※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月12日 | 辛亥革命により清国政府倒れる | 一般事項 | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月30日 | 大正と改元 | 一般事項 | |
1912年 | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 三島海雲、清国政府が倒れたため緬羊事業を断念 | 当社事項 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月28日 | 第1次世界大戦起こる | 一般事項 | |
8月23日 | 日本、対独宣戦布告 | 一般事項 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月4日 | 東京株式市場暴騰(大戦景気の始まり) | 一般事項 | |
- | (春)三島海雲、中国におけるすべての事業を手放して帰国 | 当社事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 三島海雲、醍醐味合資会社(本社東京市本郷区駒込林町、資本金2,500円)を設立 | 当社事項 | |
4月 | 「醍醐味」発売 | 当社事項 | |
12月1日 | 実業之日本社、雑誌『実業之日本』に醍醐味の紹介記事を掲載 | 当社事項 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 「醍醐素」発売 | 当社事項 | |
9月12日 | 大蔵省、金貨幣・金地金輸出取締令を公布(金本位制停止) | 一般事項 | |
10月13日 | ラクトー株式会社(本社東京市本郷区駒込林町、資本金25万円)設立。津下紋太郎、取締役会長に就任、三島海雲、取締役に就任 | 当社事項 | |
12月 | 本社工場と事務所(東京府豊多摩郡渋谷町)建設に着工 | 当社事項 | |
- | 大戦景気最高潮 | 一般事項 | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 本社所在地を東京府豊多摩郡渋谷町に移転 | 当社事項 | |
3月 | 本社工場完成 | 当社事項 | |
3月 | 生きた乳酸菌入りキャラメルを「ラクトーキャラメル」と名付け、発売に先立ち大阪化学工業博覧会、京都博覧会、福岡化学博覧会に出品 | 当社事項 | |
4月17日 | ラクトーキャラメル発売 | 当社事項 | |
5月 | 本社工場増築 | 当社事項 |