※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月28日 | 第一次世界大戦起こり、日本は好景気となる | 業界・一般 | |
9月1日 | 川崎工場開設(神奈川県橘樹郡川崎町八幡塚2964)、操業開始 | 国内事業 | |
9月 | 鈴木三郎、台湾、中国大陸、韓国を歴訪 | 海外事業 | |
10月1日 | 硫酸法による「味の素」製造停止 | 国内事業 | |
- | 〈この年〉大阪の有力乾物問屋による「味盛会」発足 | 国内事業 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 育児用甘味栄養剤「子供印」滋養糖発売 | 国内事業 | |
2月1日 | 大阪出張所にて初の販売店向け景品付特売実施 | 国内事業 | |
4月 | 川崎工場:塩酸法による「味の素」製造開始(同時に、逗子工場閉鎖) | 国内事業 | |
9月 | 森永製菓社:全国に特約店制度を採用 | 業界・一般 | |
12月 | 川崎工場:直流発電装置と電解槽を設置し、塩素酸カリの製造を開始 | 国内事業 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | 塩素酸カリ製造用の白金坩堝を落札する | 国内事業 | |
2月 | 川崎工場:タンパク加水分解に石釜採用 | 国内事業 | |
3月2日 | 「エスサン」マーク商標登録(第77748号)、「エスサン浮粉」に初めて使用 | 国内事業 | |
- | 〈この年から1919年まで〉第一次世界大戦の復興需要による好景気となる | 業界・一般 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月14日 | 東京・大島に塩素酸カリ工場開設 | 国内事業 | |
4月28日 | 鈴木三郎、初渡米(翌1918年1月帰国) | 海外事業 | |
6月17日 | 株式会社鈴木商店設立(資本金300万円、登記日8月18日)、合資会社鈴木商店の営業を譲受、鈴木三郎助、取締役社長に就任、後日創立記念日となる | 経営一般 | |
7月1日 | 北海道釧路に浜中工場(ヨード)開設 | 国内事業 | |
7月2日 | ニューヨーク事務所開設 | 海外事業 | |
8月18日 | 東信電気社設立 | 経営一般 |