※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月2日 | 大阪商法会議所設立(明治24年大阪商業会議所となる) | 一般 | |
9月28日 | 醸造税が従価税から従量税に改正 | 洋酒・ビール業界 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月25日 | 『大阪朝日新聞』創刊 | 一般 | |
1月30日 | 鳥井信治郎、両替商鳥井忠兵衛の二男として誕生(大阪市東区釣鐘町) | 当社関係 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月12日 | 牛乳を原料とする粉ミルク・バター・クリーム等発売(長養軒) | 一般 | |
9月27日 | 新しい酒造税則で洋酒の名称が「再製酒」となる | 洋酒・ビール業界 | |
9月27日 | 酒類造石税が増税され、酒造業者の反対運動起る | 洋酒・ビール業界 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月1日 | 植木枝盛、酒税増税に反対し、酒屋会議を開催するとの檄文を発表 | 洋酒・ビール業界 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 『大阪毎日新聞』創刊 | 一般 | |
10月10日 | 日本銀行開業 | 一般 | |
- | 神谷伝兵衛香竄葡萄酒発売(壜装して東京日本橋の近藤利兵衛により販売) | 洋酒・ビール業界 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | 東京京橋の明治会堂で最初の西洋舞踏会を開催 | 一般 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月1日 | 商標登録制実施 | 一般 | |
- | 鹿鳴館に仮装舞踏会盛行し婦人の洋装盛んになる | 一般 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 醤油税・菓子税実施(間接税増加の起点) | 一般 | |
12月22日 | 太政官制度改め内閣制度創設される | 一般 | |
12月22日 | 伊藤博文初代内閣総理大臣となる | 一般 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月22日 | 前年創立の東京電灯、鹿鳴館夜会に点灯(最初の白熱電灯) | 一般 | |
4月1日 | 鳥井信治郎北大江小学校(大阪市東区島町)に入学 | 当社関係 | |
9月1日 | 日本麦酒醸造会社設立(エビスビール) | 洋酒・ビール業界 |