※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月19日 | 茂木・高梨一族7家が企業合同し、新会社設立の調印を行う | ||
11月14日 | 堀切紋次郎が新会社への参加を申し入れる | ||
12月7日 | 「野田醤油株式会社」が設立される(資本金700万円) | ||
12月21日 | 「万上味淋株式会社」が設立される(資本金50万円) | ||
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 営業を開始する | ||
2月5日 | 大阪出張所を開設する | ||
11月1日 | 「野田醤油醸造組合」管理の「野田病院」「醸造試験所」が当社に移管される | ||
- | ・しょうゆ1升びんを発売 | ||
- | ※個人時代より引き継いだ商標は、登録されているだけでも211種にも及ぷ | ||
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 商標を「キッコーマン」ほか7印に整理する | ||
- | ・輸出用として「しょうゆ1ガロン缶」を発売 | ||
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
3月10日 | 製樽工場を新設する | ||
10月10日 | 横浜派出所を開設する | ||
12月15日 | 日本労働総同盟野田支部が結成される | ||
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 第17工場(現野田第1工場)が起工される | ||
10月19日 | 社内規を制定し実施する | ||
11月 | ・輸出用しょうゆ「5ガロン缶」を発売 | ||
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | 工員規定を制定し実施する | ||
3月12日 | 専用水道が完成し通水を開始する | ||
3月 | ・1升びんのびん口を「機械口」から「王冠口」に改める |