※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月3日 | ペリー提督率いる艦隊 浦賀沖に現れる(黒船来航) | 地域 | |
嘉永7年(1854) | 3月3日 | ペリー提督再び来航し久良岐郡横浜村で日米和親条約締結 | 地域 |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月19日 | 日米修好通商条約締結 1年後の神奈川開港を約す(英・仏・蘭・露とも同様の条約締結) | 地域 | |
安政6年(1859) | 6月2日 | 神奈川の一部とみなし横浜村を開港(新暦では7.1) | 地域 |
安政7年(1860) | - | 横浜村を横浜町と改称 | 地域 |
文久2年(1862) | 8月21日 | 生麦事件 橘樹郡生麦村(現・鶴見区生麦)で薩摩藩主の父の行列の供回りの藩士が騎馬のイギリス人を殺傷 | 地域 |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 香港上海銀行横浜支店開設 このころオリエンタル銀行・チャータード銀行などの外国銀行が横浜支店開設 | 地域 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 明治と改元 | 社会・一般 | |
9月21日 | 神奈川府を神奈川県と改称 | 地域 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月17日 | 版籍奉還 | 社会・一般 | |
7月 | 横浜為替会社設立(横浜・本町) | 当行 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月13日 | 横浜為替会社 洋銀券2種・150万ドル発行許可受ける | 当行 | |
4月23日 | 鉄道建設資金のためオリエンタル銀行を通じロンドンでわが国最初の外債募集(9分利付英貨公債100万ポンド) | 社会・一般 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月10日 | 新貨条例制定 通貨単位を円と定める | 社会・一般 | |
7月14日 | 廃藩置県、藩札廃止 | 社会・一般 | |
11月14日 | 廃藩置県後の新置改県により神奈川県・足柄県設置 | 地域 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 官営富岡製糸場設立 | 社会・一般 | |
7月24日 | 横浜為替会社 新洋銀券6種発行 | 当行 | |
9月12日 | 新橋(現・汐留)~横浜(現・桜木町)間鉄道開業(新暦では10.14) | 地域 | |
11月15日 | 国立銀行条例公布 | 社会・一般 |