大和証券(株)『大和証券百年史』(2003.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
10月13日 株式取引条例公布 金融証券市場
- 藤本商店、凶作による米価高騰で大打撃を受け、京都の米商であった実兄八木重助の援助で危機を脱す 社内事項
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
2月13日 平民の称姓布告 政治・経済・社会
11月5日 徴兵令改正、国民皆兵制度採用 政治・経済・社会
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
7月1日 三井銀行開業(銀行称号を使用した最初の私立銀行) 金融証券市場
11月2日 初代藤本清兵衛、堂島米商会所の開業に当り一等仲買人第二位として登録される 社内事項
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
2月15日 西南戦争勃発 政治・経済・社会
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
5月4日 株式取引条例廃止、株式取引所条例布告 金融証券市場
6月1日 東京株式取引所(東株)開業 金融証券市場
8月15日 大阪株式取引所(大株)開業 金融証券市場
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
10月14日 東株など、金貨・銀貨の売買開始 金融証券市場
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
10月9日 松方正義、大蔵卿となり不換紙幣整理のためデフレ政策推進(以降明18年頃まで不況続く) 金融証券市場
- 藤本商店、備荒儲蓄条例による大蔵省御用を命ぜられる(西日本産地米を買上げ政府に納める) 社内事項
- 藤本商店、安治川上通一丁目に移転 社内事項
- 藤本商店、米の海外輸出に進出 社内事項
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
6月27日 日本銀行条例公布。10.10日本銀行(日銀)開業 金融証券市場
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
5月26日 兌換銀行券条例公布。7・1施行(一円~二百円の七種紙幣を定め銀貨兌換とする) 金融証券市場
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
12月22日 伊藤博文初の総理大臣に 政治・経済・社会
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
- 藤本商店、土佐堀通一丁目に移転。この頃、米の取引高で全国首位 社内事項
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
1月22日 東京電灯会社、鹿鳴館で白熱電灯を点燈(電灯営業の初め) 政治・経済・社会
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