※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月9日 | 明治生命開業 | 業界・一般事項 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月10日 | 日本銀行開業 | 業界・一般事項 | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 帝国生命開業 | 業界・一般事項 | |
明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月11日 | 帝国憲法発布 | 業界・一般事項 | |
6月25日 | 創立仮事務所を大阪市東区北浜2丁目32番屋敷に設置 | 当社 | |
7月1日 | 東海道線東京神戸間全通 | 業界・一般事項 | |
7月4日 | 有限責任日本生命保険会社創立願受理される | 当社 | |
7月28日 | 創立総会を開催、社長鴻池善右衛門、副社長片岡直温就任 | 当社 | |
9月3日 | 生命表(藤沢氏第二表)と保険料表完成 | 当社 | |
9月20日 | 大阪市東区今橋2丁目114番屋敷で開業 | 当社 | |
明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 東京支社(東京市日本橋区青物町)設置 | 当社 | |
12月20日 | 大阪鉄道社債1万1千円取得(最初の社債投資) | 当社 | |
明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 社名を日本生命保険株式会社と改称 | 当社 | |
2月24日 | 京都出張所を京都市に設置(最初の出張所) | 当社 | |
4月30日 | 大阪市東区北浜3丁目7ノ甲を取得(最初の不動産取得) | 当社 | |
5月4日 | 同右[大阪市東区北浜3丁目7ノ甲]へ本店を移転 | 当社 | |
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 大阪鉄道株式173株取得(最初の株式投資) | 当社 | |
10月20日 | 保有契約高500万円達成を機に大阪偕行社で開業祝典を挙行 | 当社 | |
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
3月6日 | 日本海陸保険(株)設立、役職員派遣、本店・東京支社の一部を賃貸(最初の職員出向、不動産賃貸) | 当社 | |
5月1日 | 米国シカゴ市で開催のコロンブス世界博に最初のアニュアルレポートを出品(最初の海外PR) | 当社 |