明治生命保険(株)『明治生命保険株式会社六十年史』(1942.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
2月21日 東京市京橋区南鍋町十二番地交詢社の一室に創立事務所を置く
6月13日 発起人小幡篤次郎外十一人により設立願を東京府庁に提出 同月二十九日認可
7月6日 東京府庁へ開業届を出す
7月8日 東京市京橋区木挽町二丁目十四番地に於て創立総会を開き取締役九名検査掛二名を選挙す
7月9日 同所[東京市京橋区木挽町二丁目十四番地]に本店を置き株式資本金拾万円(毎三ケ月五分ノ一宛払込)を以て開業す
7月9日 第一次取締会を開き互選の結果、阿部泰蔵を頭取に選び、支配人物集女清久診査医印東玄得と決定
10月11日 大阪市東区伏見町二丁目二十四番地に支店設置願を大阪府庁に提出 同月十五日認可
10月19日 横浜丸善為換店に代理店を委嘱、これ我国生命保険会社代理店の嚆矢なり
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
1月20日 被保険者川井久徴氏死亡したるを以て同月二十七日最初の保険金一千円を遺族に支払ふ
1月29日 第一次株主総会を本店に開催し定款第十五条の変更其他を議決
1月29日 西脇悌二郎取締辞任、朝田又七松本重太郎外山修造各取締役に就任
2月6日 定款第十五条の変更を東京府庁に申請 同月十四日認可
7月20日 コレラ病流行の為当分の間一年定期保険契約中止 其他の保険金は一千円を限度とす
12月 兵庫県神戸栄町商義社に大阪支店分局を設置
- 是年 資本金拾万円の内四万円は前季中に領収し残額六万円は本季中に全部領収済
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
1月21日 本店を東京市日本橋区南茅場町二十番地に移転
1月28日 第二次株主総会開催 定款第二条の変更を議決 水野忠精取締に就任
2月7日 定款第二条の変更を申請し 同月十三日認可
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
1月27日 第三次株主総会開催 取締外山修造辞任、森弥三郎取締に就任
6月30日 当分の間教育資の新契約停止
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