小西酒造(株)『白雪の明治・大正・昭和前期 : 11考・業茂、12考・業精の時代』(1995.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
2月6日 宝塚尼崎電鉄、設立。監査役。(この会社は、のちS.7.11.18.に阪神国道自動車に吸収合併される) 財界活動関係年表(2) 12考・業精(酒造関係は除く)
9月29日 阪神電鉄、監査役辞任。 財界活動関係年表(2) 12考・業精(酒造関係は除く)
10月24日 阪神電鉄、取締役。(任期S.22.4.28.まで) 財界活動関係年表(2) 12考・業精(酒造関係は除く)
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
1月20日 日本相互貯蓄銀行(現・協和銀行)、頭取。49歳。 財界活動関係年表(2) 12考・業精(酒造関係は除く)
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
- 鴻池信託、取締役。(この会社は、S.16.4.1.に三和信託となり、S.20.5.1.に三和銀行に吸収合併される) 財界活動関係年表(2) 12考・業精(酒造関係は除く)
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
2月1日 宝塚植物園(阪急)、社長。 財界活動関係年表(2) 12考・業精(酒造関係は除く)
3月7日 阪神土地、阪神電鉄に吸収合併。 財界活動関係年表(2) 12考・業精(酒造関係は除く)
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
4月7日 兵庫県農工銀行、監査役を辞任し、取締役に就任。(任期S.12.3.25まで)(この銀行は、S.12.3.25.に日本勧業銀行と合併する) 財界活動関係年表(2) 12考・業精(酒造関係は除く)
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
- 美田村千代師範、美田村邦彦師範が大日本武徳会に新たに設置された「薙刀術教員養成所」の教授に着任 ●修武館沿革
- 真貝寅太郎(真貝忠篤師範の後継者)を師範に招聘する。 ●修武館沿革
昭和15年(1940) - 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 渋沢関係略年譜
- 修武館を恒久的に存続させるために、組織を財団法人にする準備を始める。 ●修武館沿革
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
- 修武館が正式に財団法人として認可される。組織を強化し、剣道と薙刀に指導の重点をおく。真貝寅太郎師範の後任として、大阪府警の剣道師範・越川秀之助(のち範士)を招聘する。 ●修武館沿革
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
- 修武館に梨本宮殿下の御台臨を仰ぐ。 ●修武館沿革
- この年、業精は指導理念「修武館武道摘要」を館頭に掲げ、門弟たちに教示する。 ●修武館沿革
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
- 第二次世界大戦の戦局が逼迫し、道場の疎開、取り壊しやむなきにいたる。 ●修武館沿革
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
5月15日 日本相互貯蓄銀行ほか8貯蓄銀行が合併し、新たに日本貯蓄銀行となる。相談役に就任。(のち、日本貯蓄銀行はS.23.7.15.に普通銀行に転換し、協和銀行となる) 財界活動関係年表(2) 12考・業精(酒造関係は除く)
- 終戦とともに剣道禁止となる。 ●修武館沿革
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
4月28日 阪神電鉄、取締役辞任。 財界活動関係年表(2) 12考・業精(酒造関係は除く)
8月22日 没、享年72歳。 財界活動関係年表(2) 12考・業精(酒造関係は除く)
昭和25年(1950) - 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 渋沢関係略年譜
11月 ★のち、昭和25年(1950)11月、剣道がまだ一般的に再開されていないときに、酒蔵の土間を改装して、全国で初めて剣道場を再開する。現在の修武館が市内悠紀町に新築されたのは昭和37年(1962)1月である。そのときは、全国から剣道家を招いて盛大に新築記念演武大会が催された。再び、関西地区の民間道場の中心となり、一般にも開放されて今日に至る。 ●修武館沿革
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