※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 米価7円10銭となる('80年末に比し45%暴落) | 米穀等関連事項 | |
- | 蠣殻町米商会所第三代頭取川上助八郎就任 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
- | 壬午の乱 | 米穀等関連事項 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 仲買人税(取引税の嚆矢)施行。約定金額の千分の5、壬午の乱に端を発し創設 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
7月 | 兜町米商会所・蠣殻町米商会所合併、東京米商会所初代頭取田中平八就任、資本金10万円に。場所の選定は両会所株主全員の投票により蠣殻町となる | 東京米穀商品取引所略年史 | |
- | この年、金融引締め、物価下落、商況不振で中産階級以下の生活困窮深まる | 米穀等関連事項 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 東京米商会所仲買人100人と限定 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
- | 東京米商会所第二代頭取松本暢就任 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
- | この年、松方デフレ政策による不景気と凶作による農民の生活苦深刻化 | 米穀等関連事項 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 仲買人税廃止。旧制の取引所税一本建に復す | 東京米穀商品取引所略年史 | |
- | 東京米商会所第三代頭取米倉一平就任 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 東京米商会所仲買人11人営業停止 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
3月 | 東京米商会所第四代頭取林徳左衛門就任 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
7月 | 東京米商会所第五代頭取青木貞三就任 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
12月 | 小網町、兜町、小舟町、本舟町にあった正米市場を深川に移転。深川正米市場(東京廻米問屋組合深川正米市場)となる | 東京米穀商品取引所略年史 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 取引所条例(いわゆるブールス条例)発布 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
7月 | 東京米商会所第六代頭取早川勇就任 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
12月19日 | 日本橋蠣殻町に大火、焼失1700戸 | 米穀等関連事項 | |
- | 年末 東京米商会所第七代頭取小松彰就任 | 東京米穀商品取引所略年史 | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 東京米商会所第八代頭取中村道太就任 | 東京米穀商品取引所略年史 |