長を悼む
p154
浅沼商会中興の祖に捧ぐ
p158
浅沼創業以来の変遷と現状報告を第一銀行室町支店に提出、融資を頼む
p159
経営の苦難に慈母の愛
p165
第一銀行ペニシリン大明神
p166
昭和二十六年九月に全社員の自覚を促す
p169
偉大なる古き歴史の力
p171
社長治一の海外視察
p173
競争激化による市場混乱の対策
p175
終戦後の急激な設備投資が市場混乱の導火線
p177
卸業者の体質改善と卸協力会の発足
p178
各所で卸協力会精神の説明会
p184
一歩前進「我が道を行く」
p185
協力会講演会
p186
質素な八十五周年記念祝典
p189
浅沼商会の四本柱
p190
浅沼一門及び社員の海外視察
p191
本店、支店、出張所の沿革
p197
本社々屋新築移転
p199
大阪営業所新築移転
p200
名古屋営業所新築移転
p200
本社別館新築
p200
本社・営業所・出張所
p201
重役社員異動表
p215
年表
p217
浅沼家家系図 歴代戒名 物故者 営業報告書
巻末
索引リスト