※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
文政4年(1821) | - | 茂木房五郎、茂木七郎右衛門家より分家、茂木房五郎家を興こし、醤油醸造を始める | 創立前年表 |
文政5年(1822) | - | 初代茂木房五郎、自業を廃し茂木七郎右衛門家の後見となる | 創立前年表 |
- | 茂木勇右衛門、茂木七左衛門家より分家、醤油醸造を始める | 創立前年表 | |
- | 河野権兵衛、梅郷村今上で醤油醸造を始める | 創立前年表 | |
文政6年(1823) | - | 初代茂木房五郎、琴平神社再建 | 創立前年表 |
文政12年(1829) | - | 二十四代高梨兵左衛門、幕府御両丸御用となる | 創立前年表 |
天保元年(1830) | - | 山下平兵衛、柏家より白木蔵を譲り受け醤油醸造を始める | 創立前年表 |
天保3年(1832) | - | 野田の造家十八軒、当時の造石高二万五千五十石 | 創立前年表 |
天保7年(1836) | - | 大飢饉あり、造家、救恤に尽瘁する | 創立前年表 |
- | 醤油油製法所設立 | 創立前年表 | |
天保9年(1838) | - | 亀甲万印幕府御両丸御用となる | 創立前年表 |
弘化2年(1845) | - | 【渋沢栄一】この頃、父に三字教、蒙求、小学等を教わる。栄治郎と改名。〔5歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 五代茂木佐平治、新道(現在万町通)を開設す | 創立前年表 | |
嘉永2年(1849) | - | 高梨周造、高梨兵左衛門家より分家、河野権兵衛家の工場を譲り受け醤油醸造を始める | 創立前年表 |
嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 飯田市郎兵衛家、醤油醸造を廃業する | 創立前年表 | |
- | 五代茂木佐平治、梅郷村今上に南蔵を新築 | 創立前年表 | |
安政2年(1855) | - | 二代茂木房五郎、飯田市郎兵衛家の工場を借り受け醤油仕込をなす | 創立前年表 |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 茂木七郎治、茂木七郎右衛門家より分家 | 創立前年表 | |
文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 茂木利平、茂木佐平治家より分家、味噌醸造を始める | 創立前年表 | |
- | 天狗騒動あり、野田の造家、攘夷資金五千両強要される | 創立前年表 | |
元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 高梨孝右衛門、高梨兵左衛門家より分家、醤油醸造を始める | 創立前年表 |