※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 年初来の米価騰貴頂点に達し、9月以降下落に転ずる | 米穀等関連事項 | |
- | 東京米穀商品取引所、市場振興策を協議 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 朝鮮総督府、朝鮮産米の増殖計画を更新実施、大正15年度以降12カ年に約820万石の増収を図る | 米穀等関連事項 | |
9月 | 指田理事長現職のまま病没。後継者選び難航 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 大正天皇崩御。全国株式、商品市場弔意を表し一斉休業 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 東京渡辺銀行・あかぢ貯蓄銀行休業。京浜地方に銀行取付けおこり、3月19日中井銀行、3月22日村井・中沢・八十四・左右田など諸銀行休業。金融恐慌始まる | 米穀等関連事項 | |
3月21日 | 日銀、市中銀行に対し非常貸出を実施。3月23日までに6億円を突破する | 米穀等関連事項 | |
3月22日 | 蔵相・日銀総裁それぞれ財界安定に関する声明を発表 | 米穀等関連事項 | |
4月22日 | 金銭債務の支払延期および手形の保存行為の期間延長に関する件公布。3週間のモラトリアム即日実行 | 米穀等関連事項 | |
4月22日 | 東西の手形交換所・銀行集会所理事会の決定により全国の銀行4月23日まで一斉休業。信託会社もこれにならう//株式・商品取引所はモラトリアム期間中休業 | 米穀等関連事項 | |
4月 | 金融恐慌広がる | 東京米穀商品取引所略年史 | |
4月 | 金銭債務の支払延期及び手形の保存行為の期間延長に関する件公布。3週間のモラトリアム22日即日施行、全国の銀行一斉休業。株式・商品取引所はモラトリアム期間中休業 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
5月3日 | 金融恐慌対策のため、第53臨時議会召集 | 米穀等関連事項 | |
5月13日 | 東京米穀商品取引所と同様休止していた全国株式・商品市場再開、各市場とも平穏に推移 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
5月13日 | モラトリアム期限満了後第1日、各市場は平穏 | 米穀等関連事項 | |
5月 | 東京米穀商品取引所のモラトリアムによる立会休止(4月22日~5月12日)に関し、商工省から取引所機能発揮につき警告さる | 東京米穀商品取引所略年史 | |
6月 | 第五代理事長窪田四郎就任 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月7日 | 米・籾輸入制限令公布、米穀の輸入許可制、'29年12月31日まで実施 | 米穀等関連事項 | |
9月4日 | 期米市場、買占めによる混乱で立会停止、6日再開 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
10月 | 4日発表された農林省の米作豊作予想で一転暴落の相場展開となり、期米市場混乱。4度の売買停止と再開くり返し、10月中混乱続く | 東京米穀商品取引所略年史 |