東京火災保険(株)『東京火災保険株式会社五十年誌』(1938.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
6月10日 発起人鵜殿長、神戸信義、木山市三、柳川清助、柳川繁の五氏は資本金弐拾万円を以て「有限責任東京火災保険会社」創立の願書を東京府知事に対し提出し、創立事務所を東京京橋区三十間堀三丁目三番地に置く
7月10日 定款、創立証書、発起人財産調書を東京府知事に提出す
7月18日 保険料に関する定款の副申書を東京府知事に提出す
7月23日 東京府知事より設立認可指令下付さる
12月28日 事務取扱例則並に附録書式を制定し、東京府知事に届出づ
12月29日 創業事務一時中止す
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
5月24日 唯武連、加賀兄彦、安住喜忠の三氏発起人に加はる
6月7日 柳川清助、柳川繁の両氏退社す
9月8日 最初の保険規則制定せらる
9月11日 事務所を東京京橋区銀座二丁目九番地に移転す
9月30日 唯武連氏頭取に、石井祐二郎氏副頭取に、加賀兄彦、安住喜忠の両氏取締役に就任す
10月1日 火災保険の営業を開始す
11月1日 湯屋改良請負会社合併並に資本金四拾五万円に増額の件認可せらる
11月23日 本店営業所を東京京橋区銀座二丁目十四番地に移転す
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
4月29日 頭取を社長、副頭取を副社長と改称す
5月7日 唯武連氏社長退任、折田正介氏取締役社長に就任す
5月7日 石井祐二郎氏副社長を退任す
5月11日 火災保険契約物件保護の為め印鑑並に徽章ある提灯を携帯したるものに限り火災現場に立入るの件警視庁より許可せらる
12月31日 第一回半季実際報告書を作成す
明治23年(1890) - 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 渋沢関係略年譜
2月23日 第一回株主定式総会を浅草鴎遊館に於て開催す
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