※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 株式暴落、各地銀行休業続出 | 金融証券市場 | |
4月20日 | 日本銀行大阪支店と当座預金勘定取引開始 | 社内事項 | |
4月 | 大株、直取引競売開始 | 金融証券市場 | |
5月1日 | 東株、直取引奨励金制度開設 | 金融証券市場 | |
7月14日 | 桂太郎内閣(第二次)成立 | 政治・経済・社会 | |
8月 | 政府、財政緊縮を基調とする新財政政策を樹立し、非募債主義と公債償還の増加方針採用により金融緩和、証券市場の回復を図る | 金融証券市場 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
1月12日 | 大日本製糖(株)破綻(10.23整理案確立) | 政治・経済・社会 | |
3月18日 | 藤本ビルブローカー銀行、日糖事件の余波により債権者に支払猶予を申請 | 社内事項 | |
3月23日 | 藤本ビルブローカー銀行の整理を「日報」に「謹告」として告示(六年一〇ヵ月の連続広告連載を終了) | 社内事項 | |
3月30日 | 藤本ビルブローカー銀行、整理案を発表 | 社内事項 | |
3月 | 平賀敏、顧問に就任 | 社内事項 | |
4月1日 | 第一回債権者会議開催 | 社内事項 | |
5月11日 | 奥山春枝(元藤本ビルブローカー社員)、大阪で奥山ビルブローカー開業 | 金融証券市場 | |
6月15日 | 第一回弁済実施、大日本製糖関係以外の債務はほとんど全部決済される | 社内事項 | |
6月30日 | 東京支店支配人外行員二二名を解雇 | 社内事項 | |
9月27日 | 藤本清兵衛、取締役会長辞任。柳広蔵、会長に就任 | 社内事項 | |
- | この頃、柳田栄、山根十吉、松村仙造、中西雅之など元藤本ビルブローカー社員のビルブローカー開業相次ぐ | 金融証券市場 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 第一回借換公債一億円を発行。その際、日銀、第一銀行、三菱銀行など計一五行で国債シンジケートを結成、証券業者六店三名、初の下引受(国債引受銀行団の始まり) | 金融証券市場 | |
4月15日 | 改正関税定率法公布(明44.7より実施、関税自主協定の確立) | 政治・経済・社会 | |
7月1日 | 大阪引受現物団、第一回箕面有馬電気軌道社債二〇〇万円引受 | 金融証券市場 |