※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 株主初配当 決定(年5分) | 当社関係 | |
5月6日 | 新聞紙法 施行 | 業界・住友関係および一般参考事項 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 生命保険会社協会に加盟 | 当社関係 | |
5月21日 | 被保険者範囲の拡大(外国居住者を含める) | 当社関係 | |
5月 | 岡本専務、欧米視察(9月帰国) | 当社関係 | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月31日 | 保有契約高 500万円を超える | 当社関係 | |
9月 | 日本3会社生命表 発表 | 業界・住友関係および一般参考事項 | |
11月 | 国定教科書高等国語読本に「保険」の章を新設 | 業界・住友関係および一般参考事項 | |
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月20日 | 内閣統計局第2回生命表 発表 | 業界・住友関係および一般参考事項 | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月30日 | 「大正」と改元 | 業界・住友関係および一般参考事項 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 「確定配当付養老保険」、「普通養老保険」発売 | 当社関係 | |
2月1日 | 保険業法改正 施行(財産利用方法書の作成他) | 業界・住友関係および一般参考事項 | |
2月5日 | 株主配当 増配決定(年8分) | 当社関係 | |
12月16日 | 本店ビル 新築(東京市京橋区三十間堀1-6)(大正12年大地震で消失) | 当社関係 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月31日 | 元住友総理事 広瀬宰平 死去 | 業界・住友関係および一般参考事項 | |
2月5日 | 株主配当 増配決定(年1割) | 当社関係 | |
4月30日 | 保有契約高1,000万円を超える | 当社関係 | |
7月28日 | 第1次世界大戦 勃発(8月23日 日本対独宣戦布告) | 業界・住友関係および一般参考事項 | |
8月3日 | 株式大暴落 | 業界・住友関係および一般参考事項 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 株式市場活況呈す | 業界・住友関係および一般参考事項 |