サントリー(株)『みとくんなはれ』(1969.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月10日 国際連盟成立 一般
1月29日 米国禁酒法実施 一般
3月1日 富士醸造尼崎工場を譲り受け登利寿株式会社を尼崎市大物町に設立、鳥井信治郎その代表取締役となり酒類醸造および瓶詰を開始 当社関係
3月1日 瓶詰ハイボール「トリスウイスタン」を製造発売 当社関係
3月15日 経済大恐慌、株式・米等の市場未曾有の暴落 一般
10月1日 第一回国勢調査実施(総人口七、七〇〇万人) 一般
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
1月1日 鳥井信治郎の努力により比叡山延暦寺の御修法復興 当社関係
8月1日 赤玉ポートワインの軒吊り看板を制作し、全国の酒販店に配布掲出する。 当社関係
8月9日 赤玉ポートワインの酒販店向特売を西日本地区において実施。以後全国各地で積極的に酒販店向景品付特売を実施し、赤玉ポートワインの拡売を行なう 当社関係
11月12日 ワシントン世界軍縮会議開催 一般
12月1日 酒精、洋酒.禰の製造販売を目的として、株式会社寿屋を(資本金百万円、払込み九五万円)設立、代表取締役社長に鳥井信治郎、取締役に鳥井喜蔵、菅原捷雄、監査役に工藤喜一郎が就任 当社関係
12月1日 東京出張所を東京市麹町区有楽町一丁目に設置 当社関係
12月1日 大阪市西区富島町の保税工場を築港工場に移転統合 当社関係
12月1日 社員持株制度を実施 当社関係
- 安井咸吉入社 当社関係
- この頃、「船頭小唄」「流浪の旅」等流行 一般
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
3月6日 合資会社寿屋洋酒店および登利寿株式会社を合併し資本金二百万円(払込九六万円)に増資 当社関係
3月6日 元登利寿株式会社の工場を尼崎工場と改称 当社関係
3月30日 未青年者飲酒禁止法公布 一般
5月11日 加富登麦酒、日本麦酒鉱泉と改称し「ユニオンビール」を発売 洋酒・ビール業界
PAGE TOP