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(株)ミキモト『御木本真珠発明100年史』(1994.07)
基本情報
目次
索引
年表
資料編
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目次項目
ページ
ごあいさつ 取締役会長 御木本美隆
p9
刊行にあたって
p10
御木本100年の歩み
p22
第1章 真珠とともに一世紀[明治26年(1893)~平成5年(1993)]
p22
第1節 日本の近代化と御木本
p22
平和産業の誇り
p22
真珠一貫業者から国際的総合宝飾企業へ
p22
皇室との強いきずな
p22
御下賜の杖と寄貝祝
p22
第2節 御木本グループの発展
p24
中核4社の生い立ち
p24
グループの結束
p24
4社合同の100周年企画
p24
第2章 創業者・御木本幸吉[安政5年(1858)~昭和29年(1954)]
p27
第1節 発明家・御木本幸吉
p27
アコヤ貝の養殖
p27
真珠の養殖へ
p27
幸吉の発明の特質
p27
発明の系譜
p27
第2節 事業家・御木本幸吉
p30
生産から加工、販売へ
p30
銀座に進出
p30
品質と価格を重視
p30
正札販売と一流の販売先
p30
巧みな宣伝
p30
アイキャッチャーの活用
p30
災い転じて福となす
p30
部下への信頼とカリスマ性
p30
各界に太い人脈
p30
渋沢栄一らに兄事
p30
第3節 御木本幸吉・その人と時代
p35
祖父・吉蔵と父・音吉
p35
鳥羽で3番目の金持ちが目標
p35
海産物商人への道
p35
天の時
p35
地の利
p35
人の和
p35
郷土を愛する心
p35
第3章 御木本二代・三代[明治26(1893)~平成5年(1993)]
p40
第1節 学者・御木本隆三
p40
ラスキンに傾倒
p40
東京ラスキン協会を創設
p40
隆三と父・幸吉
p40
第2節 後継者・御木本美隆
p42
御木本学校
p42
幸吉の“息”を学ぶ
p42
経営の近代化に努力
p42
業界の取りまとめに努力
p42
経営理念と豊富な人脈
p42
資料編
p46
御木本幸吉年譜
p46
御木本幸吉・発明特許一覧表
p46
国内博覧会・世界万国博覧会出展一覧
p46
御木本本家家系図
p46
株式会社ミキモト
p52
ごあいさつ 代表取締役社長 春日豊彦
p52
第1章 真珠事業の創設[明治26年(1893)~明治38年(1905)]
p55
第1節 明治26年(1893)7月11日
p55
真珠着目の動機
p55
アコヤ貝絶滅防止に立つ
p55
アコヤ貝の養殖実験
p55
箕作博士の教えを受ける
p55
半円真珠の誕生
p55
第2節 田徳島に御木本真珠養殖場の開設
p58
田徳島を養殖の本拠に
p58
特許の取得と半円真珠生産の本格化
p58
妻・うめの死
p58
半円真珠の採収(浜上げ)
p58
赤潮の襲来とその対応
p58
漁業法の制定と漁業権取得
p58
第3節 真珠店の開設
p62
弥左衛門町の出店
p62
元数寄屋町に移る
p62
欧風デザイン着目のきっかけ
p62
和洋混合と半円真珠
p62
第4節 皇室と御木本
p65
第2章 生産販売の革新[明治39年(1906)~大正7年(1918)]
p66
第1節 真珠店銀座表通りに進出
p66
斎藤信吉の采配
p66
銀座第一と評される
p66
三段構え作戦の成功
p66
大阪支店開設
p66
第2節 多徳島から五ヶ所湾へ
p68
五ヶ所湾養殖場の新設
p68
真円真珠づくりを目指して
p68
西川藤吉と御木本養殖場
p68
全巻式の登場
p68
第3節 ジュエリーデザインの推進
p72
装身具製作の本格化
p72
御木本様式デザインの源流と人材
p72
欧米の加工技術導入
p72
『真珠』誌を筆頭とする商品カタログの発刊
p72
第4節 国内博への出品
p74
卓抜なPR戦略
p74
真珠を用いた細工品を初めて出品
p74
第5節 海外博出品と市場調査
p75
海外市場への視野
p75
海外市場への視点
p75
上海支店開設を即断
p75
開設後の上海支店
p75
第3章 世界雄飛の時代[大正8年(1919)~昭和12年(1937)]
p79
第1節 五ヶ所湾養殖場の発展と生産拡大
p79
養殖場の拡張
p79
真円真珠の技術改良
p79
真珠母貝の調達
p79
漁業権闘争
p79
地まき養殖から垂下養殖へ
p79
アコヤ貝の稚貝付着器の特許取得
p79
鳥羽入札会の開催
p79
鳥羽工場の設立
p79
綜合真珠研究所の設立
p79
第2節 営業、デザイン活動の多様化
p84
真珠ネックレスの初登場
p84
御木本デザインの系譜(戦前)
p84
関東大震災
p84
宮内省御用達称標の許可
p84
真珠と黄金に輝く瑞鳳扇
p84
第3節 幸吉の欧米視察
p87
米国旅行の成果
p87
欧州を回って帰国
p87
第4節 世界に広がる販売拠点
p88
真珠国際裁判
p88
海外支店ネットワーク
p88
真珠店輸出部の開設
p88
第5節 粗悪真珠への対処
p90
御木本幸吉・隆三、日本養殖真珠水産組合長に就任
p90
真珠の火葬
p90
第6節 時局と営業活動
p91
国際情勢と営業・広報活動
p91
関西、横浜での営業活動
p91
第4章 苦難の道を乗り越えて[昭和13年(1938)~昭和23年(1948)]
p93
第1節 戦争動乱による生産販売の打撃
p93
五ヶ所から新多徳へ
p93
奢侈品禁止令(七・七禁令)の発令
p93
第2節 事業所の閉鎖と企業活動の停止
p94
養殖場の閉鎖-企業整備
p94
海外支店の閉鎖
p94
幸吉・多徳に移住
p94
銀座本店の焼失
p94
第3節 終戦直後の活動
p96
平和産業としての真珠養殖の再開
p96
焦土からの復興
p96
真珠の一般販売禁止
p96
GHQによる6社指定
p96
輸出自由化への道
p96
第5章 戦後の発展と真珠王の死[昭和24年(1949)~昭和29年(1954)]
p100
第1節 個人経営から法人組織へ
p100
日本経済の復興
p100
二つの株式会社を設立
p100
御木本真珠株式会社の誕生
p100
株式会社御木本真珠店の発足
p100
株式会社から有限会社へ
p100
第2節 御木本真珠会社 本格的な生産の再開
p103
生産体制の整備
p103
委託養殖への転換
p103
朝鮮戦争と特需ブーム
p103
第3節 御木本真珠会社 国内販売体制の整備
p104
業者の乱立と粗悪真珠の氾濫
p104
東京支店ビル竣工と神戸出張所の開設
p104
第4節 御木本真珠会社 内外要人の多徳訪問
p106
昭和天皇の励まし
p106
第5節 御木本真珠店 朝鮮動乱と真珠のブーム
p107
長期化した朝鮮特需
p107
24割配当と倍額増資
p107
第6節 真珠王の死
p109
突然の大往生
p109
数々の叙勲
p109
幸吉以後の新体制
p109
第6章 真珠ブームと事業の躍進[昭和30年(1955)~昭和41年(1966)]
p111
第1節 御木本真珠会社 急成長の時代
p111
旺盛だった海外の需要
p111
生産の拡大と漁場の老化
p111
計画生産の実施とその効果
p111
第2節 御木本真珠会社 養殖部門の拡大
p113
国内外への養殖事業の展開
p113
長期生産計画の実施
p113
伊勢湾台風・チリ津波の被害
p113
第3節 御木本真珠会社 本社・加工工場の移転
p116
多徳から鳥羽へ
p116
加工工場の増設・機械化
p116
仕入部門の強化
p116
労組の再結成とストライキ
p116
第4節 御木本真珠会社 海外市場への再進出
p118
ニューヨーク支店の再開
p118
ヨーロッパ販売網の再構築
p118
オーストラリアに現地法人設立
p118
輸出振興で総理大臣賞
p118
第5節 御木本真珠店 販売体制の拡充・強化
p121
順調な業績の拡大
p121
外国人観光客ブーム
p121
米軍需要の開拓
p121
第6節 御木本真珠店 国内販売体制の整備
p123
国内需要の盛り上がりと多様化
p123
デパートなどへの出店
p123
本店の増改築・支店網の整備
p123
第7節 御木本真珠店 仕入部門の再編成とMPJの設立
p126
増加した真珠の外部調達
p126
真珠店向上の分離・独立
p126
御木本真珠宝有限公司の設立
p126
第8節 御木本真珠店 内外での新たな活動
p128
特別展示会の開催
p128
ベストパールス、ベストサービス
p128
海外市場の開拓とPR
p128
第7章 真珠不況の試練[昭和42年(1967)~昭和47年(1972)]
p131
第1節 御木本真珠会社 輸出の不振と不況の到来
p131
海外業者の買い控え
p131
悪循環の始まり
p131
調整保管と生産調整の実施
p131
第2節 御木本真珠会社 量から質への転換
p133
養殖数量計画から質的合理化計画へ
p133
労組のストライキ
p133
出先養殖場の閉鎖
p133
第3節 御木本真珠会社 業績の悪化
p134
川下作戦の展開
p134
赤字に転落
p134
第4節 御木本真珠店 不況下の販売活動
p135
ベトナム特需の盛り上がり
p135
2年間で40倍以上の規模に
p135
大阪万博で好成績
p135
量産品の変化と新しい手造り品
p135
記念メダルの発行と取扱い
p135
第5節 御木本真珠店 新規事業の展開
p139
ブライダル市場の開拓
p139
黒蝶貝真珠などの販売
p139
ジェム・インターナショナルの設立
p139
真珠専門店から総合宝石店へ
p139
第6節 真珠会社と真珠店の合併
p142
真珠会社の自主再建路線
p142
一体化委員会の発足
p142
新会社・ミキモトの誕生
p142
第8章 新ミキモトのスタート[昭和48年(1973)~昭和58年(1983)]
p145
第1節 世界の総合宝石店を目指して
p145
新会社の発足
p145
ベストジュエリー、ベストデザイン
p145
銀座本店の全面改築
p145
海外ジュエリーの導入
p145
第2節 低成長下での市場開拓
p147
石油ショックの到来
p147
足腰の強い販売体制の整備
p147
店舗営業力の強化
p147
ゴーイング・アウト・セールスの展開
p147
商品開発とデザイン開発
p147
新規事業の拡大
p147
さまざまな販売促進活動
p147
第3節 海外戦略の再構築
p151
三拠点主義の確立
p151
米国市場
p151
欧州市場
p151
アジア・オセアニア市場
p151
第4節 養殖・加工部門の新体制
p154
底を打った不況
p154
稚貝の人工採苗に成功
p154
加工メリットの追求
p154
第5節 人事制度のトータルシステム化
p156
新職能資格制度の採用
p156
第6節 本間社長から杉浦社長へ
p156
思い半ばの逝去
p156
少数精鋭主義・生産性の向上
p156
業界のトップを目指して
p156
第9章 美を創造する国際的な宝飾企業を目指して[昭和59年(1984)~平成5年(1993)]
p158
第1節 真珠発明100周年にむけて
p158
積極的な諸施策の展開
p158
第2節 新たな営業戦略の展開
p159
一変した内外情勢
p159
路面店の展開
p159
本店を本格的に改装
p159
間販部門の整備
p159
広報活動を強化
p159
第3節 事業展開の多角化
p162
通販、ギフト分野への進出
p162
総合ブライダル事業の展開
p162
第4節 商品政策の進展
p164
高額商品に一品主義
p164
アンティーク商品の本格販売
p164
低価格品にもバラエティー
p164
第5節 波乱に満ちた海外事業
p165
急激な円高のショック
p165
ミキモト・アメリカの質的転換
p165
ミキモト・フランスの発足
p165
ドイツ、スイス、イギリスからの撤退
p165
MPJの販売拡大
p165
第6節 組織・機構の充実
p168
人事制度の改訂
p168
人材育成の強化
p168
労働環境の整備と充実
p168
第7節 情報システムの整備
p169
目で見る経営の実現
p169
MICSの完成
p169
第8節 仕入・加工、研究体制の充実
p170
良質真珠の確保
p170
通年操業への体制整備
p170
真珠研究室から真珠研究所へ
p170
第9節 華々しく100周年記念事業を展開
p171
創業100年、合併20年
p171
記念レセプションを開催
p171
“美の新世紀”をテーマに
p171
数々の文化的事業
p171
グループ全体の記念事業
p171
第10章 ミキモト二世紀
p174
第1節 杉田社長から春日社長へ
p174
ミキモト新世紀ビジョンの発表
p174
変革の時代
p174
株式会社ミキモト資料編
p176
定款
p176
組織図
p176
役員任期一覧表
p176
売上高の推移
p176
関連会社・関係子会社一覧表
p176
販売ネットワーク
p176
戦前・戦後の御木本真珠養殖分布図
p176
養殖・加工・販売の事業所変遷
p176
文化催事一覧
p176
略史
p176
株式会社ミキモト装身具
p200
ごあいさつ 代表取締役社長 大山久
p200
第1章 装身具の黎明[明治40年(1907)~大正2年(1913)]
p203
第1節 御木本金細工工場の誕生
p203
御木本幸吉が装身具工場創設を決意
p203
専属下請けの市川源次郎工場
p203
築地に創設された御木本金細工工場
p203
内幸町移転と近代設備の充実
p203
小林豊三工場長と欧米装身具技術の導入
p203
工芸学校出身者の採用
p203
第2章 開花の時代[大正3年(1914)~大正12年(1923)]
p206
第1節 ミキモトスタイルの確立に向けて
p206
御木本独特の細工表現と技術
p206
皇室公式用胸飾調製のご用命
p206
技術の向上・技工の養成に大きな足跡を残した黒田秀太郎工場長
p206
第二工場開設とプレスによる増産・下職制度
p206
「ミキモトの15金」
p206
第2節 新しき工場経営
p209
斎藤信吉と近代的工場経営
p209
キリスト教理念と合議制工場管理
p209
関東大震災で一旦休業後に再開
p209
第3章 雄飛の時代[大正13年(1924)~昭和12年(1937)]
p211
第1節 ご用品の調製
p211
「宮内省御用達」とコートジュエラーとしての歩み
p211
宮家からのご用命
p211
第2節 アルチザンの熱き日々
p212
アール・デコと装身具製作技術
p212
多機能装身具への挑戦
p212
万国博出品の名作「御木本五重の塔」「ワシントンの生家」
p212
名作の評判高い兼用装身具「矢車」
p212
装身具業界で初めてホワイトゴールドを使用
p212
第4章 雌伏の時代[昭和13年(1938)~昭和20年(1945)]
p214
第1節 工場縮小と許可品製作
p214
金使用禁止令と奢侈品等製造販売制限規制
p214
山本工場長と新合金
p214
ニューヨーク万博に真珠「自由の鐘」を製作・出品
p214
第2節 工場閉鎖へ
p216
内幸町から上目黒へ
p216
東京大空襲により工場焼失・閉鎖
p216
第5章 戦後復興と発展の足音[昭和21年(1946)~昭和35年(1960)]
p217
第1節 工場再開と工員たち
p217
創業地に再開の築地工場で新たな出発
p217
CPO向けに真珠製品を納入
p217
品質を第一とした小竹幸作
p217
電気鋳造の美術工芸品製作に着手
p217
築地工場を合併、「御木本真珠店目黒工場」に
p217
第2節 技術革新
p220
装身具加工に画期的なキャスト生産体制を導入
p220
創業者・御木本幸吉死去
p220
第3節 伝統技術の復活
p221
高級商品の生産
p221
皇太子殿下ご結婚ご用品調製
p221
第6章 新たな役割を担って[昭和36年(1961)~昭和62年(1987)]
p222
第1節 御木本真珠店工場の分離独立
p222
工場経営形態の刷新
p222
東京オリンピックで多忙を極める
p222
御木本真珠宝有限公司設立と技術指導
p222
ベストジュエリー、ベストテクニック
p222
第2節 生産体制の強化・拡充
p224
新しい企業理念の実現を目指して
p224
独自企画の製品開発とノンブランド商品
p224
第3節 研究開発と近代化
p225
新技法・新技術の研究
p225
デザインコンテスト・貴金属技能検定で社員が大活躍
p225
経営の近代化
p225
「ミキモト装身具」に社名変更
p225
生産管理のコンピューター化
p225
御木本式細工の復刻と技術の継承
p225
使用地金を18金に全面移行
p225
第7章 国際化時代を迎えて[昭和63年(1988)~平成5年(1993)]
p229
第1節 生産体制の強化と業容の拡大
p229
生産力の増強と業態改革
p229
増資と社員持株会の発足
p229
第2節 技能と技術
p230
コートジュエラーとしての技術継承とご用品の調製
p230
海外クラフトマンとの競作
p230
美術工芸品「地球儀」を製作
p230
第3節 100周年を迎えて
p232
100周年コレクションの製作
p232
明日に向かって
p232
株式会社ミキモト装身具 資料編
p235
定款
p235
組織図
p235
装身具製作基本工程
p235
役員任期一覧表
p235
略史
p235
御木本製薬株式会社
p244
ごあいさつ 代表取締役社長 中川弘
p244
第1章 創立前史[昭和16年(1941)~昭和20年(1945)]
p247
第1節 引退宣言の御前会議
p247
カルシウム剤の特許確立
p247
第2節 伊勢薬業の買収
p248
企業整備令のカベ
p248
第3節 ペルカルクの販売
p249
海軍病院への売り込み
p249
第4節 カルシウム生産事始め
p250
深刻な原料不足
p250
第2章 御木本製薬の誕生[昭和20年(1945)~昭和30年(1955)]
p250
第1節 パールカルクの増産
p250
鳥羽工場に復帰
p250
第2節 販路の拡大 第1期
p252
田辺製薬と業務提携
p252
第3節 販路の拡大 第2期
p252
自衛隊姫路部隊に納入
p252
第4節 初代から二代へ社長交替
p253
鈴木弥助の社長就任
p253
第3章 薬食品事業の発展期[昭和31年(1956)~昭和40年(1965)]
p254
第1節 転換期の社長交替
p254
御木本美隆への帝王学
p254
第2節 薬食品部門の販売強化
p255
保健産業との販売提携
p255
第3節 食品事業の多角化
p256
「ダッシー」の成功
p256
第4節 海外進出の試み
p257
台湾への試験的輸出
p257
第5節 化粧品事業の芽生え
p257
ペルローズ化粧品の誕生
p257
第4章 ミキモトセイヤク化粧品の創成期[昭和41年(1966)~昭和44年(1969)]
p258
第1節 伊勢新工場の建設
p258
化粧品の製造許可
p258
第2節 総代理店制度の採用
p259
東京パール化粧品と総代理店契約
p259
第3節 一進一退の全国販売網
p260
量産体制の樹立
p260
第5章 ミキモト化粧品の成長期[昭和45年(1970)~昭和53年(1978)]
p261
第1節 化粧品事業の製販分離
p261
化粧品元年
p261
第2節 総合化粧品会社への脱皮
p262
基礎化粧品の多様化
p262
第3節 訪販法制定の試練
p263
「ミキモト化粧品」の認知
p263
第6章 ミキモト化粧品の安定成長期[昭和54年(1979)~昭和60年(1985)]
p264
第1節 拡大と安定成長の50年代
p264
成熟期へ橋渡し
p264
第2節 化粧品増産の時代
p264
奥庄跡地の確保
p264
第3節 関東代理店の確立
p265
関東代理店尚美の設立
p265
第4節 無香料・無着色化粧品の登場
p266
ヒット商品「エルモーザD」
p266
第5節 化粧品の安全管理対策
p266
品質管理委員会の設置
p266
第7章 ミキモト化粧品の成熟期[昭和61年(1986)~昭和62年(1987)]
p267
第1節 第一次円高不況時代
p267
製品開発相次ぐ
p267
第2節 経営戦略の強化
p267
強力経営陣の登場
p267
第8章 薬食品部門の再構築[昭和56年(1981)~昭和62年(1987)]
p269
第1節 会社創業の原点復帰
p269
健康食品ブームの到来
p269
第9章 21世紀への将来戦略[昭和63年(1988)~平成5年(1993)]
p270
第1節 中期経営計画の策定
p270
TQCの導入宣言
p270
第2節 創業以来の業績好転
p271
バブル好況下の消費景気
p271
第3節 多様化する化粧品生産
p272
第3のビッグヒット化粧品
p272
第4節 新販売3ヵ年計画の発足
p273
21世紀に向かって
p273
第5節 化粧品工場の増設
p273
世界最新鋭機械の導入
p273
第6節 研究開発体制の充実
p274
社員の2割が研究員
p274
第7節 台湾御木本化粧品股份有限公司の設立
p276
経営再建で緊急救済措置
p276
第8節 御木本製薬 半世紀の光と影
p276
第四代目中川社長の就任
p276
御木本製薬株式会社 資料編
p278
定款
p278
組織図
p278
役員任期一覧表
p278
売上高の推移
p278
関連会社一覧
p278
略史
p278
株式会社御木本真珠島
p288
ごあいさつ 代表取締役社長 池田正男
p288
第1章 開島までの経緯[明治26年(1893)~昭和25年(1950)]
p291
第1節 相島時代
p291
養殖真珠誕生の瞬間
p291
相島から「真珠ヶ島」へ
p291
観光島に向けて整備
p291
第2節 戦前の真珠ヶ島
p294
民間外交の場として
p294
一代の豪華真珠供養
p294
時代を先取りした観光島の発想
p294
第3節 戦後の復興から再開まで
p296
多徳養殖場の来訪者激増
p296
真珠ヶ島再建を指示
p296
一般観光客への開放
p296
第2章 有限会社御木本真珠ヶ島の設立から草創期[昭和26年(1951)~昭和30年(1955)]
p298
第1節 養殖真珠生産・加工工程の公開
p298
真珠島を一般公開
p298
自然と科学の新行楽地
p298
第2節 幸吉翁銅像とゆかりの碑
p299
皇室と真珠島
p299
真珠島をご訪問になった皇族
p299
真珠王の銅像除幕
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第3節 進む観光施設の整備
p301
観光ブームのきざし
p301
第3章 団体旅行ブームにのって[昭和31年(1956)~昭和44年(1969)]
p302
第1節 島内施設の整備拡充
p302
南面海岸の埋め立て
p302
海女スタンドの完成
p302
「御木本五重の塔」展示
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第2節 観光客誘致活動と宣伝広報
p304
アレクサンドラ王女ご来島
p304
養殖真珠発明75周年
p304
伊勢湾台風で3日間休業
p304
第3節 販売体制の拡大
p307
総合売店の完成
p307
第4章 船の時代から橋の時代へ[昭和45年(1970)~昭和59年(1984)]
p308
第1節 パールブリッジの架橋
p308
地形と観光環境の変化に対応
p308
真珠館の完成
p308
第2節 英国女王のご来島、展示品の充実
p310
島史に輝かしい1ページ
p310
くつろがれたエリザベス女王
p310
真珠島がお迎えしたロイヤルファミリー
p310
パールクラウン、「姫路城」の完成
p310
第3節 さらなる販売促進の強化
p314
入場者3,000万人を達成
p314
第4節 経営形態の変遷
p315
有限会社から株式会社へ
p315
第5章 真珠文化普及の担い手として[昭和60年(1985)~平成4年(1992)]
p316
第1節 日本初の真珠博物館オープン
p316
真珠文化の殿堂
p316
第2節 博物館の充実と企画展
p317
わが国最古の真珠を展示
p317
アンティーク・ジュエリーを収集
p317
知られざる幸吉コレクション
p317
評判になった巨大真珠
p317
「矢車」半世紀ぶりの里帰り
p317
「地球儀」に現代宝飾技術を集大成
p317
博物館は進化する
p317
第3節 島内の快適な環境づくり
p321
古墳時代の須恵器が出土
p321
初の直営店がオープン
p321
第4節 文化事業への取り組み
p322
数々の文化事業を後援
p322
第6章 限りない未来に向かって[平成5年(1993)]
p323
第1節 御木本真珠発明100周年を迎えて
p323
完成した総合開発工事
p323
真珠王の素顔に迫る記念館
p323
第2節 多彩な記念事業で幸吉翁をしのぶ
p324
「夢殿」に業界の飛躍を祈願
p324
新世紀に向かって
p324
株式会社御木本真珠島 資料編
p326
定款
p326
組織図
p326
関連会社一覧
p326
役員任期一覧
p326
来島者内訳
p326
略史
p326
協力者一覧
p334
主要参照文献
p335
あとがき
p336
索引リスト