※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月21日 | 無尽業法公布。11・1施行(無尽講・頼母子講を免許制とする) | 金融証券市場 | |
7月28日 | 藤本ビルブローカー銀行復配(配当金・年八分、特別配当金・年二分) | 社内事項 | |
7月29日 | 大阪手形交換所に加入 | 社内事項 | |
- | この年、東京のビルブローカー各社、藤本の方式に倣う | 金融証券市場 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月7日 | 銀行条例中改正法公布(大蔵大臣の監督権限強化) | 金融証券市場 | |
5月22日 | 松葉恭助を日本銀行より迎え、本店支配人に選任。//従来兼営していた代弁業務を区別して、兼業部(証券部)をおき、三輪小十郎を兼業部支配人に選任 | 社内事項 | |
7月28日 | 定款変更、有価証券売買業を営業項目に加える | 社内事項 | |
10月1日 | 島徳蔵、大株理事長就任 | 金融証券市場 | |
10月5日 | 「金融旬報」を「藤本ビルブローカー銀行週報」と改称、週刊とする | 社内事項 | |
10月9日 | 寺内正毅内閣成立 | 政治・経済・社会 | |
10月 | 北浜信託(株)設立 | 金融証券市場 | |
12月12日 | 独、講和提議。30日、連合国側、独の和議を拒絶 | 政治・経済・社会 | |
- | (春)増田ビルブローカー銀行、浜崎商店とともに大阪信託団を組織、社債・株式の募集に主力 | 社内事項 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月3日 | 米国、対独国交断絶(4.6宣戦布告) | 政治・経済・社会 | |
3月12日 | 帝政ロシアに革命勃発(ロシア二月革命) | 政治・経済・社会 | |
4月10日 | 山一合資会社設立(16日開業) | 金融証券市場 | |
4月14日 | 小池合資会社解散。小池国三、これを機に株式界から引退 | 金融証券市場 | |
5月15日 | 新株式第二回払込完了、払込資本金総額六〇万円となる | 社内事項 | |
6月 | 英仏公債、第一回英国公債、第二回英国公債をニューヨークで買付(外貨公債輸入の先鞭) | 社内事項 | |
9月12日 | 金貨及び金地金の輸出禁止に関する大蔵省令公布施行 | 金融証券市場 |