※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月9日 | 船舶保険開始に関する上申に対し「難及命議」旨農商務卿より東京府知事へ指令す。 | ||
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月5日 | 太政大臣の指令を以て船舶保険開始のこと聴届けらる。 | ||
11月29日 | 船舶保険開始に付政府は金四十万円を会社の資本金に差加ふる旨命令あり。公称資本金一百万円となる。 | ||
12月17日 | 臨時株主総会を開催し、政府の命令書を遵奉し、船舶保険を開始すべき旨決議す。 | ||
12月26日 | 頭取伊達宗城氏退任し、池田茂政氏頭取に就任す。 | ||
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月16日 | 命令書に依る政府の特選取締役として横山貞秀並に堀基の二氏任命さる。 | ||
2月25日 | 船舶保険の業を開始す。 | ||
5月24日 | 取締役北川亥之作氏退任す。 | ||
6月3日 | 藤本文策氏取締役に就任す。 | ||
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
2月13日 | 取締役堀基氏退任す。 | ||
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 本店を東京市日本橋区南茅場町四十四番地へ移転す。 | ||
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月21日 | 取締役二橋元長氏退任す。 | ||
6月7日 | 吉川泰二郎氏取締役に就任す。 | ||
明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 取締役横山貞秀氏逝去す。 | ||
10月11日 | 政府は会社の株主たることを取止め金四十万円を限度として保証を為すことゝす。 | ||
11月4日 | 臨時株主総会を開催し、資本金を百二十万円(半額払込済)とす。 | ||
明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月1日 | 取締役吉川泰二郎氏退任す。 | ||
8月4日 | 荘田平五郎氏取締役に就任す。 | ||
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月11日 | 会社の株式は華族世襲財産法第三条第二類の資格を有する旨宮内大臣より指令あり。 | ||
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
12月13日 | 末延道成、佐々木慎思郎の両氏監査役に就任す。 |