※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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天保12年(1841) | 6月15日 | 四代藤本清兵衛生る。丹波の国川勝重介五男、幼名丑之助 | 社内事項 |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 四代藤本清兵衛、大阪曾根崎の米商住吉屋清兵衛の養嗣子となる[原資料は慶応6年] | 社内事項 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月14日 | 五箇条誓文発布 | 政治経済 | |
5月15日 | 太政官札発行 | 金融証券市場 | |
- | 住吉屋、堂島仲町に移って米会所と関係を結ぶ | 社内事項 | |
- | 維新により藤本姓を名のり、住吉屋を屋号にする | 社内事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 五代藤本清兵衛<藤本ビルブローカー創設者>生る。紀州日方柳仁兵衛長男、幼名柳為之助 | 社内事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月14日 | 廃藩置県 | 政治経済 | |
- | 藤本商店、高麗橋詰町に移転 | 社内事項 | |
- | 藤本商店、京都七条にも仲買店を設け京都米会所と関係をもつ | 社内事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月15日 | 国立銀行条例発布 | 金融証券市場 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月20日 | 第一国立銀行開業 | 金融証券市場 | |
7月28日 | 地租改正条例布告 | 政治経済 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 貯金規則制定 | 金融証券市場 | |
- | 米価高騰で藤本商店大打撃を受け、京都の米商であった実兄八木重助の援助で危機を脱す | 社内事項 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 国民皆兵制度 | 政治経済 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月31日 | 三井銀行設立 | 金融証券市場 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 西南戦争勃発 | 政治経済 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月3日 | 東京商工会議所設立 | 政治経済 | |
6月1日 | 東京株式取引所開業 | 金融証券市場 |