山種証券(株)『山種証券50史話』(1984.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
12月13日 取引所の管理 商工省から大蔵省に移管
12月15日 株式価格統制令改正(最高価格限定も可能に)
- 〈政府 証券業者監督強化・取引機構合理化を打出す〉
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
1月8日 東株 実物出来高開所来最高に。時局株中心に続伸歩調は11月まで続く
4月18日 戦時金融金庫設立(三億円うち政府出資二億円日本協同証券を吸収)
6月 海南拓殖(株)設立(萩原弥六、山崎孝志出向)
8月 東亜飛行機(株)発足(取締役社長山崎種二)
9月28日 東株長期売買高九六万八〇〇〇株と記録更新 当社は取引所株先限中心につなぎ売り重ねる
9月 辰巳倉庫(株) 取締役社長就任(山崎種二)
11月25日 取引所機構改革具体化で東株、新東中心に諸株一斉大反落
12月 新東短期に的を絞って大量買戻し成功(大納会新東短期新安値八五円二〇銭)
- 〈6月ミッドウェー海戦大敗で戦局は大きく転換した〉
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
3月11日 日本証券取引所法公布(7・1開業)
3月29日 長期取引の取引所株本日限り上場廃止(三月限終値 東株八九円九〇銭 新東八二円五〇銭)
3月31日 短期取引の新東本日限り上場廃止(八三円)
6月30日 東株 六六年の歴史を閉じる
7月1日 日本証券取引所開業(全国一一市場一斉立会開始、東京・大阪・京都・横浜・神戸・名古屋・広島・福岡・長崎・新潟・長岡)
12月17日 大蔵省 有価証券業整備要綱発表(業者一九六四の八割を整理の方針)
- 〈戦時経済統制は頂点に。各業界で統合・集約が進む〉
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
4月1日 三和証券・山和証券・東京廻米信用・三好勝内商店の四社を合併 資本金三〇〇万円となる//社名を 株式会社山崎種二商店から 山崎証券株式会社に変更
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