朝日生命保険(相)『朝日生命百年史. 下巻』(1990.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
9月20日 東京為替取組所を廃し手形取引所を設置 業界・一般事項
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
12月22日 内閣制度確立 業界・一般事項
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
1月29日 海軍少将林清康海軍省会計局長となる 業界・一般事項
2月27日 各省官制公布 業界・一般事項
3月2日 帝国大学令を公布、東京大学、工部大学校を統合して帝国大学に改組 業界・一般事項
4月24日 東京築地の料亭「寿美屋」で林海軍省会計局長排斥のため、乱闘事件起こる 当社事項
9月3日 加唐・飯村・千早中主計、責任者として上官暴行罪に問われ、軍法会議で軽禁固七ヵ月に処せられ、免官(免官直前に大主計となる) 当社事項
9月 獄中の加唐・飯村・千早、出獄後には三人共同して生命保険会社を設立することを盟約する 当社事項
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
4月 加唐・飯村・千早、刑期満了で出獄、飯村・千早就職のため、加唐が生命保険会社創立事務に専念 当社事項
8月 福原有信・高木兼寛などの支援を得て、後援者が広がる 当社事項
9月30日 加唐、収支見積書を作成し有志相談会に諮り了承され、設立事務進捗 当社事項
11月21日 加唐「損益比較予算調」を作成 当社事項
11月26日 創立事務所を東京府日本橋区堀留町二丁目二〇番地に設置、加唐・小疇治郎兵衛・福原・松本伊兵衛・伊藤幹一の五人を創立委員として公表 当社事項
12月1日 東京手形取引所付属交換所開設 業界・一般事項
12月5日 創立委員五人連署で生命保険会社設立願書を東京府日本橋区長経由東京府知事に提出 当社事項
12月28日 東京府知事より設立認可指令が発せられる 当社事項
12月30日 国立第一銀行に株金取扱いを委託 当社事項
- この年、好況による資金需要強く、国立銀行の増資、私立銀行の新設・増資多し 業界・一般事項
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
1月10日 帝国生命保険会社創立事務員章程を制定、創立事務所の組織・分掌などを定め、加唐が創立委員長となる、鳥山巍が創立委員に追加選任される 当社事項
2月27日 株式申込二二八人、四、三二七株(資本金三〇万円・額面五〇円・株数六、〇〇〇株・払込金額一株につき五円) 当社事項
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