※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 共済生命保険合資会社(当時共済五百名社)営業開始。 | 備考 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月9日 | 明治生命保険株式会社営業開始。 | 備考 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 不換紙幣の正貨兌換開始。 | 備考 | |
1月26日 | 北海道庁設置。 | 備考 | |
1月28日 | 鎮台を廃し師団を制定。 | 備考 | |
2月27日 | 各省官制公布。 | 備考 | |
9月 | 加唐為重、飯村知、千早正次郎の三名は、生命保険事業を研究し、我社の創立を盟約す。 | 事項 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月22日 | 東京市に始めて電灯点火。 | 備考 | |
3月23日 | 所得税法公布。 | 備考 | |
4月 | 国会開設の期迫り、民論の擡頭愈々急。 | 備考 | |
5月1日 | 第一回条約改正会議。 | 備考 | |
5月19日 | 博愛社を日本赤十字社と改称。 | 備考 | |
11月 | 創立委員に加唐為重、福原有信、伊藤幹一、松本伊兵衛、小疇治郎兵衛の五名を挙ぐ。//創立事務所を東京市日本橋区堀留町二丁目二十番地に置く。 | 事項 | |
12月5日 | 創立委員五名の連署にて設立願を東京府農商課に提出、同月二十八日認可。 | 事項 | |
12月25日 | 保安条例公布。 | 備考 | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月28日 | 創立総会を東京市日本橋区坂本町の銀行集会所に於て開催。 | 事項 | |
3月1日 | 東京市日本橋区堀留町二丁目二十番地の創立事務所に於て営業開始。//株式資本金三十万円、払込資本金三万円、一株額面五十円、第一回払込一株に付金五円。//最初の役員は社長(理事員)小疇治郎兵衛、理事員福原有信、同松本伊兵衛、同小野寺大三郎、理事員兼会計検査員伊藤幹一、理事員兼幹事長加唐為重の五名。//保険種類は尋常終身(略号終甲)、有期終身(略号終乙)、養老年齢満期(略号養甲及養乙)、短期保険の四種。//死亡表は英国十七会社表、予定利率は年四分。//診査は医師鳥山巍氏に嘱託。 | 事項 | |
3月17日 | 横浜市太田町二丁目三十五番地、薬種貿易商藤野善輔氏に代理店を委嘱す。これ我社代理店の魁なり。 | 事項 | |
3月 | 憲法草案成る、皇室典範は井上毅、議院法は伊東巳代治、選挙法及貴族院令は金子堅太郎夫々起草の任に当る。 | 備考 | |
4月3日 | 欧化主義の反動として国粋保存の議起り、三宅雄二郎等の政教社生る。 | 備考 |