※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月24日 | 関西工場用地買収覚書調印 | 当社事項 | |
9月15日 | 日本労働総同盟野田支部がストライキを通告 | 当社事項 | |
10月1日 | 三蔵協定による事業として、東京市場および近郊へ直配実施 | 当社事項 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月20日 | 野田争議、218日を経て解決 | 当社事項 | |
6月7日 | 経営の基本理念となる「産業魂」を発表 | 当社事項 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 関西工場起工 | 当社事項 | |
5月22日 | 11代茂木七左衛門が社長に就任 | 当社事項 | |
9月28日 | 試験所落成式 | 当社事項 | |
10月 | ニューヨーク株式市場大暴落(世界恐慌) | 業界関連・一般事項 | |
11月2日 | 東京出張所を日本橋小網町の新築店舗に移転 | 当社事項 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 三蔵協定による直配手形制度実施 | 当社事項 | |
9月15日 | 壜詰工場竣工 | 当社事項 | |
9月16日 | 野田醤油第1健康保険組合と同第2健康保険組合が合併し、野田醤油第1健康保険組合と改称 | 当社事項 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 三蔵協定を強化、生産・販売についての協定締結 | 当社事項 | |
5月 | 輸出用「しょうゆ3オンス・5オンスびん」発売 | 当社事項 | |
9月 | 満州事変勃発 | 業界関連・一般事項 | |
10月23日 | 関西工場竣工 | 当社事項 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 「しょうゆ8l缶」発売 | 当社事項 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
7月27日 | 三蔵協定解消 | 当社事項 | |
8月22日 | 東京市場および近郊へ当社単独で直配手形制度を実施 | 当社事項 |