(社)筑豊石炭鉱業会『筑豊石炭鉱業会五十年史』(1935.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
- 二月二十日太政官布告第百七十七号を以て鉱山開放を公布す 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
- 十月民部省にて石炭に関する調査を試む 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
- 四月五日鉱山出願者身元調に関する達示あり 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
- 三月二十七日太政官布告第百号を以て鉱山心得書を発布す 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- 七月旧藩庁の焚石会所廃止され石炭の自由販売許可さる 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
- 七月太政官布告第二百五十九号を以て日本坑法を発布、同年九月一日より実施。 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- (三池高島両炭坑を官有とす) 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- (十二月後藤伯高島炭坑を引受く) 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
- 鉱物税取纏めの為め遠賀郡蘆屋、若松両港に福岡県出張所を設け兼て採炭及売炭を監督す 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
- 片山逸太田川郡糸田村の炭坑に蒸気汽缶を据付け汽力応用を試みしも成功せず 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
- 貝島太助鞍手郡直方炭坑に蒸気汽缶を据付しも好果を得ず 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
- 西南の役起り労銀暴騰斯業沈衰す 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
- 帆足義方遠賀郡香月炭坑に蒸気汽缶を据付しも好果を得ず 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- 山本貴三郎始めて糸田鉱区を出願十二年許可せらる―今日の豊国炭坑 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
- 各炭礦の採掘委託販費を目的として若松商会起りしも事業不振の為め後廃業す 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- 松本潜高雄炭坑第一坑を開く―今日の日本製鉄二瀬鉱業所に属するもの 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- 麻生太吉鯰田坑を開く―今日の三菱会社に属するもの 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
- 杉山徳三郎目尾炭坑に蒸気汽缶を用ひて始めて好果を得―今日の古河会社に属するもの―各炭坑此後続々之に倣ふ 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- 直方町外十ケ村の各鉱区を一括して藤田伝三郎に許可せらる 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
- (此年三菱会社高島炭坑を引受く) 筑豊炭業の発達 重要事項 (参考事項)
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