※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 福沢諭吉氏著「西洋旅案内」出版。書中に「人の生涯を請合ふ事」「火災請合」「海上請合」等について記述 | 一般 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月14日 | 五箇条の御誓文発布 | 一般 | |
5月 | 山本覚馬氏述「管見」(写本)商律中、海上運送及び人の死亡請負の必要を説く | 一般 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 明治と改元 | 一般 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 東京奠都 | 一般 | |
4月 | 「新塾月誌」第二号中に「保険」について記述 | 一般 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月13日 | 樺太開拓使設置 | 一般 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 大阪造幣寮開寮 | 一般 | |
3月1日 | 東海道の新式郵便制度開始 | 一般 | |
5月10日 | 新貨条例発布。一両を一円と改称 | 一般 | |
7月14日 | 廃藩置県 | 一般 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 爪生三寅氏訳述「合衆国政治小学」出版。書中に「人命危難請合会社」について記述 | 一般 | |
5月 | 毎週新聞第十一号付録中に「保険」について記述 | 一般 | |
5月 | 何礼之氏著「世渡の杖」中に「保険会社(うけおひなかま)」について記述 | 一般 | |
5月 | 杉享二氏訳「交易通史」刊行。書中に「海上保険」について記述 | 一般 | |
9月12日 | 新橋・横浜間鉄道開通 | 一般 | |
11月15日 | 国立銀行条例公布 | 一般 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月20日 | 第一国立銀行開業 | 一般 | |
- | (この年)大阪造幣寮内日進学舎中に類似保険の一種と見られる預ケ金制度を設ける | 一般 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 丸屋商店、「死亡請合規則」を設ける | 一般 |