※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | ※国家総動員法により物価が統制され、醤油は9月18目の価格で凍結される | ||
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | ・小樽16(l)詰を18(l)詰に変更する | ||
9月1日 | 戦時体制にともない「醤油公定価格」「規格」が制定、実施される | ||
9月1日 | 公定価格形成委員会の「一社一規格一マーク」の方針にそい、当社の商標が「キッコーマン」に統一される | ||
10月25日 | 『野田醤油株式会社20年史』を刊行する | ||
10月 | ※「日本大豆統制(株)」の設立により、油脂資源確保のため醤油用原料大豆はすべて搾油した「脱脂大豆」が配給されることになる | ||
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 小樽出張所を開設する | ||
10月 | ・「ソース2合(360(ml))びん」「同徳用3.5合(630(ml)びん」を発売 | ||
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 「味噌醤油等配給統制規則」が施行される | ||
2月28日 | 「財団法人野田産業科学研究所」を設立する | ||
3月11日 | 「野田運輸株式会社」を「総武通運株式会社」と社名変更する | ||
6月 | ・「大樽64(l)詰」「同70(l)詰」などを「大樽66(l)詰」に一括統合する | ||
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
1月31日 | 小樽出張所を廃止する | ||
2月22日 | 取締役会長に、茂木七左衛門が就任。第3代社長に茂木佐平治が就任 | ||
3月8日 | 横浜派出所を廃止する | ||
9月 | ・「万上ウイスキー」を発売 | ||
10月28日 | 新式1号醤油の製造法を公表する | ||
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
6月19日 | 「日本醤油工業株式会社」を設立する | ||
7月7日 | 「合名会社千秋社」が株式会社組織に変更する | ||
9月28日 | 新式1号醤油の技術を公開する |