※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 内地荷為替の取扱を他銀行にも委託、担保品に茶の追加願出允可 | 正金の歩み | |
10月 | 大蔵省から銀貨50万円の無利息預入を受け、外国人為替取扱手続に基づき外国人御用荷為替の取組開始 | 正金の歩み | |
12月 | 邦商振出外商宛の御用荷為替手形に英文手形を採用(邦商振出邦商宛の御用荷為替手形にも日英両文としたのは翌年12月) | 正金の歩み | |
- | この年、イギリスでフェビアン協会ができる | 内外の出来事 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 地租条例公布 | 内外の出来事 | |
4月 | 大阪商船会社創立 | 内外の出来事 | |
5月 | ロンドン出張所を支店昇格決定、同店で外債元利支払事務など在外官金の取扱方願出(8月聴許) | 正金の歩み | |
5月 | 日本政府在外官金事務を取扱中のロンドン・東洋銀行が破綻閉店 | 内外の出来事 | |
7月23日 | 行員一井保がニューヨーク出張所詰として出発 | 正金の歩み | |
9月5日 | ニューヨーク出張員戸次兵吉を高木貞作に交替 | 正金の歩み | |
9月11日 | メルボルン代理人徳田利彦をロンドンへ出張させるにつき、森村組出張員二木友尾をメルボルン代理人とする | 正金の歩み | |
9月 | 政府のロンドンから本邦へ為替回金・正貨現送事務をロンドン支店で取扱方聴許 | 正金の歩み | |
9月 | 同地支店開設のため相馬取締役が行員野口守三郎を帯同して同地へ出張 | 正金の歩み | |
9月 | 同店における送金為替支払資金として年額30万ポンドを限り払下方聴許 | 正金の歩み | |
12月 | ロンドン支店開業(本邦銀行として海外支店設置の始まり) | 正金の歩み | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 大蔵省持株配当率を、民有株配当率年15%未満の場合は従来どおり6%、15%以上17%未満の場合は8%、17%の場合は9%、それ以上1%を増すごとに上納割合も1%増とし、いずれの場合も差額は積立金に組入れることに改正、前年下半季分から実行 | 正金の歩み | |
1月 | 政府差加え株式全部を帝室資産に編入 | 正金の歩み | |
2月22日 | 行員伊沢信三郎にリヨン出張所詰を命じる | 正金の歩み | |
2月 | 大蔵省がロンドン支店の取扱事務と同店検査規定をロンドン駐在総領事園田孝吉宛通達 | 正金の歩み | |
2月 | リヨン出張所の為替資金として年間100万フランを限り随時為替売下げ方を出願聴許 | 正金の歩み |