※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | この年、稲の作付面積、初めて300万町歩を超える | 米穀等関連事項 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 取引所改築のため蠣殻町1丁目4番地(旧東京商品取引所)へ移転 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
3月 | 受渡米に台鮮米常時供用。これにより定期は台鮮米相場、正米は実価を示すことで定期、正米間の相場の開差大 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
7月 | 朝鮮米移入税廃止(4月公布、7月実施) | 東京米穀商品取引所略年史 | |
12月 | 農商務省内に「米価調節調査会」設置 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 第二次取引所税法発布。取引所営業税と取引税の二本立て、両税を合わせても従来の約半額と大減税断行、万分の12を万分の5へ | 東京米穀商品取引所略年史 | |
3月 | 取引所法改正 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
4月18日 | 北浜銀行(大阪株式取引所・商品取引所の機関銀行)取付けにあう | 米穀等関連事項 | |
7月 | 第一次世界大戦勃発。日本経済空前の好況、商品市場も有史以来のブーム | 東京米穀商品取引所略年史 | |
8月13日 | 台風で東海・北陸地方に水害、富山県の被害甚大 | 米穀等関連事項 | |
12月 | 政府、「米価調節法」案、衆議院に提出、解散にて流れる | 東京米穀商品取引所略年史 | |
- | 米価低落、台鮮米受渡供用の廃止 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 米価低落に対処するため米価調節令公布(勅令)。米穀統制のさきがけ | 東京米穀商品取引所略年史 | |
9月 | 期米相場暴落 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
10月 | 米価調節調査会設置。常平倉案ほか2案提出審議、米穀法制定への第一歩 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
12月4日 | 欧州大戦景気により東京株式市場株価暴騰、大戦景気の始まり | 米穀等関連事項 | |
- | 取引所ビル新築 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 板寄せザラバ折衷法による単一約定値段制に移行 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
9月 | 米価調査会解散。第一次世界大戦ブームで無用に帰したため | 東京米穀商品取引所略年史 | |
- | 第四代理事長指田義雄就任 | 東京米穀商品取引所略年史 |