※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月25日 | 創立仮事務所を大阪市東区北浜二丁目三十二番屋敷に設置す。 | ||
6月26日 | 岡橋治助、泉清助、井上保次郎創立常務委員に当選就任す。 | ||
6月28日 | 発起人総代岡橋治助、泉清助「有限責任日本生命保険会社」創立の願書を大阪市東区役所に提出し、奥印を受く。 | ||
7月1日 | 右[有限責任日本生命保険会社]創立願書を大阪府知事に提出す。 | ||
7月4日 | 大阪府知事より設立認可の指令下附さる。 | ||
7月28日 | 創立総会を大阪市東区平野町堺卯楼に開き役員選挙の結果、社長に鴻池善右衛門、副社長に片岡直温、取締役に弘世助三郎、難波二郎三郎、熊谷辰太郎、草間貞太郎、松本誠直、取締役兼支配人に泉清助、検査役に岡橋治助、西田永助、顧問に川上左七郎当選就任す。 | ||
8月2日 | 資本金第一回払込金六万円を徴収す。 | ||
8月26日 | 創立委員川上左七郎、社員岩崎米次郎は東京帝国大学教授理学士藤沢利喜太郎氏を訪れ、我が社生命表並に掛金表の作製に就き正式に依頼す。 | ||
8月28日 | 藤沢教授指導の下に我が社生命表並に掛金表の作製を開始す。 | ||
9月3日 | 我が社生命表並に掛金表の作製を完了す。 | ||
9月18日 | 本社を大阪市東区今橋二丁目百十四番屋敷に設置す。 | ||
9月20日 | 営業を開始す。 | ||
9月21日 | 「日本生命保険会社保険之大要」と称する小冊子を配布す。 | ||
明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 経済恐慌襲来 | ||
4月1日 | 東京支社を東京市に設置す。 | ||
4月26日 | 商法(旧商法)公布 | ||
7月30日 | 久邇宮殿下より我が社事業の趣旨を御嘉納あらせられ、一層勉励事業の隆盛ならん事を望ませらるゝ旨御沙汰書を賜る。 | ||
7月 | 長崎県下に悪性のコレラ病流行し各府県へ伝播の虞ありしを以て「コレラ病予防の心得」を配布す。 | ||
10月22日 | 山階宮殿下より我が社事業の趣旨を御嘉納あらせられ、一層勉励事業の発展に努力するを望む旨の御沙汰書を賜る | ||
11月29日 | 第一回帝国議会開会 |