※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月20日 | 東京・神田大火、焼失約2400戸 | 損保・一般事項 | |
3月3日 | 沼津大火、焼失約2400戸 | 損保・一般事項 | |
6月30日 | 東京市内6支部廃止 | 当社事項 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月14日 | 東京海上に自動車保険認可(最初) | 損保・一般事項 | |
4月8日 | 「社業改革」(経営組織の縮小プラン)、重役会で討議決定 | 当社事項 | |
7月28日 | 第1次世界大戦勃発 | 損保・一般事項 | |
9月12日 | 戦時海上保険補償法公布 | 損保・一般事項 | |
11月 | 火災保険協会加盟会社による16社協定成立 | 損保・一般事項 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月4日 | 東京株式市場暴騰(大戦景気始まる) | 損保・一般事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月9日 | 社長 右近権左衛門死去 | 当社事項 | |
3月28日 | 範多竜太郎 社長就任 | 当社事項 | |
4月14日 | 火災保険協会、大日本火災保険協会と改称 | 損保・一般事項 | |
4月24日 | 海上保険元受営業認可 | 当社事項 | |
5月5日 | 社名を大阪海上火災保険株式会社に改称 | 当社事項 | |
5月24日 | 日本火災に盗難保険認可(最初) | 損保・一般事項 | |
5月25日 | 資本金100万円を500万円に増資 | 当社事項 | |
9月18日 | ロンドンのセジック・コリンズ社と代理店契約締結 | 当社事項 | |
9月21日 | 金沢支部、出張所に昇格 | 当社事項 | |
11月1日 | 扶桑海上 発起人会開催、主唱者 山下亀三郎 創立委員長 加藤正義 | 当社事項 | |
11月6日 | 扶桑海上 農商務大臣宛に発起認可申請(1917.10.25認可) | 当社事項 |