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江間忠木材(株)『商人の道 : 江間忠70年のあゆみ』(1995.12)
基本情報
目次
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資料編
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目次項目
ページ
口絵
巻頭
発刊のことば
巻頭
序 江間忠商店の創業と戦中・戦後の活動
p4
1 草創期
p4
[1] 出生から修業まで
p4
江間忠蔵。八王子に生まれる
p4
第1次世界大戦と木材業界
p4
木場の伝統と徒弟制度
p5
関東大震災、東京を直撃
p6
[2] 今を逃して独立のチャンスはない
p6
福正商店を退職独立
p6
斎藤キンと結婚
p7
[3] 関東大震災からの復興
p7
内地材の高騰と木材の輸入
p7
値上がりを抑える苦肉の策
p8
日本外材輸入協会連合会
p9
[4] 昭和初期の不況と満州事変
p10
銀行、商社の倒産しきり
p10
昭和4~5年の業界の倒産
p10
世界恐慌
p11
満州事変と軍需景気
p12
昭和初期の住宅建築
p12
昭和初期の米材輸入
p12
国内林業保護が旗印
p13
[5] 日本米材輸入組合の発足
p14
不況からの脱出
p14
非住宅建築の増加
p14
日本米材輸入組合、16時間総会
p15
江間忠蔵、常務理事となる
p16
戦前の江間忠商店
p17
江間忠木材有限会社に組織を改める
p18
2 戦時木材統制と戦後の江間忠木材(有)の再開
p20
[1] 第2次世界大戦
p20
[2] 木材統制法による商権の奉還
p21
木材統制を一元化
p21
[3] 日本木材株式会社と地方木材株式会社
p21
自由取引を認めず
p21
ほとんどが軍需
p22
[4] 国破れて山河あり
p22
年間建築数の14年分を喪失
p23
[5] 変革と混乱
p23
法と制度を次々と解体
p23
猛烈インフレ
p24
日本国憲法公布
p24
必要だった劇薬ドッジ・ライン
p24
[6] 江間忠木材(有)の再開
p25
公定価格は有名無実
p25
新大橋で事業を再開
p25
再び3Sマークの意気込み
p25
第1章 戦後復興と江間忠の基礎固め
p28
1 株式組織に変更
p28
[1] 木材取引の自由化
p28
まだ外貨割当の制約
p28
朝鮮戦争と奇跡の復興
p29
滞貨一掃
p29
占領政策の転換
p30
[2] 江間忠木材当面の目標と経営方針
p30
株式会社として組織変更
p30
外材取引の再開
p31
追いつけ追い越せ
p32
米材が取り扱いの中心になると予測
p32
[3] 国内木材価格と業界の動向
p32
内地材と米材の価格接近
p32
米材輸入が採算圏に
p33
8,000万石の風倒木
p33
[4] 初めての米材買い付け
p33
羽田から万歳で見送る
p33
良材のみを選別
p34
[5] 江間忠木材の歩み順調
p34
官材の取り扱いも積極的
p34
毎月の計算が大変
p35
皆よくまじめに働く
p35
赤もの中心から白もの市場へ
p35
商圏拡大と機動力導入
p35
第1号支店平野町販売所を開設
p36
第2章 ひたむきに業容と業績を拡大
p38
1 急速に販売網を拡大
p38
[1] 神武景気終わる
p38
もはや戦後ではない
p38
外材輸入が本格化
p38
[2] 合板・新建材の販売に乗り出す
p39
忠蔵社長の方針
p39
優良先進会社で3年修業
p40
江間忠合板の発足
p40
[3] 伊勢湾台風の被害と教訓
p48
被害を大きくした流木
p40
港湾設備の不足と不備
p41
2 輸入量の増大と組織体制づくり
p44
[1] 丸太の陸揚げは果たして邪道か
p44
水面貯木が昔からの常識
p44
川崎市営埠頭で陸揚げ
p45
貿易と為替の自由化
p46
[2] 第2号支店(水場支店)の開設と社宅の完成
p46
水場支店開設
p46
篠崎町に社宅を建設
p47
台湾桧を大宮八幡宮へ
p47
[3] 港湾整備5か年計画
p48
全国的な港湾見直し
p48
貯木場の増設・拡大
p48
当社も独自に港湾施設を調査、検討
p49
[4] 所得倍増政策の光と影
p50
米材輸入量、劇的に増加
p50
木材価格の緊急値下げ対策
p51
外材輸入を600万m3増やす
p51
対策尻目に依然値上がり
p52
[5] 管理体制の徹底
p52
金融機関から人材を迎える
p52
数字分析による与信管理
p54
奥川商工事件
p54
裁判所から突然送達状
p55
[6] 日本米材協議会の設立
p55
第3章 経済高度成長期の飛躍
p58
1 積極的な投資で飛躍の足がかりをつかむ
p58
[1] 江間忠木材の資本金2,500万円
p58
設立13年で資本金50倍に
p58
30年代の先駆け意欲の成果
p59
[2] 長期的視野で用地確保
p60
次から次へと連続の大投資
p60
本社ビル建設の計画
p61
錦糸町に用地を取得
p62
不動産に対する当社の考え方
p62
[3] 千葉新港に土地取得
p63
成長・発展への基礎作り
p63
当時の常識的な広さと立地条件
p64
日本初の木材専用埠頭
p64
木材荷役の革新
p65
[4] 京葉木材埠頭株式会社の設立
p66
設立の経緯
p66
土地取得の裏ばなし
p67
銀行が融資に二の足
p69
第1船、昭久丸、満船積みで入港
p70
江間忠大発展の基
p71
京葉木材埠頭の増資とシェアの推移
p71
[5] 米材製品専門部門の設立
p72
米材輸入さらに増加
p72
米材製品市場の拡大を確信
p73
商社仕入れをメイン2社に絞る
p74
[6] 東急興産木材埠頭(株)の設立
p75
蒲郡港に第2の木材専用埠頭
p75
市は当社の進出を熱望
p75
金は必要なだけ東急が出す
p76
得意先組織づくりと江間忠会
p77
[7] 海外雄飛の夢を実現
p78
当社の海外進出の経緯
p78
カナダに支店開設の必要性
p79
TRAPA社とエージェント契約
p80
初めてのカスタム・カット
p80
歩留り75%で頭の中真っ白
p81
移民ビザで入国、5年後に永住権
p82
2 増資と事業分野の拡大
p84
[1] 江間忠木材資本金9,200万円に
p84
業績、着実に伸びる
p84
木場住宅産業(株)を設立
p86
[2] 新分野を求めて
p86
戦火直前のカンボジアへ
p86
非常事態宣言で帰国
p87
米材産地視察団の第1回旅行
p88
カナダにELK TRADING CO.,LTD.を設立
p89
京葉木材埠頭の大火災
p89
インドネシアのエビ事業
p90
[3] 木材業界の新木場移転
p91
280年ぶりに新造成地へ
p91
397ヘクタールに「東京・新木場」
p92
3 創業50年
p94
[1] 好決算により全国法人所得ランキング801位
p94
好決算の理由
p94
[2] 創業50周年記念式典
p96
異常高値にも便乗せず
p96
トレードマークの変更と記念誌
p97
会場に佐川翠龍の大看板
p98
小さな苗木も一人前に成長
p99
[3] 第1次オイルショックの影響
p100
列島改造景気が終わって低成長時代へ
p100
大型で深刻な、初の大不況
p100
すばやく的確な対応
p102
業界の構造変化と再編成
p102
2×4(枠組み壁工法)の導入と普及
p103
[4] 9階建ての本社ビルが完成
p103
昭和48年春から建築開始
p103
[5] 創業者、江間忠蔵の死去
p104
江間忠蔵の死
p104
木場の商店から海外法人を持つ木材専門商社へ
p106
第4章 オイルショックの克服と体質改善
p108
1 木材専門商社への道
p108
[1] 不況克服の政府の対応
p108
第1次オイルショックからの脱却
p108
[2] 米国に現地法人を設立
p109
初めてのコンテイナー船利用
p109
EMACHU(U.S.A.),INC.を設立
p110
[3] 江間忠木材歴史に残る好決算
p111
全国法人所得番付第925位
p111
翌年も全国法人所得番付第895位
p112
EMACHU(U.S.A.),INC.設立記念パーティー
p112
蒲郡営業所開設、東海木材埠頭(株)設立10周年記念パーティー
p113
東京急行電鉄(株)から東急興産木杯埠頭を買収
p115
[4] 第10回記念、江間忠ツアー
p115
[5] ワシントン州セント・ベレンス大噴火と森林被害
p118
2 管理部門の充実
p120
[1] 有機的連携と活性化
p120
当社の権限分立の原則
p120
ダブルチェックの原則
p121
財・総本部を創設
p122
監査本部を創設
p122
設定済み不動産担保の解除
p123
与信管理の制度化
p124
大損失の時にも担保を付けず
p126
輸入決済手形制度融資
p126
3 泰一社長の活躍
p130
[1] 業界のリーダーとして尽力
p130
京浜米材協会会長に就任
p130
日米木材貿易交渉
p130
4 第2次オイルショックへの対応
p136
[1] 再びオイルショックへ
p136
世界を揺さぶるオイルショック
p136
[2] 一転地獄へ落ちた木材業界
p137
坂道を転がり落ちる木材相場
p137
新設住宅着工戸数20%の落ち込み
p138
2年連続の大赤字
p139
オイルショック前後の当社の実績
p140
価値観と考え方の大変化
p140
[3] 会社一丸となって危機突破
p141
大損覚悟で相場に逆らわず
p141
二大憲章の制定
p142
在庫規制と為替予約
p142
役員の給料半分に
p143
経費節減と採用ストップ
p144
57年11月期には早くも立ち直り
p145
自己資本勘定の増減から見る好・不況
p145
[4] 倒産旋風吹き荒れる
p146
新旭川の自己破産
p146
名門、老舗の倒産
p146
5 泰一社長の死去
p148
[1] 夏頃から体に変調
p148
[2] 泰一社長の足跡
p148
米材輸入の入荷調整に努力
p148
日本一の専門商社を目標
p149
泰一社長の功績に対し遺族追賞
p150
第5章 経営の多角化を推進
p156
1 新時代ヘバランス経営
p156
[1] 江間洋介、江間忠グループ各社社長に就任
p156
洋介社長の経営方針
p156
赤字を絶対出さない経営
p156
米材中心の業務に転換
p157
米・加で社長就任披露パーティー
p160
南洋材部門を廃止
p162
2 不動産、株式の高騰とバブル経済
p164
[1] 土地と株価は右肩上がりという神話
p164
昭和58年末から連続7年の暴騰
p164
地価抑制の諸政策
p166
[2] 経営資源としての人・物・カネ
p167
不動産有効活用開発元年
p167
錦糸町江間忠ビル
p167
日本一のセメントサイロと貸店舗
p167
[3] 販売ネットワーク作り
p168
地方の大消費地へ照準
p168
オフィスコンピューター導入
p168
[4] 米材の躍進と、内外に生産拠点を開設
p169
米材輸入が四大外材中トップとなる
p169
円高下、海外へ積極投資
p169
ELK WOOD SPECIAL TIES LTD.を設立
p170
江間忠合板(株)、ホームコンポーネント工場を建設
p174
●スイート・ホーム・ティンバー・フェスティバル
p175
3 バブル崩壊後の構造変化
p176
[1] 行きすぎた経済の反動
p176
地価と株価は大暴落
p176
[2] 曲がり角にきた米材産地と市況
p177
アメリカで丸太輸出規制法が成立
p177
環境保護の動き
p177
米材市況空前の乱高下
p177
外材供給地図大きく変化
p178
[3] バブルの中での当社の動き
p179
蒲郡に皮剥施設を建設
p179
川崎・東扇島、新潟東港、鹿島港に港湾用地取得
p179
物流倉庫建設
p180
●アメリカのロング・ショアマン船積み労働者告訴事件
p182
「晴海をよくする会」の発足
p183
晴海アイランド計画
p183
新春懇談会のスタート
p188
江間忠OB会が発足
p189
●バーリントン・ノーザン鉄道アムトラックの旅
p190
●キンカム・インレットのサーモン・フィッシング
p191
米材専用船“P.C.EXPLORER号”就航
p193
完全週休2日制へ移行
p195
21世紀へ向け社内規定整備
p196
4 21世紀への戦略
p198
[1] 千葉市新港に乗用車配送センターを着工
p198
バース付き専用埠頭を高度利用
p198
三菱自動車工業と契約
p198
5 創業いまや70年
p200
[1] 社長交代
p200
新会長に江間洋介、新社長に江間亮三
p200
潮流の変化に対応する経営
p200
[2] 創業70周年
p201
社内で祝賀パーティーを開催
p201
平成6年度経営方針の発表会
p204
江間忠グループ経営理念
p206
社員心得7ヶ条
p207
商法上の大会社となる
p207
70年史『商人の道―江間忠70年のあゆみ』の制作
p208
江間忠蔵を偲ぶ誰江間忠蔵の生涯と江間家の由来
p213
激動の時代を生き抜く
p213
読書好きの利発な子
p214
福正商店の10年間
p215
店を構え、所帯を持つ
p215
3Sマーク
p216
4男3女の子宝
p216
外材依存を戦前に予言
p217
米材問屋商業組合常務理事
p218
商機をつかめ
p218
穏やかな家庭人
p219
創業者夫人を語る
p221
江間姓は鎌倉時代の初めから
p222
慶長年間から埼玉県越生町
p222
江戸末期に越生から八王子へ
p223
昭和60年(1985)2回目の江間家先祖法要
p223
江間忠蔵追悼集「おもかげ」より
p224
江間家系図
p231
江間泰一を語る
p235
若き日の江間泰一君 伊東市郎
p235
江間泰一氏の憶い出 長谷川剛
p236
江間泰のこと 榎戸勇
p237
Relative to Taiichi The following reflect some of my memories Barry L.Tyrer
p239
江間泰一君とマラソン 酒井利勝
p240
江間泰一さんを偲びて 佐藤公紀
p241
江間泰一君を偲んで 氏橋幸次郎
p242
泰一君と海老養殖事業視察とGolf 高岡陞
p243
我々の永遠のヒーロー江間君の思い出 田村忠嗣(田村駒次郎)
p244
畏友江間泰一君を語る 飯塚一陽
p245
江間泰一さんを偲んで 沖守弘
p247
70周年おめでとうございます 倉前栄一
p247
千葉の専用埠頭 酒井利勝
p248
十日会とゴルフと私 江間泰一
p249
資料編
p253
1 定款
p253
2 役員任期一覧
p258
3 現役員
p260
4 組織
p262
5 沿革
p263
6 資本金の推移
p264
7 売上高の推移
p265
8 経常利益の推移
p266
9 貸借対照表
p267
10 従業員数の推移
p272
11 江間忠グループ主要外材輸入数量
p273
12 商社別米材輸入実績(丸太・製品、合計)順位
p274
13 福利厚生施設
p275
14 グループ各社紹介
p276
15 江間忠グループ資産
p281
16 年表
p286
あとがき
p315
索引リスト