※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 開拓使、横浜の醸造所に野生ホップによる試醸依頼 | 業界・関連事項 | |
- | 開拓使、アメリカ種大麦栽培を推奨 | 業界・関連事項 | |
- | 開拓使、10年計画策定 | 業界・関連事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月7日 | 中川清兵衛、ベルリンビール醸造会社で修業開始 | 業界・関連事項 | |
9月13日 | 岩倉米欧視察団帰国 | 業界・関連事項 | |
- | 開拓使、ホップの販売を企図 | 業界・関連事項 | |
- | 野口正章(甲府)、ビール醸造開始(コープランドが技術指導) | 業界・関連事項 | |
- | ドイツ人カール・フォン・リンデ、アンモニア式冷凍機完成 | 業界・関連事項 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ケプロン、開拓使にホップ栽培を勧奨 | 業界・関連事項 | |
1月 | 野口正章、「三ツ鱗」印ビール発売 | 業界・関連事項 | |
3月 | アンチセル、開拓使退職 | 業界・関連事項 | |
4月24日 | 大蔵卿、神奈川県令にビール醸造者からの収税を指示 | 業界・関連事項 | |
5月8日 | 大蔵卿、山梨県令にビール醸造者からの収税を指示 | 業界・関連事項 | |
8月2日 | 黒田清隆、開拓長官に昇格 | 業界・関連事項 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月20日 | 「酒類税則」公布、ビールは営業税だけで醸造税免除 | 業界・関連事項 | |
5月1日 | 中川清兵衛、ベルリンビール醸造会社から修業証書受領 | 業界・関連事項 | |
8月24日 | 開拓使、中川清兵衛を雇用 | 業界・関連事項 | |
8月 | 開拓使、東京官園内に麦酒醸造所の建設を決定 | 業界・関連事項 | |
12月27日 | 開拓使、東京出張所の村橋久成の建言で、麦酒醸造所建設を札幌に変更 | 業界・関連事項 | |
- | 保坂森之輔(横浜)、「保坂ビール」発売 | 業界・関連事項 |