※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | (財)日本生命済生会設立 | 当社 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 農林省、商工省設置(農商務省廃止)、保険行政は商工省へ移管 | 業界・一般事項 | |
12月4日 | パワーズ式統計機導入 | 当社 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 地方募集経費規程制定(代理店中心の販売体制を職員による直接販売へ転換) | 当社 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 金融恐慌発生 | 業界・一般事項 | |
9月1日 | 本店営業局に恪進部を設置(最初の教育専管組織) | 当社 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月11日 | ホレリス式穿孔機導入(統計機はS5) | 当社 | |
12月29日 | 専務弘世助太郎、社長に就任 | 当社 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 募集経費規程制定(職員中心の募集体制を確立) | 当社 | |
1月1日 | 財務局に財務課、有価証券課、精査課設置(最初の運用・調査組織分化) | 当社 | |
1月1日 | 毎年利益配当付保険発売 | 当社 | |
10月24日 | ニューヨーク株式暴落、世界恐慌発生 | 業界・一般事項 | |
- | 大卒の定期採用開始 | 当社 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 東京支店に養成部設置(大阪支店はS6.1) | 当社 | |
5月2日 | エーレンベルク博士(独ゲッチンゲン大学)文庫を譲受 | 当社 | |
10月7日 | 生保証券(株)(第一次)設立 | 業界・一般事項 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月18日 | いわゆる「満州事変」勃発 | 業界・一般事項 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 日本生命済生会付属日生病院竣工 | 当社 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月17日 | 東京日本生命館竣工(高島屋へ一括賃貸) | 当社 | |
9月10日 | 団体特別取扱特約発売(最初の団体扱) | 当社 |